ピートのふしぎなガレージ

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エヌ博士

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カテゴリー : カルチャー

月見

2018.09.15

第284話 月見

ゲストコメント
国文学者、フェリス女学院大学教授 谷知子さん「古典文学に描かれた月の眺め」
国文学者、フェリス女学院大学教授 谷知子さん
── 古典文学で月はどう表現されていますか?

西行は《くまもなき 月の光にさそはれて 幾雲居までゆく心ぞも》と詠んでいます。これは「曇りのないピカピカの月の光に誘われて、私の心は肉体を離れ、いったい遠い空のどこまで浮かび上がって行くのだろう」という意味です。月を愛する人ならではの歌ですね。

誰かをものすごく好きになり、心が体から離れてその人のところへ行ってしまうことを「遊離魂」と言います。西行のこの歌は当時のそんな信仰を表現しているのですが、この遊離魂をすることを動詞で「あくがる」と言って、それが現代では「あこがれる」になっています。

── 物語に描かれる月はありますか?

『伊勢物語』では主人公の在原業平が高子(たかいこ)と恋をします。しかし二人は別れてしまう。そして業平が二人で暮らした思い出の家を一人で訪れて、泣きながら《月やあらぬ 春や昔の春ならぬ わが身ひとつはもとの身にして》と詠むんです。

この歌は「月は昔のままだろうか? 春は昔のままだろうか? 私だけは昔と変わっていないのに、月も春もすっかり変わってしまった」という意味です。かつて愛した人と見た時はこんな月じゃなかったし、春の風景もこんなじゃなかった。業平は変わり果てた景色に泣き濡れて帰って行く……そんな哀しい歌です。

── 哀しいですね……では、ぜひ格好良い月もお願いします!

奈良時代の歌人、柿本人麻呂が『万葉集』でこう詠んでいます。《東(ひむがし)の野に炎(かぎろひ)の立つ見えて かへり見すれば 月傾(かたぶ)きぬ》。これは当時の皇太子(後の文武天皇)が臣下を引き連れて狩りに行った時に、同行した人麻呂が詠んだ歌です。「太陽が昇る東の山の稜線が光り輝き、後ろを振り返れば月が西の空に傾いて沈もうとしている」という意味で、その真ん中に男が立っている勇壮な光景を鮮やかに切り取っています。

しかもこの時の狩りは、若くして亡くなった皇太子の父・草壁皇子の生前と同じ場所、同じ時間に行われました。つまり人麻呂は昇る太陽と沈む月に、父と子の魂の継承を重ねたんです。昼が始まれば夜は終わり、昼と夜が一緒になることはありません。そんな交代劇を親子に重ねた、素晴らしい歌だと思います。
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