2012年6月5日
6月5日「震災の記憶を呼び起こす建造物『震災遺構』(2)」
震災で倒壊した建造物や、陸上に乗り上げた船など、震災の記憶を留める建造物のことを「震災遺構」といいます。
その「震災遺構」を撤去するべきか、それとも保存するべきなのでしょうか。
建築と社会の関連性を研究している東北大学大学院工学科・五十嵐太郎教授は、宮城県女川地区の倒壊した建物を保存するプロジェクトを立ち上げました。
女川の「震災遺構」の現状を、五十嵐さんに伺いました。
◆保存するべきだと感じた
女川は昨年4月1日に初めて訪れた。一般的に木造の家屋が津波で流れるというのは映像にもさんざん映って共有していると思うが、女川では鉄骨や鉄筋の建物ですら基礎ごと引っこ抜かれ、20m近い津波が来たので、別のところに流れて横倒しになるという、ちょっと想像できない壊れ方をしていた。
「ここまでひどい建物の壊れ方をするのか」と驚き、「これは遺すべきだ」と思った。津波専門の学者が、世界的にもほとんど例がないと言っていたが、そういう意味でも、これは女川という小さな町だけのものではなく、世界史的な事件に接続してしまった、と感じたから。
これは木の瓦礫ではないので、残る可能性がある。近代以前は遺したくても、木のものは焼けたり腐ったりしてしまったが、近代以降はコンクリートや鉄の塊。誰かに頼まれたわけでなく、自主的に残すためのプロジェクトを研究室で立ち上げた。
◆壊れた建造物を遺す理由
女川の復興関係の委員会でも(壊れた建造物を)遺したほうがいいという意見があり、4つは保存することになった。特に女川の場合、「倒壊したコンクリートや鉄骨の建物があるエリアは市街地として復活しない」ということを早いうちに決定した。ある種メモリアル公園にするとしたので遺しやすかったということが一つと、片付けないという選択をしたというのが実情。
町としてはどう残すかということより、「復興」や「仮設」のことが先にあって、片付けないという選択をしたということだと思う。
五十嵐さんの著書「被災地を歩きながら考えたこと」にも、さまざまな「震災遺構」の写真が掲載されています。
その「震災遺構」を撤去するべきか、それとも保存するべきなのでしょうか。
建築と社会の関連性を研究している東北大学大学院工学科・五十嵐太郎教授は、宮城県女川地区の倒壊した建物を保存するプロジェクトを立ち上げました。
女川の「震災遺構」の現状を、五十嵐さんに伺いました。
◆保存するべきだと感じた
女川は昨年4月1日に初めて訪れた。一般的に木造の家屋が津波で流れるというのは映像にもさんざん映って共有していると思うが、女川では鉄骨や鉄筋の建物ですら基礎ごと引っこ抜かれ、20m近い津波が来たので、別のところに流れて横倒しになるという、ちょっと想像できない壊れ方をしていた。
「ここまでひどい建物の壊れ方をするのか」と驚き、「これは遺すべきだ」と思った。津波専門の学者が、世界的にもほとんど例がないと言っていたが、そういう意味でも、これは女川という小さな町だけのものではなく、世界史的な事件に接続してしまった、と感じたから。
これは木の瓦礫ではないので、残る可能性がある。近代以前は遺したくても、木のものは焼けたり腐ったりしてしまったが、近代以降はコンクリートや鉄の塊。誰かに頼まれたわけでなく、自主的に残すためのプロジェクトを研究室で立ち上げた。
◆壊れた建造物を遺す理由
女川の復興関係の委員会でも(壊れた建造物を)遺したほうがいいという意見があり、4つは保存することになった。特に女川の場合、「倒壊したコンクリートや鉄骨の建物があるエリアは市街地として復活しない」ということを早いうちに決定した。ある種メモリアル公園にするとしたので遺しやすかったということが一つと、片付けないという選択をしたというのが実情。
町としてはどう残すかということより、「復興」や「仮設」のことが先にあって、片付けないという選択をしたということだと思う。
五十嵐さんの著書「被災地を歩きながら考えたこと」にも、さまざまな「震災遺構」の写真が掲載されています。