みらい図鑑

VOL.182「子どもの安全を守るために生まれたレインコート」

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歩行中の交通事故。すべての年齢の中で、突出して多いのは7歳児。
視界の悪い、雨の日の夕暮れに多発するというデータが出ています。

「悲しい事故を減らして、子供たちの未来を守りたい!」という思いから、
全国のママ、500人以上の声を集め、
機能性だけでなく、かわいくて、遠くからでもよく目立つ蛍光色のレインコートが誕生しました。

名前は、「とぅいんくる☆コート」。

開発したのは、大正10年創業の名古屋にある老舗の合羽メーカー、
「船橋株式会社(ふなはしかぶしきがいしゃ)」。

日本初の児童向け“高視認性安全服規格”を取得したレインコートです。

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そもそも「とぅいんくる☆コート」は、
”子どもの命を守りたい”という気持ちを持った、名古屋の女子大生をリーダーとする、
「世界一安全でカワイイ レインコート」プロジェクトから生まれました。

レインコートだけでなく、ランドセルカバー、収納ポーチもあり、
収納ポーチは、ランドセルを背負ったまま子どもが一人で着られるという優れもの。

完全防水機能で、360度どこからでも反射材を確認することができるので、
夜間のドライバーからでも、よく見ることができます。

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「船橋株式会社」、開発室の大谷真奈美(おおたに・まなみ)さんにお話を伺いました。

「ただ安全なだけだと子どもたちに着たいとも思ってもらえないし、
親御さんにも着せたいとも思えないので、
まずは、かわいい、というところで、
着たい!着せたい!と思ってもらうことを重視しました。

全体は蛍光イエローをベースとしています。ポイントとして水色を用いて、
男のことでも女の子でも着やすいような色になっています。
反射材を使っていて、暗がりでライトを当てると、全面に星が浮かびあがるんですね。
それを子どもたちがたくさんの人数で着ていると、
天の川みたいに星が浮かび上がるのがかわいいと思っています。」

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高視認レインコートを着ることを日本の子どものスタンダードにしたい、、
そんな子どもたちの安全を願って開発された「とぅいんくる☆コート」。
一人でも多くの命を守る手助けをしてくれそうですね。

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VOL.181「日本とネパールの架け橋」

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今回は、日本とネパールの架け橋となった「藍染め」のお話です。

“和”の色といえば、「藍色」。
「ジャパン・ブルー」と最初に呼ばれたのは、明治の初め。
日本にやってきたイギリス人の化学者が、町のあちこちに見られる藍染めの色を、
「ジャパン・ブルー」と呼んだのがはじまりだと言われています。

藍の生産量日本一なのが、徳島県。
そんな徳島が誇る藍を、ネパールの山村で育てる民間のプロジェクトが進んでいます。

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プロジェクトの名前は、「AiUeO(あいうえお)」。
「藍、植えよう」という意味が込められています。

2015年に発生したネパール大地震。
ほとんどの家が壊れた村で、現金収入の手段を確保するために、何をしたら良いのか。
村の人たちが、生業を持ち、笑顔で暮らせるために、何ができるのか。

その答えが、「藍染め」でした。

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「AiUeO」のメンバー、佐條佳輝(さじょう・よしてる)さんにお話を伺いました。

「ネパールの人たちと話していたら、震災の復興より、
村に現金収入に結びつく仕事がないから、
みんな、出稼ぎに行かなければいけないという事の方が問題だと聞きました。
それで、藍を使って何かできないか、ということで、
蓼藍(たであい)という藍の種を徳島から持って行きました。」


現地の人々にとって、まず必要なのは「仕事」だったのです。

佐條さんたちは、徳島の蓼藍を持って行き、現地で栽培。
“スクモ”と呼ばれる、藍を原料とした染料づくりをスタートさせ、
村に仕事を生み出すことで、家族を離れ離れにしない手助けをおこなっています。

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そもそも、ネパールには藍がありません。
近くにはインド藍があるものの、徳島の蓼藍とは別の品種です。

「最初の2年は発芽したものの上手く育たず、
土から作り直して、3年目で上手く育ちました。
今後、藍が染まるようになってから、
どのように商品に落とし込んでいけば良いのかを考えています。」

今後のステップは、収穫した葉で藍染めをし、商品化を進めていくこと。

日本に昔からある藍染めを、現代にフィットする方法で商品を作り、
たくさんの人の笑顔につながるようにしていきたい、と佐條さんは語ります。

日本とネパールの架け橋となる挑戦は、まだ、始まったばかりです。

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