SCHOOL OF LOCK!未来新聞

生放送 2016.3.10 木曜日


はみだし未来新聞
私は震災のあった年に、高専に入学しました。入学前に大きな余震があり、始業が4月末まで遅れたことを今でも覚えています。その時は、将来に明確な目標もなく、「これから暗い世の中に飛び込んでいくんだろうな」と不安に思っていました。

それから数年過ぎて高専5年生になり、進路を考えなければならない時期に、先生からある会社を紹介されました。福島県にある製薬工場でした。「まだ原発とか、風評被害とか色々あるけど…」と先生は言っていましたが、私には何か思うところがあり、その会社を受けることにしました。

工場で案内をしてくれた人事の方が、「四年たって少しずつ復興してきたけど、一旦町から離れた人たちが中々戻ってこない」と寂しそうに言いました。…それを聞いて、悲しくなりました。復興してるのに、そこに経済があるのに、そこに人がいないなんて。

ほんの少しでも役にたてれば。町の力になれるなら。その思いで面接を受け、無事内定を頂きました。春から福島で働きます。たとえ暗い世の中であろうとも「こんな素敵な町があるんだぞ」と、「見事に復興してやったぞ」と、いつか言えるように。
中闘士ムキムキマン
男性/20歳/岩手県
2016-03-10 21:20


明日で5年。
いつもSOLを聴くばかりで、何も書き込みをしたことがなかったのですが、私にとって大切な5年という節目に今日、初めて投稿します。

私は5年前の3月11日 14時46分小学校にいました。当時、私は小学5年生でした。5年経った今でも、あの時の地震の揺れは忘れられません。
小学校のプールの水は階段を滝のように流れていました。あの日、家族はみんな別の場所にいました。
海の近くではなかったので津波の心配はありませんでしたが、父は珍しく関西への出張で母と兄弟と安否を確認したあとも不安でした。
福島県は原子力発電所の問題もあり、すぐに避難はできませんでした。断水もしてしまい、お風呂も約1週間入ることができませんでした。
テレビでは地震の報道がずっとされており、余震も続きました。そして、余震は今でも続いています。
5年経った今、福島は復興しています。しかし、海岸のほうはまだ震災の傷跡が残っています。

震災は悲しいことが多かったのですが、震災後、比較的被害が少なかった私の小学校の私のクラスに転校生がやって来ました。
その時はまだ、その人がこれから先 最高の親友になるなんて思ってもいませんでした。
その子の家は原発に近くて、被害も大きかったはずなのに、いつも笑顔で人のことが気遣える素敵な人です。
最高の親友であり、最高に尊敬できる人です。中学にあがり、同じ部活で活動し、もっともっと仲良くなっていきました。
中学2、3年ではクラスも一緒になり、毎日ずっと一緒に過ごしていました。相談をするのもその子、ふざけるのもその子とが1番です。
現在、別々の高校に通っているのですが、関係は変わっていません。
これから先、誰に出会ってもその子を越える人は出てこないような気もします。

震災がなかったら東日本に悲しいことは起きなかったのですが、震災があって人と人との絆や助け合いの心が多く生まれたことも確かです。
この震災を忘れないためにも、震災の話しを受け継いでいきたいと私は思っています。
そして、偶然か必然か分かりませんが、震災後に出会えた最高の親友との思い出をこれから先もたくさん作っていきたいです。
Dreamerあ〜ちゃん
女性/16歳/福島県
2016-03-10 21:11



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2011年3月11日
日本に大きな悲しみが襲いました。
地震、そして、津波。
この津波によって原発が爆発。

