2021.8.15
◆落語の魅力に惹かれたきっかけ
丸山:たい平さんが落語の魅力に惹かれたのはいつなんですか? 子どもの頃ですか?
たい平:子どもの頃はまったく聴いたことがありませんでした。
丸山:あら!? そこをちょっと聞いてみたかった。
たい平:大学(武蔵野美術大学卒)までは、落語に一切触れていません。
丸山:えっ!? 興味もなし?
たい平:「笑点」(日本テレビ系)は観ていましたけど、落語ではないので。
丸山:じゃあ、どこでどういうふうに?
たい平:大学3年のとき、夜に課題の絵を描いていてラジオから聴こえてきたのが、五代目柳家小さん師匠の粗忽長屋(そこつながや)という落語で。SF小説みたいでめちゃめちゃおもしろくて。
丸山:へぇ~!
たい平:それまでは、おじいさんがボソボソとつまらない噺をするのが落語だと思っていたのが、“こんなにおもしろい噺があるんだ!?”って。そこから一気に引き込まれていって。大学時代は貧乏でしたから、とにかくラジオでしたね。ラジオでやっている寄席を聴いていました。
丸山:僕たちの世代ってお笑いに興味がいくとなると、ドリフ(ザ・ドリフターズ)や「オレたちひょうきん族」(フジテレビ系)で、時代的に落語じゃないじゃないですか?
たい平:そうですね。大学でデザインを学んでいて、「デザインで人を幸せにしなさい」という教えがあって、“どうやったら、自分のデザインで人が幸せになるのかな?”と考えたときに、落語だったんですよね。
丸山:はい。
たい平:当時、毎日課題に追われて元気がなくなって……ラジオから聴こえてくる五代目柳家小さん師匠の落語を聴いたら、“なんとかなるか”ってめちゃくちゃ心が晴れやかになって“こんなふうに人の気持ちって変えることができるんだ!?”と。じゃあ、デザインじゃなく落語で人の気持ちを変えることができるんじゃないかと。
丸山:そういうふうに方向転換をして、さすがアーティストですね。でも、その道に進もうと思っても、けっこう大変じゃないですか。
たい平:(下積み時代は)バブル全盛期でしたけど、よっぽど有名な師匠がトリをつとめていないとお客さんが全然来なくて寄席が始まらないんですよ。楽屋にどんどん(出番を待つ)師匠が溜まってきちゃって、前座の僕に「おい、どうなってんだ?」って。「(お客さんが)0対6で、楽屋がリードです」って言ったら、怒られて(笑)。
丸山:楽屋のリード(笑)、アハハハハ!
◆「ブラウン管からすごくパワーを感じた」
丸山:林家こん平師匠の門を叩いたのは、どういういきさつだったんですか?
たい平:「笑点」を観ていて、うちの師匠がとにかく元気で、ブラウン管からすごくパワーを感じたんです。“この人の近くで、(落語家としての)生き方を学ばせてもらおう”と思って。
丸山:すぐに入門できるものなんですか?
たい平:いや、1年間は全然弟子にしてもらえませんでした。行儀見習いということで、僕は変則的にこん平師匠の弟子になって、大師匠として初代林家三平師匠の家に住み込みだったんです。
丸山:え~っ!
たい平:自分でもビックリしました。自分の人生がどんどん変わっていくというか。大学卒業後、6年半住み込みでした。
丸山:じゃあ、20代後半になるまで、ずっと修業ですか?
たい平:そうです。最初の1年間は名前ももらえず、本名で「田鹿くん」って呼ばれて、行儀見習いでした。
丸山:いばらの道ですね……。
たい平:(見習い期間は)何年と区切られているわけではないので、2年経って「やっぱり弟子にしないから」って言われるかもしれませんし。
丸山:よく諦めなかったですね。
たい平:“落語家になりたい!”という気持ちが強かったので。1年経って、ようやく前座として「林家たい平」という名前をもらえて、寄席に出られるようになりました。
次回8月21日(土)の放送も、どうぞお楽しみに!
「AuDee(オーディー)」では、時間の都合上カットしたトーク部分も盛り込んだ「ディレクターズカット版」がアップされています。音声は「AuDee(オーディー)」アプリで聴くことができますので、ぜひそちらもチェックしてください。
<番組概要>
番組名:NECネッツエスアイ presents 丸山茂樹 MOVING SATURDAY
放送日時:毎週土曜 7:00~7:25
パーソナリティ:丸山茂樹
番組Webサイト:https://www.tfm.co.jp/moving/
林家たい平、衝撃を受けた落語は?「SF小説みたいでめちゃめちゃおもしろかった」
プロゴルファーの丸山茂樹がパーソナリティをつとめるTOKYO FMの番組「NECネッツエスアイ presents 丸山茂樹 MOVING SATURDAY」。7月31日(土)の放送は、前回に引き続き、落語家の林家たい平さんをゲストに迎え、お届けしました。
◆落語の魅力に惹かれたきっかけ
丸山:たい平さんが落語の魅力に惹かれたのはいつなんですか? 子どもの頃ですか?
