2016年4月4日
4月4日 大川小出身 佐藤そのみさん1
今週は、宮城県石巻市の佐藤そのみさんのインタビューです。
◆大川の何十年先のことを考えている
高橋:いま、大川小学校に来ていますけど、そのみちゃんはこの小学校出身?
佐藤:はい、ここであの子が転んだとか、ここで先生に怒られたなとか、ここで誰かに嘘をついたなとか、そういうちっちゃいことが結構鮮明に思い浮かぶんで…。でもいまはこの校舎を見て感じるのは、大川地区にこの校舎が残った何年、何十年先のことを考えることが多くなりました。
東日本大震災の地震と津波で大きな被害を受けた石巻市。市内の大川小学校では、全校児童108名のうち74名が死亡・行方不明となり、教職員も10名が津波の犠牲となりました。佐藤そのみさんは、そんな大川小学校の卒業生です。震災当時、中学2年生だったそのみさん。妹のみずほさんを大川小学校で亡くしました。
◆必ず残るものだとばかり思っていた
小学校のときに大川地区を舞台に映画を撮りたいなって思っていて、それは風景が綺麗だったからなんですけど、北上川の河口から数キロで、山、田んぼ、海、全部あるんですけど、それがすごく自然の恵みを与えてきたんです、例えば牡蠣の養殖だったり、田植えだったり。それが中学二年生のとき、震災で全部ダメになっちゃって。妹が当時大川小学校の六年生で、亡くなったかもしれないって噂で聞いたのが3月12日の夕方頃で、その時は、そんなわけないな、と軽く捉えていて。つぎの日の朝にお母さんと一緒に大川小学校まで車で行こうってなって、それで途中で通行止めになって、いろんな人が大川小のほうを見て泣いているんですよね。わけが分からなくて、その時通りすがりの、たぶん誰かのお父さんが「妹さんがあがったよ」って言われて、「あがったよ」ってなんだろうと思って…。その時は、道路に顔を伏せるようにして泣いたというか、立てなかった。そのあと、遺体安置所に通って、よく一緒にお風呂に入っていたから、安置所で泥だらけになって、服を脱がされて、横たわっている妹が受け止めることが出来なかったです。覚えてないです、本当に…。
高3の4月かな、2014年4月に大川小学校の校舎が、津波の被害を受けたままずっと残っていて、そこにいろんな人が足を運んで、手を合わせに来てくれていたんですけど、その校舎が早く壊して欲しいっていう、地元に人が結構いるんだっていうのをそのときお父さんの口から聞いて。それはびっくりして、私は必ずあそこは残るものだとばかり思っていたから、これは誰かが言わないと壊されちゃうと思って、それが結構大きなきっかけ、変わったタイミングかなって思います。
佐藤そのみさんは、先週ご紹介した佐藤敏郎さんの長女。2014年から後輩の卒業生と共に「大川小保存」の呼びかけを始め、
今年2月には地元で行われた「保存・解体」をめぐる市民公聴会でも意見を発表。そして先日、石巻市として「大川小保存」の方針が示されたことは番組でもご紹介しました。
「LOVE&HOPE」明日も佐藤そのみさんのインタビューをお届けします。