東日本大震災から、明日で5年が経ちます。
当時中3だった生徒は、成人になる年。

今これを聴いてくれている君にも、この5年間いろんな事があったと思います。
そして東北の生徒も、それぞれの5年間を過ごしてきました。

今回もとーやま校長、あしざわ教頭が東北に住む3人の生徒に実際に会いに行ってきました。

宮城県の石巻市に住むRN おれんてぃは、
街が変わったって話してくれたり、

石巻市にすむRN ともぼー☆
未だに震災の夢を見ると話してくれました。

現在も避難生活を送られている方は、17万人以上。
原発の問題も解決していないし、
今も余震が続いています。

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今夜のSCHOOL OF LOCK!は、東北に暮らすこの学校の生徒が過ごした5年。
そして5年が過ぎた今、思うことを全国のみんなに伝えます。
SCHOOL OF LOCK!未来新聞

今年も、東北の今を知るために、生徒に協力してもらいました。
今抱えている不安や不満、これからの未来の事。
そして、あの日経験した事。
5年という歳月が過ぎた今、考えている事を聞かせてもらいました。

思い出すのも辛い経験や、はじめて言葉にしてくれた想い。
体験を記事にしてくれた生徒のみんな本当にありがとう。

そんな、みんなの想いを集めた、
『SCHOOL OF LOCK! 未来新聞 2016年3月11日号』を今夜10時、発行しました。

記事を送ってくれたのは、みんなと同じこの学校に通う生徒たち。
そして、将来、一緒に仕事をしたり、奥さんや、旦那さんになったり、
君が生きる未来を一緒に作っていく、君の仲間の事です。

生徒が書いてくれたの記事を読んで、東北のみんなの5年間を感じてほしい。
そして、自分の未来ついて考えてほしいと思います。
そして校長と教頭が東北の生徒に教えてもらったこと、受け取った想いも話します。

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『SCHOOL OF LOCK! 未来新聞 2016年3月11日号』を読んだ感想、生徒の君に見えた未来の話を教えてください。
メッセージは学校掲示板もしくはメールから。

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生徒のみんなが送ってくれた「未来新聞 2016年3月11日号」の中から、いくつかの記事を紹介します。


私の町は半分以上が津波の被害に合いました。
電車は押し流され家の二階にまで津波が来て沿岸の家々は消えました。
私の家も一階が被災し、今は修理して住んでいます。

震災当日。
中学1年生だった私は学校で揺れを感じ、
友人と手をつないで校庭に避難しました。
しばらくして家族が迎えに来てくれて友人に「じゃあね」、とだけ言って
沿岸の家に帰りました。

父は私を家に一人残して職場の様子を見に車で出て行きました。
近所は人気がないようでものすごく静かでした。
それまで何度か地震を経験していたので片付けて情報収集すればいいと
ラジオを聴いていた16:00過ぎ。
[空港に津波。飛行機も押し流されています]とラジオから流れてきました。


家の前は防風林が並んでいて、その奥には海があります。
まさかな、と思って双眼鏡で海の方角を見たら茶色の波が森林をなぎ倒し、
車を巻き込み、黒い水しぶきをあげながら近づいてくるのが見えました。
周りの音は聞こえず、自分の心臓の音がよく聞こえ、息が詰まりそうでした。

とっさに家を飛び出し、山のある北に向かって走りました。
靴も履けず、水に濡れ走っていた時、
遠くで「津波が来たぞ逃げろ」と父の声がして、私も叫びました。
「お父さんここだよ。」
私は父の車に飛び乗り、
踏切の降りていた遮断機も折って進み、津波を背に逃げ助かりました。
私は助かったけど、学校で一緒だった友人は沿岸の家に帰って亡くなりました。

亡くなった彼女の元で手を合わせることがずっと出来ませんでした。
合同慰霊祭という形でしか手を合わせられませんでした。
5年になるにあたって、先日、彼女の元で手を合わせる事がやっとできました。
彼女の物は全て当時のままで、言葉にできない悲しさでした。

この季節、匂いや風であの日を思い出します。
周囲は忘れてはいけないよと言うけど、
あまりにも辛すぎて、忘れたいけど、忘れられないんです。
だから忘れてはいけないと言う人はそんなに被災してない人が使う言葉…。
忘れてはいけないと言う人には本当に忘れてほしくないです。

