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エヌ博士

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カテゴリー : スポーツ

嘉納治五郎

2018.11.03

第291話 嘉納治五郎

ゲストコメント
法政大学教授 永木耕介さん「柔道の父とオリンピックの深い関係」
法政大学教授 永木耕介さん
── 柔道とオリンピックにどんな関係が?

世間ではあまり知られていませんが、1940年に開催されるはずだった幻の東京五輪を招致したのが嘉納治五郎です。近代オリンピックの父と呼ばれるクーベルタン男爵は、オリンピックを世界に広めることでスポーツの素晴らしさを普及させようと考えました。それでアジアにも誰かいないかと探したところ、まわりまわって嘉納治五郎のところに話が来たんです。

嘉納治五郎は柔道の創始者として知られますが、当時は東京高等師範学校(現・筑波大学)の校長をしていました。嘉納治五郎は教育者としても一流で、若い頃には文部省から派遣されて、1年半にわたってヨーロッパを視察した経験もあります。視察と言っても、今で言う留学生制度みたいなものですね。

── なぜ文部省は嘉納治五郎をヨーロッパ視察に?

もともと嘉納治五郎は東大の出身ですから。当時の東大は人数もごく限られていたので、卒業したら国を背負って何かをする人材でした。しかも嘉納治五郎は中学の頃から英語が好きで、英語で日記を書いていたくらいです。そんな人物だったから文部省のヨーロッパ視察にも選ばれたんだと思います。

そういう経歴から嘉納治五郎は東洋で初めてのIOC委員となり、日本が初めてオリンピックに参加した1912年のストックホルム五輪では日本選手団の団長を務めました。1920年のアントワープ五輪からはオリンピックの普及活動が本格化。そして1936年のベルリン五輪で開かれたIOC総会において、1940年の東京五輪が決定したんです。

── アジア初のオリンピックの招致ともなると苦労もあったのでは

嘉納治五郎は自身も優秀な人でしたが、優秀な人材をいっぱい育てた人でもありました。その一人が杉村陽太郎という人物です。東京五輪の招致活動ではイタリアが強力なライバルだったんですが、杉村陽太郎はムッソリーニに直談判してイタリアを引き下がらせたという逸話も残っています。

嘉納治五郎は1938年にエジプトのカイロで行われたIOC総会から日本へ帰る氷川丸の船上で没しました。そしてその2ヶ月後、国情が不穏になった日本政府は東京五輪を返上してしまいます。それでも1964年の東京五輪は、嘉納治五郎が招致した幻の1940年大会があったからこそ実現したとも言えるでしょう。
Profile & Interview : https://www.yomiuri.co.jp/adv/hosei/research/vol28.html(読売新聞)
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