2017年11月20日

11月20日「福島の声を聞こう」木村紀夫さん(1)

今週は、作家の渡辺一枝さんが東京で続けているトークイベント『福島の声を聞こう』から、双葉郡大熊町出身、木村紀夫さんの声をお届けします。
 
木村さんは東日本大震災の津波で、父と妻を亡くし、次女の汐凪ちゃんも行方がわからない状況が長く続いていました。原発事故の影響で十分な捜索ができないなか、長女と二人、長野県白馬村に移り住んだ後も木村さんは単独で次女の捜索を続け、昨年11月には重機を入れた捜索が始まります。

そして昨年12月。自宅近くのがれきのなかから、汐凪ちゃんが見つかりました。震災から5年9カ月。それは、娘を探し続ける日々でした。

◆ずっとがれきが気になっていて。
捜索を始めるといっても大熊にはなかなか入りにくい状況の中で、はじめて自衛隊が入ってきちんと捜索してくれたのが、2011年5月20日ぐらいでした。自分の部落の津波があがったところのがれきを片付けながら、捜索が一週間行われた。それでも娘は見つからなかった。そんな中、大熊町の住民に対する一時帰宅の機会が7月からもらえるようになって、始めて大熊に入って自分の手で探した、というのが2011年の秋でした。
そして2012年6月にがれきの山から、震災当日汐凪が履いていた靴が見つかったが、そこから大規模な捜索になるようなことはなかったんです。最終的に、汐凪はそこから見つかったわけで、そのときにしっかり自分が重機などを入れてここを探してくれと言えば、その時点で見つかっていたんだと思うけど、残念ながらそれをお願いすることはできませんでした。
その後も一人での捜索をずっと続けていました。一時帰宅の機会も徐々に増えるようになって、年10回になり、年15回になり、現在は年30日入れる。滞在時間も一人5時間。2013年まで一人で捜索を続けました。捜索を続けているボランティアの方もいたが、自分のほうから、捜索を手伝ってくれといえる場所ではなかったので、誰にもお願いできないなか、唯一「放射能なんか関係ねえから、一緒に探させてくれ」と言ってくれたのが、南相馬の上野敬幸さんでした。ご自身でも家族4人を亡くされて、お父さんと長男はまだ見つかっていない状況で。それに対しても自分は半年くらい悩んだが、最終的に、他にすがるものもないし、そういってくれるのならと、上野敬幸さんとそこに集まるボランティアの方に、一緒に入って捜索してもらったのが、2013年9月。すでに靴が見つかっているから、ずっとがれきが気になっていて。自然とがれきでの捜索が始まりました。


木村さんの次女汐凪ちゃんは、大熊町の最後の行方不明者でした。  
木村さんの自宅は福島第一原発から3キロの距離にあるため、捜索が遅れたこと。そのような状況の中で、どのように捜索を続けてきたかを話してくださいました。重機を入れた大規模な捜索に至った経緯とは、どんなものだったのか。明日も木村紀夫さんの声をお届けします。

パーソナリティ 鈴村健一

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