石丸:このサロンでは、人生で大切にしている“もの”、“こと”についてお伺いしていますが、今週はどんな お話を聞かせていただけますか?
伊東:今日は井上陽水さんの『つめたい部屋の世界地図』という曲についてお話をさせていただきたいと思 ってます。 旅をするんだったら一人で行く船の旅が良いという歌なんですね。陽水さんの曲はみんな好きなのですが、「お通夜のときにこの曲をかけて欲しい」といろんな人に言ってるんですよ。
石丸:この曲をお聴きになったのは?
伊東:今から40年くらい前にカラオケに目覚めて。その頃からいろんな歌を歌い始めたのですが、その中の一つです。
井上陽水さんの曲は現実的なことを歌ってるようで、どこか遠くを見つめているようなところがありますよね。
例えば、『傘がない』ではものすごく身近なことを詩にしているようでいて、実はもっと遠いところのことを話してるわけです。そういうところが好きなんです。あんまりダイレクトな歌というのはダメなんです ね。
石丸:最初に『つめたい部屋の世界地図』聴かれたときも歌詞が耳に飛び込んできたということでしょうか。
伊東:そうなんです。陽水さんの曲はみんなそうなんですけれども、寂しいようでありながら暗くはないん です。
石丸:とても詩的ですよね。私から言うと、(井上陽水さんの歌は)大人たちが求めていた理想郷みたいな感じがします。
伊東:そうかもしれません。
石丸:あの時代って世の中は学生が荒れている時代ですよね。
伊東:政治的なメッセージもすごくありましたし、当時はフォークソングなんかが盛んでしたけれども、井上さんの歌は演歌でもないしフォークソングでもない。ポップスといえばポップスなんでしょうけれども、 なかなか味わいがあるなと思っていつも聴いています。
石丸:お仕事をされているときに音楽を聴いたりなさるんですか?
伊東:仕事をしながらは、今はほとんど聴きません。もっと昔、事務所を始めた頃は仕事がなかったものですからよく聴いていました。当時はレコードでしたけれども、森進一、八代亜紀、藤圭子とかを聴きながらぼんやり建築のイメージを思い浮かべていました。
石丸:そこで芽生えたイメージというのは、曲の特徴が反映されていたりもするんですか?
伊東:実際に自分の建築空間にそれが繋がってるとは思わないんですけれども、公共の仕事をやるようになって地方都市に行くことが多くなったんです。
一番最初に僕が依頼された公共建築は熊本の八代市だったんですが、当時の市長に「八代について何か知ってるか?」と言われたので「八代亜紀の出身地で、レコードを全部持ってます」と言ったんです。そしたら、夜にカラオケに連れて行かれて。
当時は家にカラオケを備えているような時代でしたので、地元の人たちの方が我々よりはるかに上手いわけです。そうすると、「昼間は難しいことを言ってるけど、夜は大したことないじゃん」みたいな感じで一気に気を許してくれるんですね。そうやって、歌を媒介にして親しくなったりしました。