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24.02.02
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「令和6年能登半島地震」の被災地、石川県珠洲市からのレポート 〜古民家レストラン「典座」の坂本信子さん【前編】〜


能登半島の最北端、石川県珠洲市にある古民家レストラン「典座」。180年以上の歴史を持つ、江戸末期の古民家を活用したお店です。お店の自慢は地元に伝わる県指定の伝統的工芸品「珠洲焼」の器と、その器で供される地元郷土食をベースにしたお料理。全国からファンが集うという珠洲市の名所でもあります。

「典座」オフィシャルホームページ

三方を海に囲まれ背後に山が迫る珠洲市は、里山・里海の食材が豊かな地域。その豊かな食材をつかって「典座」の料理を担うのが女将の坂本信子さん。夫の市郎さんは珠洲焼の窯、「伏見窯」を手掛ける職人として、お店でも使っている珠洲焼を制作しています。「典座」の開店は2005年。以来約20年に渡り、おもてなしを続けてきました。

しかし今年1月1日。珠洲市は震度6強の地震に襲われ、「典座」も大きな被害を受けました。坂本信子さんはこう振り返ります。

◆◆

「いま店が3つあって、そのひとつ『珠洲ビーチホテル』の中にあるレストランを準備していたら強い揺れがきて、でも、“あ、またか”というくらいでいたんですが、とにかく揺れが止まらなくて。“これは今までと違う”と思って・・・スタッフ全員こういう訓練はしていたので、まず火を止め、ガスを止め、貴重品を持って裏から逃げたんです。で、裏の従業員入り口に出たとたんに本震が来て、もう立っていられないという問題じゃなく、裏にある家が土埃をたててどんどん崩れてきたんですね。地面が割れていくなか地面にしがみつかなければいけなかった。ちょうどその時に大学生の息子が手伝いに来ていたんですが、“とにかくこの子を逃さなくてはいけない”と思って、“クルマを出して!”と、2台連ねて、もしも津波が来ても大丈夫な高台に車を止めて、1時間ほど、揺れが続く中、電柱が倒れてこない間隔のところに逃げていたんです。

暗くなって今晩をどうにかしなくちゃいけないと自宅まで行ったら、地区の人も停電しているので真っ暗で、ビニールハウスに避難者が集まっていたんですが、そのハウスがいっぱいなので入れなかった。地域の避難所は小泊小学校だったんでそこへ行ったんですが、そこも満員。そして寒い。その晩は駐車場に停めて息子と二人で一晩あかして、で、地元の伏見集会所にみんな避難していると考えて向かったら案の定開場していて、区長さんが“とにかくみんな落ち着くまでここにいる”と。区長さんは本当に頼もしくて、わずか40軒くらいの集落、人も70人程度なんですが、歩けない年寄りが多いんですね。足が悪かったり一人暮らしだったりする高齢者を背負って運んで、みんなでどうにか守った感じでした。

ただそのとき、私は主人と別々で、主人は、あとあとまで孤立地帯と言われる『大谷地域』のもう一つの店にいたんです。津波の観測地でもある長橋漁港のあたり。私が最後にキャッチしたニュースは“長橋地区で4メートルの津波”だったので、そのニュースで思考が停止してしまったんですが、避難所ではやることがいっぱいあって、2日目以降はずっと食事担当として炊き出しをしていたんです。あと元ナースなので具合悪くなったおばあちゃんを診ていたり、やること多かったし、怖いし、主人のことを考えたくなかったので、すごいハイテンションでいました。

この地区はプロパンガスで、井戸水があって、自家発電機も多くの家が持っていて、しかも正月なので食材も豊かなんですね。能登牛や飛騨牛など見たこともないものが、冷蔵庫も壊れたもんだからどんどん出てきて、“コレも食べてこれも食べて”と。すごいカレーを作ったり、みんなで気持ちを上げて、みんな笑える状況ではなかったけど、“食事をどうする?”みたいなw

やっぱり食事ってすごいなと思うのが、力はつくし気持ちを安定させる場を作れるし。その時に主人のことよりも「典座」という名前はすごい名前だなあ〜と薄らぼんやり考えていました。」



(取材に訪れた時の「典座」と「伏見窯」。「典座」概ね無事だったものの「伏見窯」は完全に崩壊していた)
お店の名前の「典座」とは、禅宗のお寺における「炊事係」や「料理」のこと。禅宗では料理というのは修行の一つと考えられているとか。災害でという非常事態の中で、料理の持つ力を感じたという坂本さんのお話しでした。

行政の救助が届かない中、地域の結束力で困難を乗り切った自助共助の有りように多くの学びがあると共に、笑顔で美味しい食事を囲む光景に、支えあうことの大切も感じました。

時間の都合でお届けできませんでしたが、ひと山超えた場所にいた夫の市郎さん。“津波にのまれたかもしれない”と実も細るほど心配していた信子さんでしたが、知人のサポートを借りながら、ところどころ崩落して危険な山道を決死の行軍で救出に向かったのだそうです。泥まみれで時に車の腹を擦りながら、ようやくお店に着いたら、市郎さん、“お母さんどうしたの?”とケロッとしてて、しかも店にはすごくいい匂いが。じつは目の前の海が隆起で干上がってサザエとか採り放題だったらしく、「サザエカレー」を作って店の仲間と食べるところだったのだそう。その日から雪予報で、降りだす前に何とか山を越えたかった信子さんでしたが、“せっかく作ったんだから”と、皆で美味しくサザエカレーを食べて、それからまた山を越えて帰ったのだそうです。

感動の再会!とはいきませんでしたが、ご主人と愛犬&愛猫、無事の再会は、発災から1週間後の事でした。


しかしこの地で今後どう生きていくのか。多くの課題に直面するなか、信子さんの今の思いを、次回の後編でお伝えいたします。

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