たい平:子どもの頃はまったく聴いたことがありませんでした。
丸山:あら!? そこをちょっと聞いてみたかった。
たい平:大学(武蔵野美術大学卒)までは、落語に一切触れていません。
丸山:えっ!? 興味もなし?
たい平:「笑点」(日本テレビ系)は観ていましたけど、落語ではないので。
丸山:じゃあ、どこでどういうふうに?
たい平:大学3年のとき、夜に課題の絵を描いていてラジオから聴こえてきたのが、五代目柳家小さん師匠の粗忽長屋(そこつながや)という落語で。SF小説みたいでめちゃめちゃおもしろくて。
丸山:へぇ~!
たい平:それまでは、おじいさんがボソボソとつまらない噺をするのが落語だと思っていたのが、“こんなにおもしろい噺があるんだ!?”って。そこから一気に引き込まれていって。大学時代は貧乏でしたから、とにかくラジオでしたね。ラジオでやっている寄席を聴いていました。
丸山:僕たちの世代ってお笑いに興味がいくとなると、ドリフ(ザ・ドリフターズ)や「オレたちひょうきん族」(フジテレビ系)で、時代的に落語じゃないじゃないですか?
たい平:そうですね。大学でデザインを学んでいて、「デザインで人を幸せにしなさい」という教えがあって、“どうやったら、自分のデザインで人が幸せになるのかな?”と考えたときに、落語だったんですよね。
丸山:はい。
たい平:当時、毎日課題に追われて元気がなくなって……ラジオから聴こえてくる五代目柳家小さん師匠の落語を聴いたら、“なんとかなるか”ってめちゃくちゃ心が晴れやかになって“こんなふうに人の気持ちって変えることができるんだ!?”と。じゃあ、デザインじゃなく落語で人の気持ちを変えることができるんじゃないかと。
丸山:そういうふうに方向転換をして、さすがアーティストですね。でも、その道に進もうと思っても、けっこう大変じゃないですか。
たい平:(下積み時代は)バブル全盛期でしたけど、よっぽど有名な師匠がトリをつとめていないとお客さんが全然来なくて寄席が始まらないんですよ。楽屋にどんどん(出番を待つ)師匠が溜まってきちゃって、前座の僕に「おい、どうなってんだ?」って。「(お客さんが)0対6で、楽屋がリードです」って言ったら、怒られて(笑)。
丸山:楽屋のリード(笑)、アハハハハ!
◆「ブラウン管からすごくパワーを感じた」
丸山:林家こん平師匠の門を叩いたのは、どういういきさつだったんですか?
たい平:「笑点」を観ていて、うちの師匠がとにかく元気で、ブラウン管からすごくパワーを感じたんです。“この人の近くで、(落語家としての)生き方を学ばせてもらおう”と思って。
丸山:すぐに入門できるものなんですか?
たい平:いや、1年間は全然弟子にしてもらえませんでした。行儀見習いということで、僕は変則的にこん平師匠の弟子になって、大師匠として初代林家三平師匠の家に住み込みだったんです。
丸山:え~っ!
たい平:自分でもビックリしました。自分の人生がどんどん変わっていくというか。大学卒業後、6年半住み込みでした。
丸山:じゃあ、20代後半になるまで、ずっと修業ですか?
たい平:そうです。最初の1年間は名前ももらえず、本名で「田鹿くん」って呼ばれて、行儀見習いでした。
丸山:いばらの道ですね……。
たい平:(見習い期間は)何年と区切られているわけではないので、2年経って「やっぱり弟子にしないから」って言われるかもしれませんし。
丸山:よく諦めなかったですね。
たい平:“落語家になりたい!”という気持ちが強かったので。1年経って、ようやく前座として「林家たい平」という名前をもらえて、寄席に出られるようになりました。
次回8月21日(土)の放送も、どうぞお楽しみに!
「AuDee(オーディー)」では、時間の都合上カットしたトーク部分も盛り込んだ「ディレクターズカット版」がアップされています。音声は「AuDee(オーディー)」アプリで聴くことができますので、ぜひそちらもチェックしてください。
<番組概要>
番組名:NECネッツエスアイ presents 丸山茂樹 MOVING SATURDAY
放送日時:毎週土曜 7:00~7:25
パーソナリティ:丸山茂樹
番組Webサイト:https://www.tfm.co.jp/moving/