石丸:このサロンでは、人生で大切にしている“もの”、“こと”についてお伺いしていますが、今週はどんなお話を聞かせていただけますか?
秦:今日は「恩師の言葉」についてです。
石丸:その恩師とは?
秦:18歳の頃、横浜にあるライブハウスに初めて自分のオリジナル曲で出たんですけど、そこのオーナーさんです。
「歌は、歌った瞬間から聴いてくれた人のものになる」という言葉をもらったんですが、当時18歳とか19歳で、それまでは自分の部屋でギターを弾いて曲を書いて、ちょっとずつライブハウスでやったり、人前でやるようになっていった時期でした。
当時は、やっぱり自分のために歌ってたと思うんですよね。自分のために作っていたというか。なので、その言葉を聴いたとき最初は凄く違和感があったんです。聴いてくれた人のものになるという感覚がなくて。
でも、その言葉を受けて少しずつ自分の曲の書き方とか選ぶ言葉とか、そういうものが変わっていって、デビューのタイミングぐらいにはこの言葉が自分にとっての中心になっていました。
楽曲を作ったり、ライブしていく繰り返しの中で、“聴いてくれる方がいて初めて自分の音楽というのは出来上がるんだな”というのを実感したんです。
石丸:今でもその気持ちがある、と。
秦:もちろんあります。シンガーソングライターなので自分の感覚から曲ができていくというのは変わらないんですけど、同じ感覚でもどうやったら同じように聴いてくださる方に伝わるんだろうかとか。
どういうメロディだったり、どういうサウンドだったら自分が伝えたい言葉が本当の意味で伝わるのかなとか、そういうことはすごく考えてます。
石丸:恩師の言葉が元になって今の秦さんがいらっしゃるわけなんですけども、どのタイミングで「音楽で生きていこう」と決められました?
秦:ライブハウスに出るようになってからだと思うんですけど、それこそオーナーさんにすごく可愛がってもらって。
“こういう曲を書け”とか、“いつまでに何曲か書いてこい”とか、様々な音楽や映画、本だったりを教えていただきました。
そのおかげで音楽に対してより深くのめり込んでいきましたし、音楽がすごく好きなので、プロになれたらいいな、と思うようになりました。
石丸:デビューするまで間、様々な苦労もあったと思います。
秦:そうですね。自分がいいなと思った楽曲も最初は思うような反応を得られなくて。
“自分は良いと思ってるのになんでだろう?”という違和感とかギャップがあったんですけど、聴いてくれる方にどんな風に伝えようとしているのかっていうのが欠落していたような気がするんです。
(恩師の言葉によって)聴く人、届ける相手というのが自分の中でどんどんリアリティを持ち始めたことでメロディーも、言葉の選び方も変わっていきました。そうすると、やっぱり曲が変わってくるんですよね。