JASRACは今から約80年前の昭和14(1939)年に非営利の社団法人として設立されました。それではJASRACに著作権を預ける契約を結んだ作家の第1号は、誰でしょう。

A 山田耕筰
B 宮沢賢治
C 島崎藤村

正解は、【C】島崎藤村

JASRACは西条八十、中山晋平や古関裕而など当時の日本を代表する作詞家、作曲家らが発起人となり1939年11月18日に大日本音楽著作権協会として設立されました。翌年から音楽著作権の管理を開始し、初年度の使用料徴収額は28,201円62銭でした。このJASRACに著作権を預けた第1号が詩人、小説家として有名な島崎藤村でした。島崎藤村は小説「破戒」や「春」などで有名ですが、彼の詩は歌としても親しまれており、『椰子の実』は1936年に国民歌謡の一つとして大中寅二によって作曲されるなど、現在に至るまで愛唱されています。JASRACが設立された当時、日本では「著作権」という言葉はほとんど知られていませんでしたが、現在では、約18,000の作詞家、作曲家、音楽出版社などから、著作権の管理委託を受け、コンサートやお店での演奏、ネット配信などさまざまな形で利用される音楽について、「音楽を使う人」の窓口になっています。