全国のボランティアの人たちに
片付けを手伝ってもらったり、支援物資を頂きました。
大阪の人から浴衣を頂いたり、東京の人からシャンプーをもらったり…
どこの誰からか分からないけど、本当は直接お礼を言いたいです。
でもその機会が無くて…。あのたくさんの支援物資がなかったら…。
感謝でいっぱいです。

5年目、私は自分を「被災者」ではなく「被災者だった」にして
感謝を伝え3.11を穏やかに迎えたいです。
はなぱ
女性/18歳/宮城県




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私は宮城県の沿岸部に住んでいます。
震災当時は小学生で卒業式の準備をしていました。

震災から5年。
家が流された祖父や友達も着々と災害公営住宅に引越して
少しずつ復興を実感してきました。

そんな中、今年の夏は念願の海開きが行われることになりました。

震災前は毎年海水浴に行っていたので
また海水浴できることをとても嬉しく思います。

海開きは観光客による産業的な復興に繋がるだけでなく、
地元民の心の復興にもなります。

震災前以上の活気を取り戻すためにもたくさんの人に
海水浴に来てもらいたいと思います。

今年の海開きがこれからの復興を
さらに加速させるひとつのきっかけとなることを祈ります。
ちょこくま
女性/17歳/宮城県




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私が入学した中学校は、震災のときに小学生と共に逃げて
自分の命を守った事で注目された学校でした。
震災についての話し合いやサミットのときは、必ずその事について聞かれました。
1年生から生徒会に所属していた私も聞かれました。
でも、私は答えられませんでした。
私が通っていた小学校は津波の被害を受けない内陸の学校だったため、
実際に体験していなかったのです。
もちろん話は聞いていて、伝えられることもあったと思いますが、
体験してもいないことを他の人へ伝えることが出来ず、当時の事を聞かれても
「私はその場にいなかったので」と言うしか出来ませんでした。
沢山の人に伝えなければならないのに、伝えられない自分がすごく嫌でした。

そのかわりに、私が伝えたのは、スポットが当たっていなかった
津波の被害がなかったわたしの地域の被害についてでした。
断水、停電、物資の不足。
ありふれているかもしれないけど、
震災で受けた被害にかわりはないと思って、必死で伝えました。
復興についても、自分の思いをぶつけました。
上手くまとまっていなかったかもしれないし、
参考にならないことだったかもしれない。
それでも、自分なりの言葉で伝えることが、私の使命だと思っています。

あれから…
1年経って、少し片付いた。
3年経ったのに、まだ何も建っていない。
4年経って、やっと計画が動き出した。
震災・復興について考えることは、いつも同じではありません。

そして5年目に入ります。
復興は、これくらい進んだんだ。忘れちゃダメだね。
そこで終わってほしくないと思っています。
忘れないために、なにをするのか。どう動くのか。
聞き手が行動する人へと変わるような年になってほしいです。
今自分が出来ることは伝え続けることしかないかもしれませんが、
震災のことを聞いたいろんな人たちが、
少しでも関心をもってもらえるように私は行動します。

5年目の私の思い。私のまちを、被災地から復興の中心地としたい。
森のきっく
女性/16歳/岩手県




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とーやま校長「俺たちは先日、東北に住む生徒に直接話を聞きに、『未来新聞』へ記事を送ってくれた生徒に、会いに行ってきました」

とーやま校長が会いに行ったのは、福島県に住むRN くろっくろー。
元々、福島県の南相馬市に住んでたんだけど、今は、専門学校がある会津若松で一人暮らし中。
くろっくろーの地元、南相馬市は、津波で大きな被害を受けました。

さらに、原発事故の放射能の影響で立ち入りが禁止されている区域があり、家に帰りたくても帰れない人も沢山いる。
くろっくろーの両親や、おじいちゃんおばあちゃんは、南相馬の方にいらっしゃるんだそう。若い世代の為に行政に申し立てをしたり、活動してくれている。

とーやま校長「会津若松で待ち合わせをして、一緒に、喜多方ラーメン食べたんだけど、美味しかったなぁ〜!食べながら、地元に住んでる家族の事。そして、地元・南相馬の現状など…いろいろ話を聞かせてもらいました」

とーやま校長が福島に行った模様はこちらのレポートで見られます!

