ピートのふしぎなガレージ

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エヌ博士

On Air オンエア

カテゴリー : グルメ , カルチャー

2019.05.18

第319話 梅

ゲストコメント
早稲田大学文学学術院教授 高松寿夫さん「万葉集に詠まれた梅の歌」
早稲田大学文学学術院教授 高松寿夫さん
── 「令和」のもとになった万葉集が話題ですね

新元号のもとになったのは万葉集で梅の歌を集めた部分ですが、実は万葉集では桜よりも梅を詠んだ歌の方が圧倒的に多いんです。梅の花の歌が120首くらいあるのに対して、桜とハッキリ詠んでいる歌は50首あるかないか。梅とも桜とも言わずに「春の花」を詠んだ歌もありますが、それを桜に足しても120には届かないでしょう。

『万葉集』は120〜130年間の歌が集められているのですが、ずっと梅の花が詠まれているわけではありません。時期的には後半になる奈良時代に入った頃、710〜720年代以降に詠まれています。今回、新元号のもとになった漢文の序文がちょうど720年代ですね。その序文と一緒に梅の歌が30首ちょっとまとめられているのですが、年代の分かる歌としてはそれらが一番古いくらいです。

── その頃に梅が流行った理由は何だったんですか?

当時の日本は中国に強い憧れを持っていたので、いかにも中国らしい花ということで人気が出たんだと思います。日本語で「梅」を「うめ」と読むのも、中国語の発音から来ているのではないかという説が有力です。

梅はそういう花だったので、花を眺めたり実を利用できたのは、それなりに身分のある人だったのでしょう。新元号のもとになった漢文とそれに伴う歌を詠んだのも、九州の太宰府にいた役人や貴族たち。当時は旧暦だったのでお正月がちょうど梅の咲く時期で、太宰府の長官だった大伴旅人が自分の屋敷に部下を集めて、梅の花見の宴会を開いた時の歌です。

── 「令和」はどのように登場しているんですか?

まず「初春令月」。これは「初春のとても良い月」という意味で、令には素晴らしいとか麗しいという意味があるんです。その後に「氣淑風和」と続くのですが、こちらは「陽気が良くなって風も穏やかだ」と春の陽気を讃えています。そんな春の訪れのような良い世の中になってほしいという期待を込めて、原案を出した方は「令和」を考えたのでしょう。

その序文を書いたと思われる大伴旅人は「わが園に 梅の花散る ひさかたの 天より雪の 流れ来るかも」と詠み、散りゆく白梅の花びらを雪にたとえました。盟友の山上憶良も「春されば まづ咲くやどの 梅の花 ひとり見つつや 春日暮らさむ」と詠み、みんなで梅の花を楽しむ喜びを歌にしています。そんな感覚は今も昔も変わらないようです。
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