閃光ライオット

2008年08月05日

光を放つ。


やんもと言いますが。

萩原朔太郎を、僕は特に好きではありませんが、
萩原朔太郎の詩の中に、好きなものがあります。

どうですか。この偏差値が中途半端に高い書き出しは。
逆にアホっぽいすね。

生徒にはどこかでしゃべった気がするなーとずっと思ってたら、
そうでした、確かユニバで言ったんだっけ。懐かしきユニバ。
僕の最後の日記が、この詩の引用だったかもしれません。
あのとき、みんなには完全に口ポカーンでシカトされまして、
若干の寂しさがありましたけど、そりゃそうかと思って反省しました。
字が難しかったもんねー。ごめんなさい。


"SENTIMENTALISM"という題の散文詩があります。

難しいところは全部省いて字もやさしくして引用します。

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手を磨け、手を磨け、手は人間の唯一の感電体である。
自分の手から、電光が放射しなければ、うそだ。

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未来は暗闇です。一寸先は闇、とは良く言ったもんで、未来とは、闇のことです。
どこまで行ったって未来に光なんてない。未来に鍵なんて落ちてない。

その理由はカンタンです。
あなた自身しか、生徒であるあなた自身しか、光を放つことはできないからです。
あなたが小さな小さな光を放ちながら、暗闇の洞窟を一歩ずつ進んでいく。
その姿こそが、あなたがたが未来と呼ぶものであり、実は未来じゃないものです。

あなたの光は、『未来』を『今』に変える光です。
未来なんてどこにもない。
あるのは、あなたが放つ『今』という閃光の連続。


他人が放つ光は、時にはまぶしく、目をそむけたくなる。
自分よりも、あいつのほうが光ってる気がして、嫌気がさす。
あいつらには音楽の才能があって輝いてて、
自分は歌もギターも作曲も下手で、何もかも放り投げたくなる。

期待されるよな命じゃなーい。


あなたが放つ光は、あいつを威嚇するために使うもんじゃない。
あいつが放つ光は、あなたを威嚇するために使ってるわけじゃない。
自分自身の道を照らすために使うものです。


光とは、才能のことではない。
光とは、あなたが何かを求めて、何かを叫びたくて、思いきり伸ばした手の先から放たれるもの。
好きな人、好きなモノ、好きなこと。誰かに伝えたいこと、届けたいキモチ。
大声で叫べますか。
今は叫べなくてもいい。でもその気持ちは捨てないで、腐らせないで、大事にしてください。
叫べないときは、代わりに思いきり手を伸ばして、空を指差してください。


ギターテクニックには限界がある。
でも、好きだって気持ちに限界はない。誰にだって負けない。
どこまでも大きく育てて、大きく飛ばしてください。
そしたら、他人の光を見て、ああ、あいつのもキレイだなー…って、思えるから。


閃光ライオットはオーディションじゃない。コンテストでもない。イベントでもない。
主役は校長教頭じゃない。ファイナル出演アーティストでもない。

「私も、何かやりたいって、思っていいのかな…」

一瞬でもそう思ってくれたあなたの、ドキドキそのもの。つーか、それでしかない。

僕たちが今、こうやって大きなイベント的なものをやらせてもらえるのは、
すべて、そんなあなたのおかげです。みんなのおかげとかフワっとしたことは言わない。
あなたのおかげです。東京ビッグサイトに来られない、あなたのおかげです。
いつも東京でばっかしやってごめんね。


僕はそんなあなたのために8月10日を思いきり楽しみます。
手を空に伸ばして、あなたに「ありがとう」を言うために楽しみます。
来れる生徒は、僕に負けないぐらい楽しんでください。

で、ヤバイと思ったら、「やんも、水くれ」って声かけてください。
呼び捨てにした罰として、頭から水ぶっかけてあげます。
熱中症に注意。


長文失礼。ビッグサイトで会いましょう。




SCHOOL OF LOCK!
やんも




投稿者 toukousya:06:41