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とーやま校長「確かに、雑誌やニュースとかでカタカナで“フクシマ”って書かれているのをよく見るけど、くろっくろーが言っていたように、記号化じゃん。そこには何の気持ちも無いように思えてしまったし、そこに至るまでにたくさんの人の苦しい思いや辛い思いとかがあったのに、サラッと片付けられてしまう気がしていて。それは、俺も気を付けないといけない事だし、何気ない言葉が福島の誰かを傷つけてしまうかもしれない。でも、気を使いすぎてしまうのも違うかなと思うんだけど…」

あしざわ教頭「そうですね…」

とーやま校長「今、くろっくろーは児童福祉士という夢があって、今後どういう事をやっていくかはまだ分からないけど、地元の事もしっかり考えているし、すごいカッコ良かった!背中がカッコいい男っていいじゃん!別れ際、俺らに背を向けて塾に行こうとしてたんだけど、『ずっと言えなかったんですけど、SCHOOL OF LOCK!がすごく好きで、校長に会えて嬉しかったです』って最後に言ってくれて……そんな奴なら、託すしかないだろ!!」

あしざわ教頭「カッコイイですね!素敵な男だな〜!」

とーやま校長「これから福祉で色んな人と会ったりすると思うけど、会う人会う人を少しでも幸せにしてあげてほしいなって思った。それに、好きな人もいるから!ごめんな、言っちゃって!」

あしざわ教頭「くろっくろー、好きな人いるんですか!」

とーやま校長「好きな人いるんだから、ちゃんと気持ちを伝えろよ!」


♪ 兄弟 / andymori


とーやま校長「5年前にたくさんのアーティストの方がこのSCHOOL OF LOCK!を通して届けてくれた曲の中で、andymori先生の『兄弟』という曲が俺は本当に大好きで、くろっくろーも俺の兄弟だし、聴いている皆も兄弟や姉妹だと思って、これからも喋り続ける!」

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未来新聞。
とーやま校長やあしざわ教頭の声を通して、そしてホームページで、未来新聞の記事を読んでいます。自然と、涙。あの日のことは、私には到底わかることができません。想像しても、たぶんそれ以上のことなのだろうと思います。だけどあの日のこと、今のことを知ることができて良かったです。私は今まで、あの日のことから逃げて、知ろうとしませんでした。同じ日本人なのに。距離を置いて、他人事にしようとしていました。だけど、未来新聞は私にあの日に向き合うようにしてくれました。だから、これからは逃げない、ちゃんと向き合っていきます。書いてくださったみなさん、本当に本当にありがとう。
記事を読んでいて、毎日当たり前に過ごせていること、悩んで苦しむことができていること、ひとつひとつが奇跡なんだなって思いました。今日も1日元気に過ごせたこと、ありがとう。毎日生きられていること、ありがとう。
もりちゃん
女性/16歳/岡山県
2016-03-10 22:54



とーやま校長「純粋な気持ちが聞けて、俺たちもありがとうって気持ちだし、もりちゃんはもりちゃんで出来る事たくさんあるはずだよ。俺が福島に会いに行ったくろっくろーも、“あたりまえがあたりまえじゃない”っていう事を未来新聞にも書いてくれていて。そう思えるだけで、明日から皆の生き方が変わってくるだろうし…」

