~国立代々木競技場第一体育館 ('06/3/5)~
update : 3/14

ライヴに行けなかった子達がこのライヴレポをどれほど楽しみにしているのか、またライヴに足を運んだ子達がどのような気持ちでこのライヴレポに目を通すのか、そんなプレッシャーに押し潰されそうになりながら書き始めたこのライヴレポートも、一文字一文字入力するごとに終りへと近付いています。どれくらい伝えることができたのか、できなかったのか、今も「ごめんなさい」の気持ちが心に同居しています。でも、ライヴ会場やSOLの掲示板を訪れたとき、沢山の人があったかい声をかけてくれて、その度に嬉しかったです。「ありがとう」の気持ちを最後のレポートに込めたいと思います!

『run rabbit run』最終日。青空が広がり太陽の光が心地良い一日だった。季節を感じると、ツアーが始まったあの日が遠い昔のようにも感じられる。小雪の舞う日もあったし、確か雨の日もあった。しかし、どんな悪条件の天気の中でも、ライヴ会場に足を運ぶお客さんは、常にパワフルで熱気があって、なおかつ幸せそうだった。

ライヴ-----------
1曲目「カルマ」の始まりとともに、ステージ上方に設置された4つの巨大ビジョンに、BUMPのメンバー1人1人が映し出された。セピア色のメンバーたち。その瞬間、会場から歓声とどよめきが沸き起こる。渇望から生み落された歓喜の声。生み落とされたものへの響き。それらのものが「カルマ」という曲に更なる色を添え、CDでは味わえない“生きた音たち”に体がゾクゾクするのを感じた。ステージ上のメンバーの背後には、赤いライトが白いスモークに色を点し、炎のように燃え上がっている。観客は拳を突き上げる。スピード感溢れるこの曲はそこにある全てのものを巻き込んで天に噴きあがる勢いだった。

「stage of the ground」は、正直驚いた。曲の始まりからお客さんの手拍子が升くんのドラムにぴったり合わせるように揃っていたからだ。その手拍子は何の迷いもなく力強くて・・。その上、藤原くんの唄いだしを迎え待っているような、包み込むような温かさもあった。これにはちょっと鳥肌ものだった。手拍子はまさにプリミティブな楽器そのもの。以前、BUMPのメンバーがこのように語っているのを耳にしたことがある。「お客さんが立っている場所もステージなんだ」と。「だから目一杯自分を表現してくれよ」と。今、私の目の前に沢山の表現者がいる。その光景が眩しすぎて、ちょっと泣きそうになっちゃいました。

ライヴで聴く「リトルブレイバー」は、藤原くんがギターのアルペジオで奏でるライブならではの前奏なくしては語れない楽曲だと思う。楽器から紡ぎだされる音に、これほどまでに感情が宿るなんて不思議だ。深い底に沈んでいくような、飲み込まれていくような、それでいてとても気持ちよい感覚に包まれる。どうすればこんな音がでるんだろう?感情が指先まで伝わっているから?心で弾いているから?楽器が語っているようにも唄っているように聴こえる。

オレンジ色の光のシャワーが降り注ぐ中、演奏された「embrace」は、最後の歌詞がいつもとは、違う詞で詠われていた。“―確かなものに、さわれただけー”藤原くんは最後にそう心を込めて歌っていた。歌いながら、藤原くんも生きているものを見つけ、温もりに触れたのかもしれない、それが最後の詞となって溢れ出てきたのかもしれない。藤原くんの感じた「今」を、きっと多くの人が一緒に感じ受け止めていたはずだ。目の前で涙を拭っている人たちの背中を見つめながら、そんなことを思った。

時には観客に向かって叫び、激しくジャンプし、感情を体全体で表現する直井くんは、溜息がでるくらい美しい楽曲「プラネタリウム」で気持良さそうに瞳を閉じてベースを弾いている姿が印象的だった。MCでお茶目な発言を連発してくれる増川くんは、詩の世界に魅了される「太陽」で、憂悶する僕の心情を、優しくギターの音に宿らせていたと思う。ライブ中一言も発することをしない升くんは、ビジョンに映る真剣な眼差しとドラムさばきがカッコ良くて、ドラムに対する愛念も放出しているかの様だった。そして藤原くんは、このライブで歌い終わるごとに何回の「ありがとう」を言ったのだろうか。.「supernova」で「~本当のありがとうは ありがとうじゃ足りないんだ~」と歌う彼。その彼が発する“ありがとう”の言葉の重みを、お客さんは静かに受け止めていた。

「ツアーが最終日になりました。だいたいのことを覚えてないんだけど、1コだけ覚えてる。このツアー中にバンドが10周年を迎えました!」藤原くんは途中MCで『BUMP OF CHICKEN』が結成10周年を迎えたことを告げた。アンコール曲で必ず歌われてきた「ガラスのブルース」も10周年を迎えたわけだ。
しかし、何年の歳月を経ても「ガラスのブルース」は古びることはなく、常に「今」を叫んでいる。
彼らが叫び続ける限り、私たちは彼らの音楽にいつでも出会えるんだ。
そして、私たちの日常がある限り、私たちは彼らの音楽にいつでも触れることができるんだ。

Report: 池田真理子 (THE BIG ISUUE)