2012年9月25日
9月25日「岩手県陸前高田市広田町に移住した、1人の若者(2)」
震災直後から岩手県陸前高田市広田町でボランティア活動を続け、この春、東京の大学を卒業。広田町に住民票を移した三井俊介さん(23歳)。
現在、企業の被災地視察のコーディネート、地元のお母さん向けのパソコン教室、さらに漁業支援プロジェクトなど様々な活動をしています。
三井さんは、同じように広田へやってきた若者と2人で一軒家で共同生活をしています。
彼はこの町の人たちに新鮮な驚きと魅力を感じていると言います。
◆人生の先輩方と話すこと
広田には「けせら」文化があって、意味は「持ってけ」。挨拶や話に行くと、ジャガイモ、にんじん、レタス、キャベツなど、何でも貰える。今は漁業団体の手伝いもしているので、そこで魚も貰える。頂き物を料理して食べている。
すごく温かくてお節介。距離感が好き。家を借りたら大家が(勝手に)入ってくる。持ってきたものを置いていってくれたり、世間話をする。
年配の方が多い。東京で暮らしていると60代70代の方と話す機会は多くはないが、広田にいるとほぼ毎日話す。人生の先輩として学ぶべきことが多い。
地元の方に「被災地を助けたいという気持ちなら来るな」と反対されても、三井さんは広田を選びました。
それは、この暮らしの中に自分が本当にやりたいこと、目指すものがあったからだと話しています。
◆広田の暮らしの中で目指すもの
自分の活動は広田の復興のためだが、生き方の確立というのもある。東京で生きるしかないと思っている同年代に、そうじゃない生き方がある。お金が少なくても色々な人から色々なものを頂きながら暮らせる。自分で野菜を育て魚を獲ることもできる。
大工作業もしているが、それも楽しい。生きる力が学べる。それを見ていいなと思った人はこっちに来たらいい。そういう人には受け入れや仕事の面でも手伝っていきたい。
◆「来て良かった」と思う瞬間
お母さん方と話すと、「広田から若い人が出ていくばかりの中で君は入ってきた。これから一緒に頑張ろう。広田の希望の星」と言ってもらえた時は嬉しかった。
高齢化が進む広田町に、若い世代の人口が少しずつ増え始めています。
三井さんによると、10月にももう1人、広田に若者が移住してくるということです。
【三井俊介さんのメールマガジン】
現在、企業の被災地視察のコーディネート、地元のお母さん向けのパソコン教室、さらに漁業支援プロジェクトなど様々な活動をしています。
三井さんは、同じように広田へやってきた若者と2人で一軒家で共同生活をしています。
彼はこの町の人たちに新鮮な驚きと魅力を感じていると言います。
◆人生の先輩方と話すこと
広田には「けせら」文化があって、意味は「持ってけ」。挨拶や話に行くと、ジャガイモ、にんじん、レタス、キャベツなど、何でも貰える。今は漁業団体の手伝いもしているので、そこで魚も貰える。頂き物を料理して食べている。
すごく温かくてお節介。距離感が好き。家を借りたら大家が(勝手に)入ってくる。持ってきたものを置いていってくれたり、世間話をする。
年配の方が多い。東京で暮らしていると60代70代の方と話す機会は多くはないが、広田にいるとほぼ毎日話す。人生の先輩として学ぶべきことが多い。
地元の方に「被災地を助けたいという気持ちなら来るな」と反対されても、三井さんは広田を選びました。
それは、この暮らしの中に自分が本当にやりたいこと、目指すものがあったからだと話しています。
◆広田の暮らしの中で目指すもの
自分の活動は広田の復興のためだが、生き方の確立というのもある。東京で生きるしかないと思っている同年代に、そうじゃない生き方がある。お金が少なくても色々な人から色々なものを頂きながら暮らせる。自分で野菜を育て魚を獲ることもできる。
大工作業もしているが、それも楽しい。生きる力が学べる。それを見ていいなと思った人はこっちに来たらいい。そういう人には受け入れや仕事の面でも手伝っていきたい。
◆「来て良かった」と思う瞬間
お母さん方と話すと、「広田から若い人が出ていくばかりの中で君は入ってきた。これから一緒に頑張ろう。広田の希望の星」と言ってもらえた時は嬉しかった。
高齢化が進む広田町に、若い世代の人口が少しずつ増え始めています。
三井さんによると、10月にももう1人、広田に若者が移住してくるということです。
【三井俊介さんのメールマガジン】