あしざわ教頭「そうですね。いつもより友達と楽しく過ごすとかだけでも違うと思います!」

とーやま校長「俺は、福島県に行ってきたんだけど、教頭は、宮城県に行ってきたんだよね」

あしざわ教頭「はい。二人の生徒に会いに宮城県の石巻市に行かせてもらいました」

石巻市は、全国でも有数の水産都市。そして、中心部のほぼ全域が津波の被害にあった場所です。

あしざわ教頭「実際に津波の被害があった場所に行くのは、今回初めてで、僕自身も何を喋っていいのか、余計なことで傷つけてしまうんじゃないかと、正直すごく不安でした」

一人目に会ったのは、15歳の女の子。RN おれんてぃ。

あしざわ教頭「最初に会った時、おれんてぃはすごい緊張してたんだけど…でも、それ以上に僕も緊張していました」

とーやま校長「そういうのも、おれんてぃは感じていたのかもしれないね」

あしざわ教頭「そうかもしれないです」

それでも、おれんてぃは当時の辛い経験の事だったり、今の生活。街のこと。中学校とかが津波の被害にあってしまって、仮設の中学校に通っていて、でもバドミントンがすごく好きで……いろんな事を教えてくれました。

話を聞いた後、「地元で一番好きな場所」だという海を案内してくれました。

あしざわ教頭「震災の後に作られた、出来たばかりの防波堤から海を見たんですけど、その時におれんてぃが『海は怖い時もあるけど、海があると安心する』、『津波は怖いけど、やっぱり海は好きなんです』という話をしてくれて。その時僕、どう言っていいか分からなくて…。でも、一緒に見た石巻の海は、すごく穏やかで綺麗でした」

とーやま校長「レポートにも写真があるんだけど、教頭とおれんてぃの背中越しに見える海、めちゃめちゃ綺麗だね!」

あしざわ教頭「青というか、水色に近くて。ウソみたいに綺麗なんです!おれんてぃにとって、やっぱり海ってとても大切な場所なんだなって感じました」

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そして、石巻で会ったもうひとりの生徒は、21歳の女の子。ともぼー☆。

とーやま校長去年『未来新聞』の授業をした時に、逆電をしたともぼー☆だよね」

ともぼー☆は、去年電話をした時には、仮設住宅に住んでいたんですが、今年の5月にお家が完成。

あしざわ教頭「実家でやっている飲食店も再開されていて…お店でお昼ご飯をいただきながら、話をしました。すごく居心地のいいお店で、自慢のたこ焼きも本当に美味しくて!僕がお邪魔してる時にも、お客さんがたくさん来てました」

とーやま校長「人気のお店なんだね!」

あしざわ教頭「ともぼー☆は、高校1年生の時からSCHOOL OF LOCK!を聴いてくれていて、何より音楽が大好きな女の子で、僕、その時たまたまくるり先生のパーカーを着ていたんですけど、そこから音楽の話が始まって。ベボベLOCKS!の伝説の回の話とか、たくさん出来ました!音楽の話をしてる時はずっとニコニコしていましたね」

とーやま校長「写真でもずっと笑顔だもんね。そして、ともぼー☆大人になったなぁ!しばらく見ない間に綺麗になってるなぁ!!」

あしざわ教頭「すごく素敵な笑顔でした!でも、震災の話になると、やっぱり当時の記憶もあるからか、顔が強張って…。それでも、たくさん話を聞かせてくれました。さっきも言ったけど、被災地に行くのは初めてで。去年未来新聞の授業をしたこれまで無関心だった自分が何を言ったらいいのか、わからなくて、何も言えなくて。それを、翌日の放送では話をさせてもらったんだけど、ともぼー☆がこのことについて、触れてくれました」

あしざわ教頭が宮城県に行った模様はこちらのレポートで見られます!

