ピートのふしぎなガレージ

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エヌ博士

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カテゴリー : カルチャー

松方コレクション

2019.05.11

第318話 松方コレクション

ゲストコメント
三菱一号館美術館 学芸員 安井裕雄さん「モネを口説き落とした松方幸次郎」
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三菱一号館美術館 学芸員 安井裕雄さん
── 松方幸次郎とモネはどんな関係だったんですか?

モネの晩年の1920年代、パリ郊外のジヴェルニーに住むモネのもとを訪れたのが松方幸次郎でした。当時、松方幸次郎は財力があったので、「プランス(プリンス)・マツカタ」と呼ばれてフランスのアートシーンで有名な人物だったんです。本当はプリンス(王子)ではなくバロン(男爵)ですが。

年齢的にはモネの方が25歳くらい年上だったのですが、2人はずいぶん馬が合ったようです。松方幸次郎が高級酒のナポレオンをお土産として渡したところ、モネが大喜びしたという記録を、同行した美術評論家の矢代幸雄先生が残しています。もちろん松方幸次郎は事前のリサーチでモネが何を好むか調べていたのですが、その甲斐あって三十数点のモネの作品を買うことができました。

── お金だけじゃ《睡蓮》は売ってくれなかったんですね

モネは若い頃に苦労したこともあって、なかなか作品を売ろうとしないケチな人でした。でも30代で自殺してしまったゴッホのことを考えれば、画家が生活していく上でそういう計算高さは必要なことでもあったんです。80歳を過ぎても自分の描きたいものを描き続けようと思ったら、複数の画商に競わせて自分の作品の価格をつり上げる。そんなことも必要だったのだろうと思います。

1926年にモネが亡くなった翌年、パリのオランジュリー美術館に幅数mから最長20m以上の巨大な《睡蓮》がいくつも収められました。それらはモネが生涯、絶対に売ろうとしなかった作品だったんです。でも松方幸次郎だけはその中の1点を譲り受けています。それくらい2人は特別な関係でした。

── モネはなぜそんなにも睡蓮の絵を描いたのですか?

もともと睡蓮はモネにとって特別な存在ではなく、他にも菊など何種類かの花を庭で育てて、その絵を描いていました。でも1899年頃からモネの関心は急速に睡蓮へと向けられていったんです。池に太鼓橋を架け、池に浮かぶ睡蓮の葉と花、池の周囲に生い茂る草や柳やポプラの木々……それらがひとつのまとまりになって、モネにとって重要な画題を与えるようになりました。

その後、松方幸次郎が関東大震災の影響もあって破産した時、フランスでチャリティの展覧会が開かれて、松方幸次郎が購入した《睡蓮》も公開されました。その時、モネはチャリティの主催者に猛然と抗議の手紙を書いています。というのも、モネは200点以上の《睡蓮》をオランジュリー美術館でいきなり公開しようと思っていたからです。それまでよっぽど《睡蓮》を人に見せたくなかったようですね。
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