2018年9月26日

浪江出身・原田功二さん1

今朝は、福島県・浪江町を離れ、今年の春、茨城県つくば市で生活再建を始めたばかりの、一人の男性に焦点を当てます。


原田功二さん(42)。ご出身は千葉県ですが、東日本大震災当時は福島県・浪江町の住人として、地域に溶け込み、ごくあたりまえの日常を送っていました。千葉県の大学に通っていた原田さんは、「就職難でどうしようかなと思った時に、妻の実家に行くのも悪くないな思ったんです。腕を磨いて、手に職をつけてと考えてメガネの専門学校を経て妻の実家のほうにお世話になった感じです。」と話します。そして原田さんは25歳で浪江に移住。奥さんのご実家である浪江の眼鏡店で働いていました。

そして、浪江といえば、番組でも紹介したご当地グルメ「なみえ焼きそば」の町。最初は奥さん以外に知っている人もいない土地でしたが、原田さんもいつしか町に馴染み、なみえ焼きそばの町おこし団体で地域活性に関わるようになっていたそうです。

そんな中で起きたのが、東日本大震災、そしてあの原発事故でした。
原田さんを始め、なみえ焼きそばのメンバーは、全国に避難した浪江の人たちのために、活動をスタート。各地の復興イベントやグルメイベントに、手弁当で参加し続けました。

◆なみえ焼きそばがつないだ絆
もともと商工会青年部の人たち、浪江焼麺太国(※なみえ焼きそばの町おこし団体)メンバーがみんな自営業だったりしたので、すぐさまお店を再開できる方がほとんどいなかったんですね。でも町おこしをやっていた仲間なので何かしら町に何かしたいと言う気持ちはもちろん強かったのでそこからですね。僕らがなみえ焼きそばのことを仲間と話す中で、町の人たちを勇気づけられないかと、自然と私が事務局のような役割をし始めて。各地に避難している方がいたのを知っていたので、なみえ焼きそばと言う言葉が世に広まって、避難している方たちの元気につながればと活動の輪を広げていった。できることをやっただけですね。でも、町民の方に元気を与えるというか逆に、その活動が仲間と会う大切な時間でもあって、そこでこれからのことを話すことができて、それが精神的な安定にもつながっていたのかなと思います。


こうした活動が、多くの人に伝わった結果、なみえ焼きそばは、2013年にB1グランプリで優勝を果たしました。
「なみえ」という名前が、明るい話題とともに全国に広まったこのニュース、覚えている方も多いハズ。

ただ、その一方で、原田さんご自身の「生活再建」はなかなか進まなかったと言います。この続きは明日のこの時間にお伝えします。

パーソナリティ 鈴村健一

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