SCHOOL OF LOCK! MIRAI SHINBUN 2016
朝8時20分。車で仙台市から石巻市へと向かっている。ラジオネームおれんてぃに会いに行くためだ。正直、緊張している。被災地に来るのは初めてだし、会って何を話していいのかわからない。「あの日、何を思った?」なんて、失礼なんじゃないかとか、津波の恐怖を知らない自分が無神経な事を聞いてしまうんじゃないかとか。あと、5年間も被災地に来てなかった自分が恥ずかしいというか情けない気持ちもある。来るのが怖かったのかも。
車で走っていると街はきれいで、このすぐ近くで津波の被害があったなんて少しも感じない。石巻が近くなって、高速の道を進んで、開けた景色の所へ出てきた。どこまで波が来たんだろう。石巻の市内で、子供達が元気に走っているのを見かけた。少し、なぜだかホッとした。街の様子は思った以上にキレイだった。どこまで波が来ていたのかはわからないけれど、少なくとも僕にはそう見えた。ただ、新しい家が多い気がする。
少し入り組んだ道に入ると、仮設住宅が目に入ってきた。ドキッとした。テレビとかでは見てたけど、当たり前の様にどこにでもあった。やっぱりここまで波が来ていたのかとその時実感した。仮設住宅は無機質に見えた。
渡波駅にて、おれんてぃと合流。話を聞かせてもらった。震災の頃の話を聞いていいのかわからなかったけどおれんてぃに会って、向こうが会えた事をとても喜んでくれて少し気が楽になった。
おれんてぃの未来新聞 2016年の記事
あしざわ教頭:(おれんてぃに手渡されたアルバムを見ながら)これは地元の新聞?
おれんてぃ:はい。お父さんが全部切り取って、集めてました。これは、すぐそこ、です。缶の工場があったんです。
おれんてぃ:いえ…。お父さんがこれ(震災関連の記事のスクラップ)をしてる事も知らなくて、今日のことを話したら持って行きなって言われてはじめて見ました。
あしざわ教頭:そうなんだ…。ありがとう。お父さんにも、ありがとうって、伝えておいてね。
おれんてぃ:あの時、小学校4年生だったんですけど、下校途中で地震がおきて、揺れが収まった後、学校のサイレンが鳴って、校庭に避難しました。その時は何が起こってるかわからなかったです。その2日前ぐらいにも地震があったんですけど、それよりも大きかったんで、これはやばいな、と思いました。校庭に避難してたら、お父さんが歩いて迎えに来くれて、家に帰りました。そしたらちょうど家族が車の準備してたので、その車にすぐ乗って、一回山の方に逃げました。でも、車のガソリンがなくなって、ガソリンスタンドが近いからっていって、一回戻ったんですね。そしたら、ちょうど曲がった時に後ろから波がきたんです。よくヘリコプターとかから映されてるゆっくりな波なんですけど。すぐに、お父さんがハンドルをきって、急いで山の方に逃げて助かりました。雪も降ってたんで、すごく寒かったです。
あしざわ教頭:今でも寒いのに、これで雪か…。その後はどうしたの?
おれんてぃ:そこには一晩だけいて、次の日に小学校に行って、3日ぐらい泊まりました。
あしざわ教頭:その時はどんなことを思ったりしてたのかな?
おれんてぃ:津波が来てるのはわかってたんですけど、家がどうなってるかもわからないし、友達の安否もわからなかったんで、不安でしたね。
あしざわ教頭:ごはんとかは大丈夫だった?
おれんてぃ:小学校にヘリコプターが食料を持ってきてくれて、みんな体育館に集まるんですけど、子供優先なんで、子供がひとり一個おにぎりもらって、それを家族でわけて食べました。その後、お父さんのお姉ちゃんが迎えに来てくれて、親の実家に避難してそこで1年間過ごしました。そのまま小学校も転校になったんですけど6年生になってここに戻ってきました。
おれんてぃ:中学は(津波の)被害にあってなくなってしまったんで、今は仮設校舎で過ごしてます。
あしざわ教頭:仮設校舎は通っていて、どう?
