2012年3月20日
3月20日「『ならは天神太鼓・うしお会』再会と共にある複雑な思い」
福島県楢葉町の子どもたちによる太鼓グループ「ならは天神太鼓・うしお会」。
本来、昨年3月に行われるはずだった「卒業生のためのコンサート」は、震災と原発事故の影響で中止となり、うしお会の子どもたちは演奏の機会を奪われました。
しかし、町の方々の「太鼓を叩かせてあげたい」という声を受けて、昨年7月、コンサートは会場を東京に移して行われました。この日会場には、避難先から集まったたくさんの方が再会を喜び、うしお会は「また集まって太鼓を叩こう」と約束して、それぞれの避難場所へと戻っていきました。
それから半年後。うしお会は今年1月に、福島県いわき市で再びコンサートを開きました。
しかし、うしお会の太鼓指導をしている高原カネ子さんは、この時のコンサートは純粋に、再会を喜ぶだけのものではなかった、と話しています。
◆区切りを迎えた複雑な思い
1月9日のコンサートは一つの区切りという意味もあった。「もう一度地元で」とコンサートを開いたが、いわきには練習する場所もない。いわき市内で練習会場を探すのはとても大変。楢葉町であれば、隣の孫もやっているし8時9時まで賑やかでも目をつぶってくれたが、全然知らない他の地域ではなかなか望めない。
ここで一区切りしてお休みに入ろうという集まりの場でもあった。体が覚えていたものが、気持ちも離れる。友達の顔も見ないし、練習もできない。太鼓の音も入ってこない。体からリズムが離れていくのを感じた。ものすごく繊細、単純に叩くだけが太鼓じゃない。技術として育ってきていたが、少しずつリズム、打点も衰えている。「ああ体から離れていっているな」というのを感じた。父兄とも話し合ったが、涙で結論が出ない。休みにしよう、解散にしよう、区切りだから結論を出そう。
太鼓を置く場所もない。「浜通りじゃなく中通りの学校に太鼓を貸す」「置いてもらいながら、楢葉に持ち込むことができる日まで」というアイデアもあったが、みんな、貸したくない、どうしたらいいか分からないと結論は出ていない。ただ、1月のコンサートで「これはどこで習えるんですか」と言われたのは涙が出た。
◆子どもたちはわかっている
1月9日(のコンサートの時)に集まっていた小さい子どもたちに、気になっていたので聞いてみた。
「どうしてみんな会えなくなっちゃったの」
「どうして楢葉に帰れないの」
「帰りたくないの?帰れないの?」
そしたら全部子どもたちは知っていた。
「原発が爆発したんだよ、死んじゃうんだよ。楢葉にいたら」と1,2年生が言った。
「じゃあ帰らなくていいの」と聞いたら「帰りたいよ」と。
大人は東電を責めて、自分の悲しさやむなしさを言葉に出し話し合い、攻撃するような言葉を出すことで多少はコントロールできているが、子どもたちはどうやって心のコントロールをしているのかが心配だった。だが子どもたちは理由は分かっているのかな。
◆学力の低下
(教育の遅れは)うちだけじゃない。うちの子はそんなに転校させられないから、2〜3年は居る覚悟で学校を探した。みなさん何度も学校を転校しているので、そのたびに教科書の範囲も違う。みんな学力の低下がある。そして集中力がなくなる。それが学力低下に繋がっていると思う。
本来、昨年3月に行われるはずだった「卒業生のためのコンサート」は、震災と原発事故の影響で中止となり、うしお会の子どもたちは演奏の機会を奪われました。
しかし、町の方々の「太鼓を叩かせてあげたい」という声を受けて、昨年7月、コンサートは会場を東京に移して行われました。この日会場には、避難先から集まったたくさんの方が再会を喜び、うしお会は「また集まって太鼓を叩こう」と約束して、それぞれの避難場所へと戻っていきました。
それから半年後。うしお会は今年1月に、福島県いわき市で再びコンサートを開きました。
しかし、うしお会の太鼓指導をしている高原カネ子さんは、この時のコンサートは純粋に、再会を喜ぶだけのものではなかった、と話しています。
◆区切りを迎えた複雑な思い
1月9日のコンサートは一つの区切りという意味もあった。「もう一度地元で」とコンサートを開いたが、いわきには練習する場所もない。いわき市内で練習会場を探すのはとても大変。楢葉町であれば、隣の孫もやっているし8時9時まで賑やかでも目をつぶってくれたが、全然知らない他の地域ではなかなか望めない。
ここで一区切りしてお休みに入ろうという集まりの場でもあった。体が覚えていたものが、気持ちも離れる。友達の顔も見ないし、練習もできない。太鼓の音も入ってこない。体からリズムが離れていくのを感じた。ものすごく繊細、単純に叩くだけが太鼓じゃない。技術として育ってきていたが、少しずつリズム、打点も衰えている。「ああ体から離れていっているな」というのを感じた。父兄とも話し合ったが、涙で結論が出ない。休みにしよう、解散にしよう、区切りだから結論を出そう。
太鼓を置く場所もない。「浜通りじゃなく中通りの学校に太鼓を貸す」「置いてもらいながら、楢葉に持ち込むことができる日まで」というアイデアもあったが、みんな、貸したくない、どうしたらいいか分からないと結論は出ていない。ただ、1月のコンサートで「これはどこで習えるんですか」と言われたのは涙が出た。
◆子どもたちはわかっている
1月9日(のコンサートの時)に集まっていた小さい子どもたちに、気になっていたので聞いてみた。
「どうしてみんな会えなくなっちゃったの」
「どうして楢葉に帰れないの」
「帰りたくないの?帰れないの?」
そしたら全部子どもたちは知っていた。
「原発が爆発したんだよ、死んじゃうんだよ。楢葉にいたら」と1,2年生が言った。
「じゃあ帰らなくていいの」と聞いたら「帰りたいよ」と。
大人は東電を責めて、自分の悲しさやむなしさを言葉に出し話し合い、攻撃するような言葉を出すことで多少はコントロールできているが、子どもたちはどうやって心のコントロールをしているのかが心配だった。だが子どもたちは理由は分かっているのかな。
◆学力の低下
(教育の遅れは)うちだけじゃない。うちの子はそんなに転校させられないから、2〜3年は居る覚悟で学校を探した。みなさん何度も学校を転校しているので、そのたびに教科書の範囲も違う。みんな学力の低下がある。そして集中力がなくなる。それが学力低下に繋がっていると思う。