石丸:中村雅俊さん、今週もよろしくお願いいたします。このサロンでは、人生で大切にしている“もの”や“できごと”についてお伺いしておりますが、今日はどんなお話をお聞かせくださいますか。
中村:今日は「オノ・ヨーコさんとの出会い」についてです。
石丸:オノ・ヨーコさんといえばジョン・レノンさんの奥様ですよね。お会いしたのはいつ頃だったのですか。
中村:実際に会ったのは、もう20年位前なんですよ。何故か知り合いが(オノさんの)知り合いでして、オノさんが日本に来られている時に会いました。
石丸:そうなんですね。
中村:知り合いに「オノさんに会う?」と聞かれたので、「是非会いたい!」ということで、2時間位、お話をさせてもらったんです。それで(オノさんに) 「俺のことを知っていました?」と聞いたら、「全然知らなかった」って答えられたんですよ。
石丸:ずっとアメリカに居られますもんね。
中村:“まあ、それはそうだな”と思ったんですけど、「でも、何故俺に会うと決めたんですか?」と聞いたら、(オノさんは)「運命だ」って。
石丸:運命?
中村:色々な提案があった時に、「NO」と言うと、そこから先は何もないじゃないですか。そこから物語が始まるわけじゃないし、今回の場合なら、俺と会うこともない。
でもオノさんは、「いつも“YES”と言うことで、それを一つの(自分の)運命だと私は思っている」とおっしゃって。カッコイイんですよ。
石丸:だから会うことを選んだと。
中村:考えてみると、(オノさんが)あのジョン・レノンさんと出会ったきっかけも、オノさんが個展を開いた時の、「天井の絵」という、“脚立を登って虫眼鏡で天井に描いてある文字を読む”という作品だったんですけど、そこに描いてあるのが「YES」だったんです。
だから、オノさんは「YES」なんですよ。俺が勝手に決めているんですけど(笑)。
石丸:そういう方なんですね。
中村:オノさんの話を聞いた時に、“すごく良い話だな”って思ったんですよ。人から提案があった時に、「NO」と言えばそれっきりなんだけど、「YES」と言えば、もしかしたら問題が起きるかもしれないけど、良いことが始まるかもしれない。
“俺は「YES」と言って話を進めよう”と思ったので、その言葉は非常に自分の中でエネルギーになりましたね。その後は何があってもイエスマンみたいになっちゃいましたけど(笑)。“それも悪くはないかな”という風に思ってます。
石丸:それによって、何か新しい出会いが開いていきましたか?
中村:そうですね。ただ残念なのが、オノさんはニューヨークの「ダコタ・ハウス」という所に住んでいるんですけど…。
石丸:セントラルパークの横にありますね。
中村:そうです。『ローズマリーの赤ちゃん』という映画の舞台になった所なんですけど、そこの住所も書いてくれて、「ニューヨークへ来たらいらっしゃい」って(オノさんから)言われたんですよ。その時に“よっしゃ! 行くぞ!”と思ったんですけど、俺、それからニューヨークへ行っていないんですよ。
石丸:そういうことですか。
中村:ええ。きっと俺のことも忘れていると思いますけど。
石丸:そんなことはないと思いますよ。オノさんに最初に会った時の印象って、どんな感じでしたか?
中村:俺たちはビートルズ世代ですが、1970年にビートルズが解散する時に、巷では解散の理由にオノさんの存在があると言われていて、言わば悪役みたいな感じがあったんです。
けれど、実際会ってお話ししたオノさんは、言葉の選び方とかすごく品のある方で、(話の)内容もアーティストって感じがして。2時間後には別れたんですけど、すごく貴重な、“会えて良かった”って心の底から言える2時間でしたね。
話は変わるんですけど、実は45年前に、ビートルズのジョージ・ハリスンさんの家へ行ったことがあるんですよ。
石丸:お! すごい!