おれんてぃ:体育館は隣の小学校とか中学校を借りたりしてるんで部活が毎日できなかったりします。バトミントン部なんですけど、打てるのは週2だけであとはランニングです。あと、みんなバスで通ってます。
あしざわ教頭:こうやって来させてもらうにあたって、いろいろ話を聞いていいのかな?って思ってたりもしてて…。今聞いちゃったけど、喋るのもつらいよね。
おれんてぃ:つらい…ですね。でもこの震災のことを、忘れないでほしいし、亡くなった人のこととか、まだ苦しんでる人もいるし、伝えていかないとな、って思ってます。
あしざわ教頭:いつからそう思えるようになったのかな?
おれんてぃ:中2ぐらいから、ですかね。それまではあんまり理解してなかったっていうか、深く考えなかったです。でも、Youtubeとかで震災の動画を見たりして、忘れちゃいけないことだなって思ってきて、はい。
あしざわ教頭:今回はじめて実際に震災の被害があった場所に来させてもらったんだけど、正直、実感がなかったの。すごく街も綺麗だったし。
おれんてぃ:5年ですごく変わりました。前は田んぼが多かったりしたんですけど、復興住宅が建ってきたり、中学校が新しくなったり、風景が変わってきました。
あしざわ教頭:いろいろ変わっていってると思うんだけど、正直どういう風に感じてるのかな?
おれんてぃ:復興していくことはすごくありがたいことなんですけど、やっぱり震災前の風景を思い出すと悲しくなったりしますね。
あしざわ教頭:おれんてぃは、今海がすごい近くにあるこの街に住んでるわけじゃない?
海が悪いわけでもない。でも、海で怖い思いもしたよね。
おれんてぃ:海は怖い時もあるけど、海が好きなんで、(別の場所に避難してる時も)戻って来たいなって思ってました。海の近くにずっと住んできたし、懐かしさっていうか、波の音が聞こえると安心するっていうか。生まれ育ったとこだなーって感じがします。
あしざわ教頭:おれんてぃは、今後ってこうなったらいいなとか、自分が描いてる未来ってある?
おれんてぃ:今はまだ自分の夢がなくて…。なので高校に入ったら自分のしたいことをして夢を見つけていきたいです。
あしざわ教頭:絶対見つかると思うな。高校でもバトミントンは続けるの?
おれんてぃ:はい!
あしざわ教頭:バトミントンしてる時は楽しい?
おれんてぃ:楽しいです!
おれんてぃが、あの日の事を丁寧に話をしてくれた。恐かった事、辛かった事、色々と聞いていると「そりゃあ、そうだよな」って思った。文字にするとアホっぽいけど今までテレビで聞いたインタビューよりも、納得?理解できた。たぶん、その場所で、体験した本人に聞いたからだと思う。
「そぐそこで波が…」とか「向こうの山で…」とか、言葉を聞くたび本当にここで起きていたんだなって。そして、海を見に行った。ビックリするほどキレイだった。ホントに。
その後、ラジオネーム ともぼー☆の所へ。
もともと震災後、仮設に住んでいたが、ようやく新しい家へ。
ご両親が営んでる飲食店で話を聞いた。
互いにちょっと緊張していたけど、好きな音楽の話をしていると、打ち解けてきてその瞬間、友達と話をしている様だった。
けれど震災の話になると、ともぼー☆の顔がこわばっているのが印象的だった。想像もつかない恐怖があったんだ。
そんな話をしてくれる、ともぼー☆にありがたいと思うと同時に申し訳ない気持ちにもなった。
ともぼー☆の未来新聞 2016年の記事
ともぼー☆:とーやま校長が校長に就任して1週間後です。まんまとハマってヘビーリスナーになりました。「叫べー!」で、そのままベッドにダイブしたり(笑)。聴き始めてから好きな音楽も広がってライブにも行くようになりました。
あしざわ教頭:ともぼー☆は21歳だから6年前か!ともぼー☆はこの未来新聞をはじめて発行した2014年から記事を送ってくれてるんだけど、最初に記事を書こうと思ってくれたのはどうしてなの?
