福原美穂
福原美穂
1994
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1994年は他にも名曲がいっぱい。斉藤和義「歩いて帰ろう」他9曲チェックしてね! <
福原美穂の “はじまりの歌”
Mariah Carey 「恋人たちのクリスマス」
(1994年リリース)
album『MERRY CHRISTMAS』より


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(福原美穂)Mariah Carey 「恋人たちのクリスマス」は、
私のデビューのきっかけにもなった曲なんですけども、
出会ったきっかけは、お姉ちゃんがマライア・キャリーが好きで、
ずっと聴いていて、そこから影響を受けて、この曲を知りました。

地元札幌のTVで夕方にカラオケ企画をやっている番組で、
クリスマスの週にその番組に出て、「恋人たちのクリスマス」を歌って、
賞金をもらいまして、その賞金で妹たちにケーキを買って、
クリスマスパーティーをしたんです。

この番組のビデオを後々レコード会社の方が見ることになって、
それが、デビューのきっかけになりました。

「恋人たちのクリスマス」は、私のはじまりの歌です。

福原美穂の“はじまりの歌”
Mariah Carey 「恋人たちのクリスマス」
山内総一郎
フジファブリック
フジファブリック 山内総一郎
1994
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1994年は他にも名曲がいっぱい。斉藤和義「歩いて帰ろう」他9曲チェックしてね! <
フジファブリック
山内総一郎の “はじまりの歌”

鈴木慶一 「サターンバレーのテーマ」
(1994年リリース)
album『MOTHER2 ギーグの逆襲』から


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(山内総一郎)名作中の名作と言われる『MOTHER2』という
ロールプレイングゲームがありまして、その中で、
サターンバレーという街で流れる曲が、「サターンバレーのテーマ」です。
この曲は、ゲームなので、もちろんインストです。

このインスト曲がなぜはじまりの歌なのかというと、
94年と言うと僕が12歳なんですけども、
その頃にゲームをよくやっていて、この曲に自分で歌詞をつけて、
カセットレコーダーで録音していたんですよ。

なんともいえない曲で、これまでどこでも出会ったことがないような曲で、
今、僕が音楽を通してやっていることと同じことをやっていたんですね。

それが自分にとって音楽の “原体験” だったな、と。

その頃のテープは無くなって、歌詞もないんですけど、
「サターンバレーのテーマ」が音楽の原体験であり、
歌詞をつける楽しさも知りました。

山内総一郎の“はじまりの歌”
鈴木慶一 「サターンバレーのテーマ」
山口智史
RADWIMPS
RADWIMPS 山口智史
2001
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1994年は他にも名曲がいっぱい。斉藤和義「歩いて帰ろう」他9曲チェックしてね! <
RADWIMPS
山口智史の “はじまりの歌”

X JAPAN 「Rusty Nail」
(1994年リリース)
single『Rusty Nail』から


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(山口智史)中学2年生の頃。部活の仲間に「バンドをやろう!」
と誘われたんです。そのバンドのギタリストとベーシストが、
X JAPANが大好きで、僕はドラムとしてX JAPANのコピーバンドに加入して、
そのバンドで最初に演奏した曲が、X JAPANの「Rusty Nail」でした。

「Rusty Nail」はドラムソロのパートがあって、
ドラム初心者的には、だいぶハードルが高い曲だったと思います。

でも、なにしろ全てが初めてだったんで、「やるしかない!」という気持ちで、
譜面を見ながら、必死にドラムソロの練習をしていました。

今、思うと全く演奏できてなかったんですけど……
ただ、ドラムソロも含めて、


“曲を1つ、コピーできたっていう喜びと満足が、
その後、いろんな曲に向かっていく自信につながった”


と、今振り返ると、思います。

山口智史の“はじまりの歌”
X JAPAN 「Rusty Nail」
喜多建介
ASIAN KUNG-FU GENERATION
ASIAN KUNG-FU GENERATION 後藤正文
2001
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1994年は他にも名曲がいっぱい。斉藤和義「歩いて帰ろう」他9曲チェックしてね! <
ASIAN KUNG-FU GENERATION
喜多建介の “はじまりの歌”

奥田民生 「愛のために」
(1994年リリース)
single『愛のために』から
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(喜多建介)1994年、高校3年生。
「この先どうしていこう…大学行って何しようかな???」
と思っていた頃に聴いたのが、
奥田民生さんのソロ・デビューシングル「愛のために」でした。

音楽聴くのはそれまでも好きだったけど、
自分でギターを買って弾いてみたいとだんだんと欲が出始めた頃で、
そんな時に「愛のために」を聴いて、
奥田民生さんが持っているレスポールというギターがカッコ良かった。それで、

「僕もレスポールを持とう! 大学入ったらバンドを組もう! 」

…とワクワクしたのを憶えています。

それから大学に入って初日に軽音部で後藤正文に会って、
音楽の趣味の話になったんです。

後藤も奥田民生さんが大好きで、そういうところでも意気投合して、
ASIAN KUNG-FU GENERATIONを結成できた、という逸話もあります。

喜多建介の“はじまりの歌”
奥田民生 「愛のために」
後藤正文
ASIAN KUNG-FU GENERATION
ASIAN KUNG-FU GENERATION 後藤正文
2001
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1994年は他にも名曲がいっぱい。斉藤和義「歩いて帰ろう」他9曲チェックしてね! <
ASIAN KUNG-FU GENERATION
後藤正文の “はじまりの歌”

Oasis 「Live Forever」
(1994年リリース)
album『Definitely Maybe』から
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(後藤正文)1995年。僕は東京に上京していて、
当時つるんでいた福島県の友達から、1年前にリリースされた
Oasisのファースト・アルバム『Definitely Maybe』を
貸してもらって聴きました。

最初の2曲はそんなにピンと来なかったんですけど、3曲目なんですよ。
「Live Forever」の曲のイントロのドラムパターンにドキっとして、
その後に“Maybe” と歌い出すんです。

その声が本当に良くて、ずっと入ってきて、なんていい声なんだ、
なんていいバンドなんだ……。

そこで初めて気付いて、それ以来Oasisが大好きで、
とにかく影響を受けて、ギターを弾きたいと思ったし、
バンドも組みたいと思ったのもOasisのおかげです。

多分、Oasisに出会っていなかったら、
僕はいまだにバンドをやろうと思ってなかっただろうと思います。

後藤正文の“はじまりの歌”
Oasis 「Live Forever」