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あしざわ教頭「この話を聞いた時に、正直ドキッとして。やっぱり、うまく言葉に出来ていないとか、距離を置いてしまっているのが分かっているんだなあって、恥ずかしい気持ちもありました」

とーやま校長「教頭も、距離を置こうとしているんじゃなくて、結果的に置いてしまっているっていう状況だったと思うけどね」

あしざわ教頭「今回初めて、初めて石巻市に行かせてもらって、2人と話をさせてもらったり、日和山公園っていう多くの方が避難した高台に行った時には地元の人が丁寧にどういう事が起きたのか教えてくれて…。これまで、被災地と呼ばれる場所を暗い雰囲気で、町の方たちもどこか悲しげなんじゃないかと、頭の中で思い込んでいたんですよ。でも、実際に行ってみたら、けん玉持ってスキップしている男の子がいたり、楽しそうな子供たちの笑い声が聴こえたり、きれいな海があったり。当たり前だけど、最初から被災地として存在していたわけじゃなくって、僕が生まれ育った町と同じように、普通の町に悲しい出来事が起きたんだなって事が分かって。特別な町なんかではないんだなという事、僕が住んでいる町と変わらない場所という事を本当に理解することが出来たんです。……黒板を書いてもいいですか?」

とーやま校長「いいよ!教頭の今の想いだね」

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『 今できる事 』

僕は、正直、自分に自信がありません。
被害にあった生徒に会いに行くってなった時も何も言える自信が無かったし、怖かったです。
なんで自分に自信が無いのかなって思った時に、自分がどこか薄っぺらい人間だと思っていて、そんな何も持っていない人間を人が認めてくれないんじゃないかと思って、どんどん自信が無くなってしまったんです。

だけど、石巻に行っておれんてぃと、ともぼー☆に会って、二人は会えたことを本当に喜んでくれたんです。それが本当に嬉しくて、会えたことを喜んでくれたことが、自分の中で自信になったというか、肩の力が抜けたというか…。

自分の事はまだ完璧に信じることは出来ないけれど、二人の事は信じられるし、信じたい。そして、喜んでくれた二人を笑顔にしてあげたいって思ったんです。遠く離れた二人を笑顔にするためには、俺が出来る事は何だろう。

それは、あしざわ教頭として、毎日楽しい放送を届けることだと思いました。
少しでも笑ってもらえるように、少しでも気持ちが軽くなるように、一生懸命、ここから声を届けます。それが、今の僕の出来る事です!

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そして、去年も未来新聞に記事を送ってくれた生徒に逆電!


地元を離れて1年。震災から5年。
今の私の役目は「伝える」ことだと思っています。
きんぐぷーる
女性/19歳/東京都




きんぐぷーる 東京都 19歳 女性 大学1年生


とーやま校長「きんぐぷーるは、去年も記事を送ってくれたよね。ありがとう!きんぐぷーるは地元が福島だよね。一人暮らしどう?」

きんぐぷーる「だいぶ慣れてきました!でも、本当に一人でやらなければいけないので、両親やおじいちゃんおばあちゃんにしてきてもらった事がたくさんあったので、家族のありがたみっていうのを感じた1年でした」

とーやま校長「家の事は何が大変?」

きんぐぷーる「家事とか洗濯とか、実家に住んでいた時は全部やってもらっていたので、勉強とか色々やることがあるうえで身の回りのことも全部やらなくてはいけないっていうのが大変です」

とーやま校長「料理は上手くなったでしょ?」

きんぐぷーる「少しは…!頑張ります!(笑)」

とーやま校長「頑張ろう!(笑)今、いわき市はどんな感じかって分かる?」

きんぐぷーる「私が住んでいたところはほとんど被害も無かったので、元に戻ってると思うんですけど、沿岸部とかはまださら地だったり、進んでいない所も多いのかなと思います」

とーやま校長「書き込みに、“今、自分の役目は伝えることだ”って書いてくれたんだけど、これは何をどこに伝えていきたい?」

きんぐぷーる「命の大切さだったり、当たり前に毎日が過ごせることの大切さっていうのを震災を経験していない人たちに伝えたくて、やっぱり同じことが起こった時にこうしておけばよかったな。とか後悔して欲しくないし、震災があったことを無駄にしないためにも伝えていきたいなって思っています」

