2013年2月11日
2月11日 福島・浪江の橘さん家族は今(1)
今週は、東日本大震災から3年目を迎える、福島の家族の今をお伝えします。
お話を伺ったのは、橘弦一郎(39)。双葉郡浪江町川添から避難し、現在は郡山市の借り上げ住宅で、奥さんと9ヶ月のお子さんと暮らしています。川添は福島第一原発20キロ圏内、年間放射線量は20ミリシーベルト超で、浪江町によれば、来年度から居住制限区域に再編される見込みです。
橘さんご夫妻は原発事故直後、滋賀県の親族の元に避難したのですが、1ヶ月後には福島に戻ることを決意。勤め先である不動産会社の南相馬支社で仕事を再開したと言います。
◆福島へ戻る決意
滋賀県に避難していたが、その間にもお客さんから毎日70〜80本の電話が集中してかかってきた。二度と福島県に戻らないつもりだったが、お客さんが困っているのを聞いて、俺は知らないとは言えず、反対を押し切って2011年)4月12日に郡山から不動産会社の南相馬原町支店を再開した。戻った当初は毎日死にたくてしょうがなかった。地域の人のため、お客さんのためにと思ってはいたが、毎日苦情しかない。家賃を払わず逃げていった奴をつかまえてくれとか、その相手に電話すると「放射能の被害で逃げているのに家賃とはなんだ」。毎日毎日一人で怒られ続けた。うちからお店まで90kmを通勤して辛い思いをして、夜中の1時2時に帰ってくるという生活の中ノイローゼに。毎日崖の下に飛び込みたいという気持ちでいた。その後スタッフが1人増え、
震災の中で繋がりもできて、今は通勤は大変だが戻ってきて良かったという気持ちでいる。ずっと、浪江焼きそば太国という町おこし活動をやっていた。町おこしをする地域があるから仕事が出来る。子育ても出来る。今まで地域に根ざして仕事をしてきたのに、震災だから知らないよ、逃げてもしょうがないじゃないか、とは言えなかった。こういう状況だからこそ、困っているなら少しでも助けになりたかった。地域おこしをやっていたからこそ、そういう気持ちになった。
郡山から南相馬市原町の不動産会社に通勤を続ける橘さんは、浪江町から避難した方の間で、「避難先の風土が体に合わない。浪江と同じ沿岸部・浜通りに戻りたい」という声が、年配の方を中心に非常に増えていると話しています。橘さんは、出来るだけ地元の近くに戻りたいという要望を受け、浜通り・南相馬でアパートやマンションの案内を続けています。しかし、需要に対して供給は追いついていません。南相馬・原町のアパートは、300人待ちという状況になっています。
また、橘さん自身も、浪江町に新居を建てた直後に被災。現在も、避難生活を続けながら自宅ローンを払い続けています。
明日も、浪江町から避難生活を続ける、橘弦一郎さん一家の「いま」をお伝えします。
橘弦一郎さん(ふくしまFMにて)
お話を伺ったのは、橘弦一郎(39)。双葉郡浪江町川添から避難し、現在は郡山市の借り上げ住宅で、奥さんと9ヶ月のお子さんと暮らしています。川添は福島第一原発20キロ圏内、年間放射線量は20ミリシーベルト超で、浪江町によれば、来年度から居住制限区域に再編される見込みです。
橘さんご夫妻は原発事故直後、滋賀県の親族の元に避難したのですが、1ヶ月後には福島に戻ることを決意。勤め先である不動産会社の南相馬支社で仕事を再開したと言います。
◆福島へ戻る決意
滋賀県に避難していたが、その間にもお客さんから毎日70〜80本の電話が集中してかかってきた。二度と福島県に戻らないつもりだったが、お客さんが困っているのを聞いて、俺は知らないとは言えず、反対を押し切って2011年)4月12日に郡山から不動産会社の南相馬原町支店を再開した。戻った当初は毎日死にたくてしょうがなかった。地域の人のため、お客さんのためにと思ってはいたが、毎日苦情しかない。家賃を払わず逃げていった奴をつかまえてくれとか、その相手に電話すると「放射能の被害で逃げているのに家賃とはなんだ」。毎日毎日一人で怒られ続けた。うちからお店まで90kmを通勤して辛い思いをして、夜中の1時2時に帰ってくるという生活の中ノイローゼに。毎日崖の下に飛び込みたいという気持ちでいた。その後スタッフが1人増え、
震災の中で繋がりもできて、今は通勤は大変だが戻ってきて良かったという気持ちでいる。ずっと、浪江焼きそば太国という町おこし活動をやっていた。町おこしをする地域があるから仕事が出来る。子育ても出来る。今まで地域に根ざして仕事をしてきたのに、震災だから知らないよ、逃げてもしょうがないじゃないか、とは言えなかった。こういう状況だからこそ、困っているなら少しでも助けになりたかった。地域おこしをやっていたからこそ、そういう気持ちになった。
郡山から南相馬市原町の不動産会社に通勤を続ける橘さんは、浪江町から避難した方の間で、「避難先の風土が体に合わない。浪江と同じ沿岸部・浜通りに戻りたい」という声が、年配の方を中心に非常に増えていると話しています。橘さんは、出来るだけ地元の近くに戻りたいという要望を受け、浜通り・南相馬でアパートやマンションの案内を続けています。しかし、需要に対して供給は追いついていません。南相馬・原町のアパートは、300人待ちという状況になっています。
また、橘さん自身も、浪江町に新居を建てた直後に被災。現在も、避難生活を続けながら自宅ローンを払い続けています。
明日も、浪江町から避難生活を続ける、橘弦一郎さん一家の「いま」をお伝えします。
橘弦一郎さん(ふくしまFMにて)