2012年3月22日

3月22日「避難を続ける双葉町民の声(1)」

埼玉県加須市・旧騎西高校で避難生活を送る福島県双葉町民は、12日現在で398人。
それぞれの教室で複数の世帯が同居して、共同生活を送っています。その多くはお年寄りです。
生活をするうえで必要な施設はある程度揃っています。
お風呂や洗濯場は、校舎の隣に仮設の建物が建てられていて、旧騎西高校にいる避難者が管理の仕事もしています。

避難所の方にお話を伺いました。

◆「精神的に疲れている」
 仮設風呂。5月ごろに完成した。そこで臨時職員で働いている。職員は3名。
 避難者がハローワークで面接受けて、3か月更新でやっている。(仕事ができることについては)寝ているよりはいい。
 精神的に参っている。油ものばっかし。タダで食べているから文句はいえないが、仕切りのない中で何世帯も居るし、精神的に疲れている。
 脳神経外科に通っている。眠れなくて。あたまがギューンとする。家族は奥さんと2人。膝が悪いが、5階に住んでいる。1階に移動という話もあったが、慣れてしまったので断った。しょうがない。



食事は、朝・昼・晩とお弁当が支給されています。
この日のメニューは、たぬき蕎麦・かまぼこ・チクワの揚げ物などが一つの容器に入ったものと、缶ジュースが一つ。ジュースは「たまにつくことがある」そうです。
「食べられるだけありがたい」と話す方が多い印象でした。

また、睡眠で悩む方も多いようで、「何かやろうとしてもやる気が起きない」「夜眠れないので、昼間に寝てしまう」と口にする方もいらっしゃいました。

避難者の方によれば、一時は1000人を超す人数がいたこの避難所も人が減り、「当初の窮屈さによるストレスはなく、ある程度は落ち着いた生活ができるようになった」そうです。
そうした環境から、残された398人の方は、積極的に出ていこうという意識を持ちにくくなっています。
また、経済的にも次の生活へ移るのが難しいのが現実です。


◆「行くところがあれば、避難所を出たい」
 体を動かしたい。庭に出てちょこっと草をむしったり、畑で何か獲ってみたりを今まではやっていた。
 今頃ならネギや白菜を自分のうちで漬けた漬物を食べたり。こんなことになるとは思ってもみなかった。でもまだ涙も出なくって。実感がわかない。今のところは、閉所にならないうちはずっと世話になろうと思っている。そう考えていない人はとっくに出ちゃっている。私らみたいに行くところのない人、勤めていない人はお世話になろうと考えている人が多いんじゃないか。行くところがあって、お金もどっさりあったら、せいせいとしたところに行くかもしれないけど。

2012年3月21日

3月21日「福島県楢葉町・高原カネ子さんが待ちわびる“春”」

福島県楢葉町の子どもたちの太鼓グループ「ならは天神太鼓・うしお会」の指導者・高原カネ子さん。
高原さんは、楢葉町の子どもたちに30年以上「天神太鼓」の演奏指導を続けてきた方です。
しかし、地元に愛されてきたこども太鼓は震災後、ほとんどの町民が避難生活にあるため、続けることすら困難になっています。
町の方々は話し合いを続けていますが、今も「うしお会」の今後については結論が出ていません。


◆原発事故に翻弄され続けてきたこの1年
 3月11日以降、一晩は街の体育館、そしていわき市の避難所へと逃げたが、避難所は3つとも満員。いわき市の遠くの街で3晩過ごした。その後2回目の爆発の情報を得て、常磐高速で東京へ。板橋で14日間過ごし、藤沢へ。藤沢で11か月過ごし、昨年12月29日にいわき市上田に戻ることができた。
 全て私の身内だが、3家族が一緒。家族がバラバラ、父親や母親が福島で働いているので、子どもたちとの離れ離れを解消しなければいけなかった。放射能から逃げるストレスと、子どもたちが離れ離れになっているストレスを天秤にかけると、いわき市上田という距離が中間点。藤沢だと2か月に一度しか会えないが、ここなら毎週福島市から帰ってこられる。金曜日になるとそれぞれ帰ってきて土日は大所帯でにぎやか。


◆町の大半が原発20キロ圏内・警戒区域である楢葉町
 戻れたら私は戻ろうとは思っている。インフラも含め、ある程度住める状況になり、戻りましょうということになったら、私たちの年齢くらいまではおそらく戻るかと思いう。
 でも10日や20日、1か月は「やっぱり楢葉はいいね、帰ってきたね」と暮らすと思うが、その後、好きだった畑の作物もできない。田んぼも作れない。孫たちは会いに来ない。「会いたければ出てきなさい」みたいことになった時に、そういうことに対するストレスは、ここにいるストレスとどう違うのか。
 3年後、「空間線量や土の中が改善されて大丈夫だ」となれば別だが、そうでない限り10年後、20年後、我々の命が絶えた時に、再び楢葉町の存続の危機が戻ってくる。若者が戻ってこないという街になることが見えるのであれば、除染に今一軒いくらかかるのか、500万円〜700万円とも言われるお金を使って、10年後に無くなる町を作ることが生きたお金の使い道だろうか。そういう会話が多い。私だけではない。70才の方でも同じ会話をする。
 ダメならダメで、はっきりしてもらえれば前に出る。11か月〜1年も過ごしていると、いわきにも慣れてしまう。子どもたちが、太鼓のリズムが離れていくように、ある程度の年齢のものでも、いわきの楢葉にない便利さなど、良いところを受け入れていってしまうんじゃないか。



先週、楢葉町議会は、中間貯蔵施設の設置に“反対”する意見書を全会一致で可決しました。また、4月15日は町長選挙です。
楢葉町はこの春、町の将来を決める岐路を迎えることになります。



◆高原さんが待ちわびる「春」
 ものすごく待っているんです。桜の花が咲くのを。強い気持ちで待っているんですよね。
 去年だってあちこちで咲いたんでしょうにね。全然気づきませんでした。
 待ち遠しいね、春よ来い、春よ来いって。こんなに春を待っているってなんなんだろう。
 きっと何かいいことありそうな。春と重なってくれればいいんですけどね。
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パーソナリティ 鈴村健一

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