ともぼー☆の未来新聞 2014年の記事
あしざわ教頭:僕は、震災があってから今回はじめて来させてもらったんだけど、今、街も綺麗だよね。
ともぼー☆:そうですね。新しく街ができたところは綺麗だったりもするんですけど、海に近いところ…私が昔住んでいたところは、海から200mしか離れてなかったんですけど、そういったところは、草が生い茂っていて、時間が止まったままだなっていう感じです。
あしざわ教頭:ともぼー☆は、震災が起きてからずっと仮設住宅に住んでたんだよね。
ともぼー☆:震災が起きた年の9月から、去年の5月まで住んでました。仮設はやっぱりすごい狭かったですね。何より夏はサウナで、冬は冷蔵庫だし。隣の音も聞こえてきますしそういった意味での窮屈さっていうのはありました。
この家が完成して、自分の部屋をはじめて持ったんですよ!ギターやったり、パソコンやったりとか、周りを気にせず自由にできる空間ができて余裕ができた感じは、あります。
あしざわ教頭:あの日から、もうすぐ5年が経とうとしてるんだけど、今はどういう感覚?
ともぼー☆:…3月11日っていう日をどう過ごしていいか、まだわからないんですよ。
その日に向かって、日常が進んで行く感覚はあるし、(3月11日も)いつもどおりの日常のはずなんですけど…。去年はじめて普通に学校に行って笑って過ごして、もやもやした部分もあったんですけど、この日はこうやって過ごせばいいんだっていうのを、はじめて少しだけ感じました。
あしざわ教頭:それは日常が戻ってきてるっていうことなのかな?
ともぼー☆:んー…。震災があって「日常」が「非日常」になって、5年という時間をかけて、その非日常に慣れようと必死に生活してきたんですけど、日常が戻ってきたらその戻し方がわからなくて。戻さなくてもいいのかもしれないですけど、元の感覚がリセットされてしまったんで。3月11日になると(日常を)どう過ごしていいかのかっていうのを特に感じますね。
今も地震がくると怖いんです。物音だったりちょっとした振動でも体がビクッとして気持ちが落ち着かなくなったりしますし、地震の夢を見た次の日はしんどいものがあります。
ともぼー☆:学校にいたとき(ともぼー☆は高校を卒業後、東京の専門学校に進学。)は友達としゃべったり学校生活の中であったりもしたんですけど、社会にでて働くようになって、友達と会うことが極端に減って寂しいです。でもその分久々に会うと楽しいし、石巻にライブハウスがあるので好きなアーティストがきたら見に行ったり、仙台とか遠いところにいくようになったりして、楽しみを見つけたりしてますね。
あしざわ教頭:最近は誰のライブにいったの?
ともぼー☆:最近は東京スカパラダイスオーケストラのライブに行きました。すっごい楽しくて贅沢な時間でした!
