VOL.275「廃棄された自動車の窓ガラスから生まれた琉球ガラス」
沖縄県の伝統工芸に指定されている「琉球ガラス」。
作られ始めたのは明治の中頃ですが、
よく知られているカラフルなガラスが生まれたのは、戦後のこと。
資源不足のなか、駐留米軍が飲んでいた、
ビールやジュースのビンを溶かして、ガラス職人たちが再生ガラスを作っていました。
時代とともに、リサイクル素材を原料にしたガラスは少なくなりましたが、
そんななか生まれたのが、「mado」という食器です。
作っているのは、沖縄本島の最南部・糸満市にある、
県内最大の手作りガラス工房、「琉球ガラス村」。
琉球ガラス製品を30年以上に渡って作り続けています。
「mado」の原料は、廃棄された自動車の窓ガラス。
沖縄県大手のリサイクル会社が、
スクラップの車から窓ガラスを破砕・収集。
それを琉球ガラスの職人の手によって、
ロックグラスなどの新たな製品に生まれ変わらせたのが、このプロダクトです。
原料となる、車のサイドガラスの成分が、
清涼感のあるグリーンを生み出しているのが特徴です。
「琉球ガラス村」、川上英宏(かわかみ・ひでひろ)さんのお話です。
「地域で使われているガラスの器が、地域の手作り職人から生まれていて、
お父さんやお母さんが家庭の食事のときに、
“これは何でできているの?とお子さんに聞かれたときに、
“走っている車の窓ガラスだよ”と。
そんなふうに、普段の生活の中で、環境のことを考えてほしいんですね。
ものを大事にしたり、ものを生まれ変わらせることが、
次世代につながっていけばいいなと思うんです。
そんな技術と想いを、また、別の地方へも伝えていく取り組みを、
わたしたち、琉球ガラス職人が、
未来でできたらいいなと考えています。」
SDGsへの貢献にもつながる「mado」。
ひとつひとつ、職人さんがハンドメイドで作っていく物語とともに、
次の世代に受け継がれてほしい文化ですね。