2019年8月21日

藍は東北を救う? 南三陸町・でんでん虫カンパニー

宮城県・南三陸町から、藍染めを活用した地域おこしの取り組み、お伝えしています。

お話を伺ったのは、でんでん虫カンパニーの代表・中村未來さん。震災後、被災地でのボランティアなどをきっかけに、大阪の会社を辞めて南三陸に移住。天然の藍染めを活用したプロジェクトに取り組んでいるんですが・・・中村さんはなぜ、「藍染め」を選んだのでしょうか。実はこれ、南三陸のいろんな「ものづくり」と繋がる可能性があるのだそうです。


◆メイドイン南三陸で繋がる
実際に暮らしてみると、復旧復興以外にも地域の課題がすごく見えてきたんですね。それは全国的にもありますが人口減少だったり、それによって学校の統廃合が出てきてしまったり。高齢化で使われなくなった田畑が増えたり空き家が増えたりということが間近に見えてきて。特に仕事柄建築をやっていてまちづくりにも興味があったので、そういう視点もあったのかなと思うんですけど、復旧復興したあとに地域課題に対してもなにかアクションをしていかないと町が未来に続いていかないと思って。私はすごくこの町が大好きになったので、この町をずっと未来に残していくためになにかアクションを起こせればいいなと思って。ちょうど有志の何人かと会って、耕作放棄地を蘇らせようということで2014年に土を耕し始めたのが藍のはじまり。私も藍のことを調べるうちに、藍は漢方として使われていた歴史があったとか、養蚕で栄えた地区があるのでいまも繭細工をしている女性がいたり、あとは震災後にできた羊の牧場で羊毛が取れたり、さらには震災をきっかけに増えたものづくりの女性たち、地元の原料で先程言ったようなゆかりのある素材を染めて、町の方たちがものづくりをすることで、「メイドイン南三陸」のモノができるなということにたどり着いて。私達のモノをつかっていろいろなモノをつないでいくことができるんじゃないかということに1年目くらいでいきついて、続けていこうと。



ということで、南三陸の様々な「ものづくり」と繋がって、藍染め商品は、少しずつ形になりつつあります。商品は、南三陸さんさん商店街内のお店、観光協会のアンテナショップなどで扱い始めているということです。詳しくはフェイスブックページをご覧ください。

ちなみに藍という植物は、実は食べられる!ということで、中村さんは将来的には、藍を使ったグルメなども展開したいと話しています。ということで育てる藍は完全無農薬にこだわり、全て手作業で行っています。


2019年8月20日

藍は東北を救う? 南三陸町・でんでん虫カンパニー

宮城県・南三陸町から、藍染めを活用した地域おこしの取り組み、お伝えしています。

南三陸の山間の小さな集落で天然の藍を育て、モノづくりや藍染め体験会を実施している「でんでん虫カンパニー」。この会社を立ち上げたのが、震災後に南三陸へ移住した中村未來さんです。もともと大阪で生活していた中村さんが南三陸への移住した理由を伺いました。

左:中村さん 右:高橋万里恵(いのちの森パーソナリティ)

◆「暮らし」を取り戻すチカラになりたい
きっかけのひとつは東日本大震災。当時は大阪で建築の仕事をしていたんですが2011年の夏にようやく休みをとって数日間ボランティア活動をしたんですね。そのときに、メディアを通してずっと見ていたものとは違う感覚を得て。特に、当たり前なんですけどそこに暮らしがあるし、暮らしを取り戻そうとしている人がいるということに、実際に現場に来て気づいたことが大きなきっかけになっています。私が活動をしたところが気仙沼市の小泉地区というところで、畑などに埋まってしまったガラス破片とか分別する作業だったんですけど、ちょうどその2日目に夏祭りをやるのでぜひボランティアの皆さんもどうぞと言っていただいて、住んでいた方とお話をすると、いまは違う場所に避難しちゃっているけどまた戻って海とともに暮らすんだ」というようなことを話されていて。目の前に広がっている光景はとても大変な状況だったんですけど、それでも諦めないで同じ場所で、故郷を取り戻すために前進されている。そこに私自身がすごくエネルギーを貰って、その方たちの暮らしを取り戻すお手伝いをしたいなと思ったのが始まりです。やはり暮らしを知るためには1日や2日ではわからないと思っていて、特に日本には四季があるので最低でも1年はいないと知ったということにならないんじゃないかというのが自分の中にあったので、1年間と決めて、その中で出会ったのが南三陸町だった・・・ということでいまに至ります。


ということで中村さんは、国や自治体が募集する「復興応援隊」に参加。その活動場所が南三陸だったというのが最初の縁だったといいます。

ただ、最初から移住は意識していたわけではなく、活動を続ける中、南三陸という町が「好きになっちゃった」のだそうです。そこで暮らす人々、豊かな自然、おいしい食べ物、すべてが魅力的で、とにかく「手放したくなかった」と中村さん。建築という「ハード作り」ではなく、ソフト面から南三陸の再生にチカラを使いたい、という気持ちもあったということです。

あしたもこの続きをお送りします。
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パーソナリティ 鈴村健一

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