中村:当時ジョージ・ハリスンさんは「ダーク・ホース」というレコード会社の社長だったんですけど、そこの所属のアーティストと知り合いだったんです。縁があってイギリスへ行った時に、「ボスに会うか?」と聞かれたので「会いたい」って答えたら、ジョージ・ハリスンさんのお家に招待してくれたんです。
実際に会ったら“普通の人”って感じでした。すごく優しくてジェントルで、「俺、ビートルズの一員だぜ」みたいな雰囲気が微塵もないんですよ。
俺みたいな、日本の何者か分からない人間に対しても、ちゃんと2時間位相手をしてくれました。
それで、ジョージ・ハリスンさんから、ビートルズのサンプルレコードをもらったんですよ。
石丸:すごい! すごい!
中村:あれ、売ったらすごいことになるなって、ちょっと思っているんです(笑)。
石丸:売らないでください(笑)。すごい方たちと会われていますね。
中村:ジョージ・ハリスンさんとの2ショット写真もあるんですよ。それを自慢したくて、テレビ番組の打ち合わせでで“ジョージ・ハリスンとの2ショット”の話をしたら、「ちょっと待ってください。肖像権があるので、これは控えましょう」って言われて。
石丸:それくらいレアなものですものね。
中村:すごい金額が動くことになったら、テレビ局も大変なので(笑)。こうやって地味に自慢話をしてます。
石丸:いや、でもすごいことですよ。
そして、オノさんに会ったことで色々なことに挑戦されているじゃないですか。アメリカ映画にも挑戦されたのですよね。
中村:はい。
石丸:『終戦のエンペラー』、そして『アメリカンパスタイム 俺たちの星条旗』にも出ていらっしゃいますよね。これはやっぱり、ESSで英語を勉強していた、その素地があったからですか。
中村:そうですね。(キャスティングディレクターの)奈良橋陽子さんに、以前から「雅俊、オーディションを受けろ」って言われていて。
石丸:それは、アメリカの映画の?
中村:そうです。それで最初にオーディションを受けたのが、『アメリカンパスタイム』だったんですよ。そしたらラッキーなことに受かって、1ヶ月半くらいアメリカのユタ州で撮影したんです。
マネージャーや通訳無しで行ったんですけど、すごく楽しかったですよ。自分で全部やらなきゃいけないし、日本語でやる芝居と違って、すごく一生懸命勉強しました(笑)。台詞に関しては、細かい発音の仕方までチェックされるんです。その分だけちゃんと覚えましたね。
その後、奈良橋陽子さんが『終戦のエンペラー』で役をくれたんです。
石丸:その時の役は何ですか?
中村:近衛文麿という、戦後のマッカーサーが来る時の総理大臣の役でした。ものすごく長い台詞だったんですけど、受験生のように頑張りました。
石丸:それも英語で?
中村:そうですね。トミー・リー・ジョーンズさんがマッカーサーの役でした。
石丸:そうなんですね。素晴らしい経験ですよね。
中村:英語でのお芝居というのは、映画を作っている人たちも含めて、すごく刺激的で楽しいですね。
石丸:日本とはまた違った?
中村:ちょっと違いますよね。
石丸:どんな所が違うんですか?
中村:「アクション!」ってやるじゃないですか。で、終わると「オー、グッジョブ!」とか言うので、“いや、それほどのシーンじゃないんじゃないの?”と思うんですけど、いちいち大袈裟に「良かった! 良かった!」って感じです。
あと面白かったのは、“本番が何回もある”というか、最初のテイクを撮った後に、気が付いたら役者の間に(関係ない)人が入っていても、カメラを回しているんですよ。“この人何? 本番? 映っちゃうじゃん”とか思うんですけど、そのカメラマンが(関係ない人が)写ってないところを使えば良い話なんですよね。
石丸:そうやって聞くと、新しい感じがしますね。
中村:それに、俺は留学とかの経験がないので、海外の人たちと生活を共にするというのは楽しかったです。
朝7時にホテルのロビー集合が多かったんですけど、日本では小さな声で「おいっす」「眠いっすね」とか言うのに、彼らは朝から「ハロー! エブリバディ!」みたいに、すごく大きい声で挨拶する人も多かったですね。
石丸:確かに、アメリカの方は声が大きい方が多いですよね。
中村:そういうのもちょっと驚きました。