あしざわ教頭:これまで、テレビのインタビューとかを見てても、そういうことが起きてるんだな、っていうのは理解してるんだけど、どこか感覚として距離をおいてる自分がいたんだなと、思っていて。腫れ物を触ってしまうっていう感覚がどうしてもあったんだけど、多分僕みたいに思ってる人…無意識に興味を持たないようにしちゃってるっていう人もいると思うんだけど…。
ともぼー☆:なんていえばいいのかな…。去年の逆電の話になっちゃうんですけど、去年逆電したときに、二人の声は聞こえてくるんですけど、なんかどこか、あしざわ教頭が遠い感じがしたんです。でもその次の日の放送で、今教頭が言ったことを話していて、あぁそういうことだったんだって。悲しいとかじゃなくて、「あ、そういうことだったんだ」って納得したんです。そう思う人もいるんだってちゃんと自分の耳で聞いてわかったし、こうやって関心を持ってくれるだけでもすごくありがたかったです。
私も教頭の立場だったら、そういう風になってしまうかもしれないし…。同じ石巻でも被害の状況っていろいろ違うんですよ。大変だったよねって、一概には言えない部分もあって。教頭の立場だったら無難な返事とか…無難な話題ではないけど、そうなってしまうなっていうのは思ってました。
こうやって来れて、話ができて、すごく嬉しかったです。ありがとう。
ともぼー☆:こちらこそ。来てくれて、本当にありがとうございます。こうやって話せたのも、そう思ってくれたのも嬉しいです。
東京から石巻までって、すごい遠いじゃないですか。だから簡単に「遊びにきてよ」なんて言えないんですけど、でも、こうやって足を運んでくれるのもありがたいし、もし東京とか、宮城から離れたところでも石巻や宮城のものを手にとってくれたときに、こういう街もあるよな、普通に生活してる人がいるっていうことを思い出すまではいかなくても一瞬思い出してくれるだけでも、住んでる人間として私はありがたいとです。
あしざわ教頭:今、ともぼー☆に見えてる未来って、あるかな?
ともぼー☆:今、地元に帰ってきて、アルバイトをして生活しているんですけど、こういう生活になるっていうのは高校の時には想像してなかったし、できなかったことで。
本当は東京で生活したかったんですけど、体調を崩しちゃって、帰らざるを得なくなっちゃって、いろんな人と離れてしまってしんどかったんですけど、でも会いたい人もいっぱいいるし、行きたい場所もいっぱいあるし、やりたいこともないわけじゃないから、自分の今できることをちゃんとやって、自分の中でいろんなものが整ったら、いろんなところに飛び出していけるように、いつかはなれたらいいな、と思っています。自分の好きなことを大切にやっていきたいです。
あしざわ教頭:楽しいこといっぱい増やして、楽しいこと、いっぱいしていきたいね。
ともぼー☆:はい。震災があって、バンドがいっぱい石巻にきてくれて、すごい崖っぷちの状態でいろんなものを諦めてしまおうかなって思った時に、音楽で助けられたから、自分が好きな音楽で、その人たちに恩返ししていけたらと思っています。
少しづつ忘れていく事と、その分強く残ってしまう事と、2つがある気がした。それがいい事なのか悪い事なのかはよくわからない。
けれど、ともぼー☆が話せてうれしいと言ってくれたのが僕もうれしかった。
ともぼー☆が楽しく話せる事がたくさんふえるといいなと思った。
そのあと、日和山公園へと行った。震災の時、たくさんの人が避難した場所。
当時の事を公園にいるおじさんが話してくれた。目の前に広がる景色のほとんどが海にのまれたという。当時の写真とくらべると全く違う景色で本当に?と思うほど。そのエリアに新しい家が建っていた。僕は正直「もう一度住みたい」と思えるのかとか「怖くないのか」とか考えた。
帰りの車。おれんてぃとともぼー☆の事を思った。2人とも、学校やバイトに行って音楽が好きな女の子。僕はどこか「特別な人」の様に思っていたのかもしれない。「かわいそう」とか「やさしくしなきゃ」とか距離が遠いほど、そう思っていたかも。
「この街に来て欲しい」「たまに思い出してくれたらいい」そう言ってくれたのが残っている。それを直接会って、あの場所で聞けたのが何よりも大事だった気がする。そこに人がいて、仲間がいるんだなって思えた。
おれんてぃが「津波は怖かったけど海は好きなんです」って。これって何だろうってずっと考えている、やっぱり生まれて育った故郷が好きなんだなって。
海をまた見たいんだなって。そう思える場所があるってうらやましいなと思った。