2012年4月2日
4月2日「岩手県釜石市の防災教育に携わる片田敏孝さん(1)」
岩手県釜石市は津波で大きな被害を受けましたが、小中学生・約3000人のほとんどは津波を逃れ、無事でした。
子どもたちの自発的な避難行動は、メディアでも大きく取り上げられ、「釜石の奇跡」とも呼ばれました。
群馬大学大学院教授で、広域首都圏防災研究センター長・片田敏孝さんは、釜石の防災教育に長年渡って携わってきた人物です。
関係者の努力と、子供たちの勇気が実を結んだ、釜石のケース。けれども、取組みを始めた当初、状況は全く違ったそうです。
◆「姿勢の防災教育」
釜石の防災教育は子供たちに「こうしろああしろ」と具体的な知識を与えるのではなく、判断力のある子供、自分で決断できる子供になるように、という教育に重きをおいてきた。これを「姿勢の防災教育」と言っている。
津波に対しては「海から離れるのではなく、海から一刻も早く高いところに行く」という規範を与え、さまざまな状態でその時を迎えたときに、誰かに指示を仰ぐのではなく自分で行動がとれるように、教育に重きをおいてきた。
釜石の防災教育を始めた当初は、子供たちはそういう力をほとんど持っていなかった。子供たちに津波対策を聞くと「僕逃げないよ。うちはお父さんもおじいちゃんもみんな逃げないよ。釜石には世界一の大きな堤防ができて昔とは違うんだ。だから僕逃げないよ」と言う。大人が逃げない、社会全体が逃げる体制になっていない、これはまずいなと思った。
だから子供たちには「君にできることはただ一つ。その日その時できるベストを尽せ」「君が精いっぱいの行動をとっても、君の対応力より津波のほうが大きかったら、君は命を落とすかもしれない。それは仕方がない。だからこそ君はその時できる精いっぱいのことやるだけだ。懸命に逃げろ」と伝えた。
◆防災教育を続け、そして起こった震災
子供たちは揺れが収まるやいなや、すぐに駆け始めて、いま一番高いところはどこだろう、一番早くいけるところはどこなんだろうと、ある子は一人で判断し、ある子は友達と相談しながら懸命の行動を取ってくれた。
明日も片田敏孝さんのインタビューをお届けします。
子どもたちの自発的な避難行動は、メディアでも大きく取り上げられ、「釜石の奇跡」とも呼ばれました。
群馬大学大学院教授で、広域首都圏防災研究センター長・片田敏孝さんは、釜石の防災教育に長年渡って携わってきた人物です。
関係者の努力と、子供たちの勇気が実を結んだ、釜石のケース。けれども、取組みを始めた当初、状況は全く違ったそうです。
◆「姿勢の防災教育」
釜石の防災教育は子供たちに「こうしろああしろ」と具体的な知識を与えるのではなく、判断力のある子供、自分で決断できる子供になるように、という教育に重きをおいてきた。これを「姿勢の防災教育」と言っている。
津波に対しては「海から離れるのではなく、海から一刻も早く高いところに行く」という規範を与え、さまざまな状態でその時を迎えたときに、誰かに指示を仰ぐのではなく自分で行動がとれるように、教育に重きをおいてきた。
釜石の防災教育を始めた当初は、子供たちはそういう力をほとんど持っていなかった。子供たちに津波対策を聞くと「僕逃げないよ。うちはお父さんもおじいちゃんもみんな逃げないよ。釜石には世界一の大きな堤防ができて昔とは違うんだ。だから僕逃げないよ」と言う。大人が逃げない、社会全体が逃げる体制になっていない、これはまずいなと思った。
だから子供たちには「君にできることはただ一つ。その日その時できるベストを尽せ」「君が精いっぱいの行動をとっても、君の対応力より津波のほうが大きかったら、君は命を落とすかもしれない。それは仕方がない。だからこそ君はその時できる精いっぱいのことやるだけだ。懸命に逃げろ」と伝えた。
◆防災教育を続け、そして起こった震災
子供たちは揺れが収まるやいなや、すぐに駆け始めて、いま一番高いところはどこだろう、一番早くいけるところはどこなんだろうと、ある子は一人で判断し、ある子は友達と相談しながら懸命の行動を取ってくれた。
明日も片田敏孝さんのインタビューをお届けします。