2018年6月18日

6月18日 南相馬市小高区「フルハウス」(1)

今週は、福島県南相馬市小高区に「フルハウス」という本屋さんを開いた芥川賞作家、柳美里(ゆう・みり)さんのインタビューをお届けします。

福島第一原発から20キロ圏内の小高区。2016年7月に避難指示が解除されましたが、住民の帰還は進まず帰還率は20%弱にとどまっています。電車を待つ高校生が時間をつぶせる場所、立ち寄れる場所を作りたい!と開いた本屋さん。ちなみに「フルハウス」は、柳美里さんが初めて出版した本の名前です。一軒家を改築した温かみのある外観と内装。本棚には、柳さんの友人である24人の著名な作家や映画監督などが推薦する本がメッセージのポップ付きで並んでいます。

いまは南相馬の住民でもある柳美里さん。福島とのかかわりは、震災直後から始まりました。

◆ダムの底に沈んだ集落と重なった
2011年4月22日に原発から半径20キロ圏内が警戒区域に設定されるというのをニュースで聞いて、その前日の4月21日に来てから私、福島県に縁がありまして。母が会津の南会津郡只見町というところで中学高校時代を過ごしたんです。こちらは浜通りなんですけど、浜通りが“原発銀座”と呼ばれる地域だとしたら、南会津郡只見町のあたりは“ダム銀座”と呼ばれていて、只見ダム、奥只見ダム、田子倉ダムという大きなダムが有るんですね。高度経済成長期に首都圏に電気を送るために作られたダムなんですけど、その話を小さい頃から聞いてたんですね。ダムの縁に立って、“ここには家があって、学校があって、川が流れていて、丘があって、大きな桜の樹があって、お墓もあった”というふうに、湖面を見ながら母が指さすんですね。で、“ここにはたくさんの人の悲しみが眠っているから、あまり近づかない方がいい”と母が言ってたんです。そして原発事故が起きて、半径20キロ圏内が警戒区域として立ち入りが禁止、制限されるというニュースを聞いて、田子倉集落というダムの底に沈んだ集落と重なったんですね。ダムの底に沈んだ集落へは行くことは出来ないけど、警戒区域として閉ざされる前だったら行けるのではないかと思って、4月21日にニュースを鎌倉の自宅で聞いて、すぐに向かったんです。楢葉の検問所から入って、夜の森の桜並木を歩いて、そのあたりで日が落ちて、浪江小学校、請戸港まで行けなかったんですけど、家が倒れたり家財が道に倒れ掛かっていて。そのあたりで時間が0時をもって警戒区域として閉ざされるということだったんですけど、0時になってしまったんですね。で、福島第一原発の正門前に行って、そこから楢葉の検問所に抜けたというのが最初です。当時は、私はこんなに早く解除されると思ってなかったんですね。30年40年と立ち入ることが出来なくなるのではないかと思っていたので、いま見ておかなければ、もしかしたら私が生きている間は見ることが出来ないというふうに思って、見る、知る、という気持ちの方が勝っていましたね。


2011年4月のあのタイミングで、原発20キロ圏内に向かったその決意と、それから移住までしてしまう経緯については、明日以降お伝えします。

パーソナリティ 鈴村健一

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