とーやま校長「この間テレビを見ていたら、5年経つってこういう事かって思ったんだけど、中学3年生くらいの子が原発についてインタビューされていたんだけど、全然分かっていなくて。廃炉という言葉の意味や、いまどういう状況なのかも分かっていなくかったんだ。それって、関心が無いって事ではなくて、単純に5年前はニュースとかも見なかったし、教わることもなかったんだと思う。そういう子たちがどんどん増えていくんだなっていうのも感じた。だからこそ、きんぐぷーるとかが学校の友達とかにちょっとずつでもいいから教えていく事は本当に大事だな!」

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きんぐぷーる「大事だと思います。他人事として捉えちゃってる人が多いのかな。遠くで離れている場所の出来事だから分からないって思うかもしれないけど、そうじゃなくて、自分事として捉えてほしいっていうのが強くあって。もし、同じ事が起きたらどうしよう。今、地震が起きたらどうしよう。とか、自分の身に起きたらっていうのを考えたり、知ってほしいと思いますね」

とーやま校長「よろしく頼むね!俺たちに出来ない事でも、きんぐぷーるに出来る事ってたくさんあると思うし、届き方も全然違うと思う。頼むな!」

きんぐぷーる「はい!」

とーやま校長「話聞かせてくれてありがとう!料理も頑張れよ〜!」

きんぐぷーる「はい!(笑)ありがとうございます!」


本日も黒板の時間になりました。

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『 腹を括って生きる 』

5年経って進んでいない事もあるし、進んでいないようで進んでいる事もある。そこに嬉しい気持ちや、もどかしい気持ちもあったりすると思うんだけど、
腹を括って生きていかないといけないってどういう事かと言うと、例えば、ニュースとかを見ていて、原発に事故があって……今でも汚染水が毎日のように増えている状況で、誰かがそういうサインを絶対見過ごしてしまったからこそ、こういう事態になって福島や岩手の皆さんが自分の住むところを追われたりする中で、
“あれは誰々のせいです”、“私のせいじゃないです”みたいな話をしている議員さんがいて、いまだにそんな話をしてるのかって思ったんだ。全然覚悟も決められていないし、ダメだなって思った。

そんな人たちに任せてられないし、だったら俺たちが、生徒みんなが、一人ずつ腹をくくって生きていくっていう事がとても大事なことだと思っていて。
5年前の出来事は、東日本大震災っていう名前だけど、日本で起きている事だから!俺たちの家や、庭で起きている事だから見過ごすわけにはいかない。

未来新聞の記事を見て、自分の頭の中に自分の気持ちを浮かべることが、まず君のやる事。
そして、そこから“何かやろう”、“これはやらないでおこう”って選択するのも君の自由だし、そういった事に腹を括って生きていくことが俺たちにとっては大事なんじゃないかと思っています!

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未来新聞の記事を書いてくれたみんな、本当にありがとう!
そして、その記事に対して思った事、感じたことを掲示板に書いてくれた生徒もありがとう!!

少しでも、みんなが笑えるように、悲しみを分け合って生きられるように、これからも暮らしていこう。

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【逆電リスナー】
きんぐぷーる 東京都 19歳 女性
 
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【オンエアリスト】
22:09 トレモロ / RADWIMPS
22:23 365日の紙飛行機 / AKB48
22:41 3びきのくま / 青葉市子
22:50 兄弟 / andymori
23:18 anger in the mind / KANA-BOON
23:39 銀河鉄道 / BUMP OF CHICKEN
23:51 ファンファーレ / No Regret Life
 
★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
 
震災は東北で起きたことでなく
日本で起きたこと。
1人1人がやれるべきことをしっかりと、確実に。
 
校長のとーやま
 
★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
 
自分と向き合って、人と向き合おう
それがに何かにつながるはず。
 
教頭のあしざわ
 
★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
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