2012年2月22日
2月22日「福島県双葉郡川内村 遠藤雄幸村長インタビュー(1)」
福島第一原発の30キロ圏内、一部20キロ圏内にある川内村は、原発事故直後の昨年3月16日に、村長の避難宣言によって、約2600人の村民ほとんどが村の外へ避難。
避難生活を余儀なくされました。
そして昨年9月。30キロ圏内の緊急時避難準備区域が解除。
すでに帰還の準備を進めていた川内村は、先月31日に「帰村宣言」を出し、遠藤村長は記者会見で、「戻れる人から戻ろう」と村の人たちに呼びかけました。
これは、行政機能を移転した双葉郡9つの町村で初めて、「村へ帰る」意思を示したものでした。
この大きな決断に至った想いを、遠藤村長に伺いました。
◆「帰村宣言」への想い
川内村は線量が低かった。チェルノブイリで人の住まない場所、廃墟を見てきた。除染しない街の姿を見て、除染すれば戻れると感じた。戻れる可能性があるなら、それを広げたい。そこに人が住んで生活をしていくことが必要。
3月24、25日で役場を移動。学校の説明会は終了。除染も公共施設や学校は終わっている。
モニタリングは済んでいるが、寒さと雪で遅れている。3月には子どもたちのいる家庭を優先して除染していく。250人から300人が戻っている。役場機能も本来のものに戻し、行政サービスを展開したいという思いがある。
(避難生活が)1年近くになり「もう戻りたい」という人もいる。それでも心配という人もいる。三者三様。「帰村宣言」と言いつつも、どう表現するのか。結果、尾ひれのついたものに。
「戻れる人は戻る。心配な人はもう少し様子を見てから戻ればいい」
川内村はこういう基本方針を立てています。帰村を強制するものではありません。
村長自身も、悩んだ末の方針だったと話しています。
それでも帰村宣言に踏み切ったのは、村が村民にとって「故郷」だからだと遠藤村長は考えています。
◆川内村は「故郷」だから
自分の故郷、我が家に帰るのは理屈じゃない。「戻らない」「戻るのに慎重」だという人にも故郷は必要。
川内村はいつまでたっても故郷である。消滅していいのか。誰だっていやだという。
不平や不満だけでは何も解決しないのは自明。国だ県だと言っても時間はかかる。国や県や東電が、前の生活を戻してくれるわけではない。お金の面倒は見てくれるだろうが。
誰がやるのか、自分の村のことを自分でやる。村をもう一度綺麗にするのは村民。だから戻ってきれいにする。
明日も、川内村・遠藤雄幸村長のインタビューをお届けします。
避難生活を余儀なくされました。
そして昨年9月。30キロ圏内の緊急時避難準備区域が解除。
すでに帰還の準備を進めていた川内村は、先月31日に「帰村宣言」を出し、遠藤村長は記者会見で、「戻れる人から戻ろう」と村の人たちに呼びかけました。
これは、行政機能を移転した双葉郡9つの町村で初めて、「村へ帰る」意思を示したものでした。
この大きな決断に至った想いを、遠藤村長に伺いました。
◆「帰村宣言」への想い
川内村は線量が低かった。チェルノブイリで人の住まない場所、廃墟を見てきた。除染しない街の姿を見て、除染すれば戻れると感じた。戻れる可能性があるなら、それを広げたい。そこに人が住んで生活をしていくことが必要。
3月24、25日で役場を移動。学校の説明会は終了。除染も公共施設や学校は終わっている。
モニタリングは済んでいるが、寒さと雪で遅れている。3月には子どもたちのいる家庭を優先して除染していく。250人から300人が戻っている。役場機能も本来のものに戻し、行政サービスを展開したいという思いがある。
(避難生活が)1年近くになり「もう戻りたい」という人もいる。それでも心配という人もいる。三者三様。「帰村宣言」と言いつつも、どう表現するのか。結果、尾ひれのついたものに。
「戻れる人は戻る。心配な人はもう少し様子を見てから戻ればいい」
川内村はこういう基本方針を立てています。帰村を強制するものではありません。
村長自身も、悩んだ末の方針だったと話しています。
それでも帰村宣言に踏み切ったのは、村が村民にとって「故郷」だからだと遠藤村長は考えています。
◆川内村は「故郷」だから
自分の故郷、我が家に帰るのは理屈じゃない。「戻らない」「戻るのに慎重」だという人にも故郷は必要。
川内村はいつまでたっても故郷である。消滅していいのか。誰だっていやだという。
不平や不満だけでは何も解決しないのは自明。国だ県だと言っても時間はかかる。国や県や東電が、前の生活を戻してくれるわけではない。お金の面倒は見てくれるだろうが。
誰がやるのか、自分の村のことを自分でやる。村をもう一度綺麗にするのは村民。だから戻ってきれいにする。
明日も、川内村・遠藤雄幸村長のインタビューをお届けします。