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エヌ博士

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カテゴリー : カルチャー , 旅・観光

古墳

2019.11.09

第344話 古墳

ゲストコメント
國學院大學文学部史学科 准教授 青木敬さん「古墳の大きさと高さに秘められた歴史」
國學院大學文学部史学科 准教授 青木敬さん
── 古墳ってどんな形があるんですか?

日本列島の古墳は多種多様な形があるのが東アジア全体の中で特に際立っています。前方後円墳の他にも、前方後方墳、円墳、方墳、八角墳、その他にもマニアックな形をした古墳があり、こんなに古墳の形がバラエティ豊かな地域は他にありません。そうなった理由は、弥生時代の勢力圏との関わりもあるでしょうし、中国のようにお墓の形をきっちり統一するほどの統治レベルに至ってなかったからかもしれません。

その古墳の規模が一番大きくなるのは5世紀。先日、世界遺産に登録された「百舌鳥・古市古墳群」がそれですね。国内でも指折りの大きさを誇るこの古墳群は、大阪湾を通行する船からも見えるような向きに造られました。国内の各地や海外から来た船が大阪湾に入っていくと、否応なしに巨大な古墳が目に入る。そんな力の誇示のために古墳が大きくなっていったのでしょう。

── 大きな古墳を造るのは大変だったのでは

古墳を大きくできたのは技術的な裏付けがあったからでもあります。その頃の古墳の多くは、どこかで削って運んだ土を盛って造るのではなく、泥沼みたいなところでレンガのように泥を切り出して、塊のまま城壁のようにうずたかく積み上げて造られました。それが可能になったのは、5世紀の初め頃に朝鮮半島から土を切り出せる鉄製の土掘り具が入ってきたからです。

削り取った土を再び固めようとするとけっこう手間がかかります。でも泥を塊で切り出せば、積んで乾かすだけでしっかりと固まります。5世紀にはそうやって従来よりもはるかに早いスピードで土を盛って、巨大な古墳がたくさん造られました。

── 古墳の高さに関してはどうだったんですか?

5世紀の終わり頃になると、面積的にはそれほどではなくても、とても背の高い古墳が急に日本列島の各地で造られます。それまでの古墳は斜面の角度で27.5度くらいが一般的でした。それが40度を超えるような急斜面の古墳が急に造られるようになるんです。

そんな形をした古墳は朝鮮半島の高句麗が最初でした。隣の新羅がすぐにその真似をして、やがて中国の北魏も取り入れます。こうして東アジア全体にうずたかい古墳が大流行したため、日本もその流れに乗っかったようです。長崎県の壱岐島には、その取っかかりになった背の高い「壱岐島古墳」があります。権力の象徴だった古墳にも流行の形があったのは、とても興味深いですね。
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