石丸:この番組では人生で大切にしている“もの”、“こと”についてお伺いしていますが、今日はどんなお話をお聞かせいただけますでしょうか?
小澤:今日は、おこがましいのですが「村上春樹の作品」についてです。
石丸:村上春樹作品とは、いつ頃の出会いですか?
小澤:高校生くらいですね。最初に読んだのが『国境の南、太陽の西』という本でした。当時、“村上春樹”っていう名前は知っていたんですが、読んだことはなくて、読んでみたら全く分からなくて。
石丸:そうですよね。僕は最初『ノルウェーの森』から読んだんですけど、やはりチンプンカンプンでした。
小澤:ちょっと“ファンタジー”ではないですけど、その、主人公の“内面的な世界”みたいなものが入っているじゃないですか。
でも、最初に読んで分からなかったからこそ、興味を持ったんですよね。直感で、“分からないのは俺が理解できないだけで、ここには何かがある”って。
石丸:それ、大事ですよね。
小澤:“それで、村上春樹さんてどんな本書いてるんだろう?”と。
最初から読んでいってみようと思って、デビュー作『風の歌を聴け』を読んだんです。
石丸:あれは僕も面白かった。
小澤:読んだことある方は分かると思うんですけど、時間軸が凄く飛ぶじゃないですか。1回読んで、“心には残るんだけど、ちょっとあれだなぁ…”と思って、もう一度読み返したんですよ。でも、“何か引っかかる!”と思って、今度はその分からない事が興味になってきて、“この世界観好きだな”っていう風になっていって…。毎回読むたびに発見があると言うか、文章は同じなのにこちらの状況が違うだけで伝わるものが変わってくるって凄いことだなぁって思って。
当時僕は高校2、3年くらいで、作品(『風の歌を聴け』)の主人公である“僕”や“鼠”は、(当時の自分より)ちょっと年上なんですよね。作中に「ジェイズ・バー」というバーがあって、“そこで僕らは25メートルプール一杯分ぐらいのビールを飲み、床に殻が5センチたまるくらいのピーナツを食べた…”みたいな。
石丸:はちゃめちゃな世界でしたよね。
小澤:そうなんですけど、イメージが湧くんですよね。単純に“格好良いな”っていうのもあったし。
石丸:しっかり覚えているってことは、そうとう頭に残っていたってことですね。
小澤:『風の歌を聴け』は、おそらく50回以上読んでます。その後『1973年のピンボール』があって、『羊をめぐる冒険』、『ダンス・ダンス・ダンス』。この4部作で“僕と鼠の物語”が完結するんですけど、他の作品も全部! 短編集も読んでいます。
『ねじまき鳥クロニクル』も最高だし。
石丸:そういう村上春樹さんとは、お会いになったことがあるんですか?
小澤:春樹さんとは、幸運なことにお会いさせてもらう機会がありまして。“この人の頭の中から、あの世界観が出てきてるんだ”っていうのがあって、最初は緊張で喋れなかったんです。だけど実際に会ってみると、“本当にこの人からあの作品たちが生まれてきたのかな?”というくらい、ギャップが面白くて。
石丸:会った時の印象はどうだったんですか?
小澤:“凄くシャイな方だなぁ”っていう印象でした。でも、“この人はシャイをまとった物凄く頭のいい人だな”と直感ですね。
石丸:読んでいた本について質問を投げかけた事はあるんですか?
小澤:何回かお会いさせていただいてますけど、それはやろうと思っても出来ないですね。あまりに好きすぎて、出来ない。
石丸:そうか。
小澤:お話させて頂いた『風の歌を聴け』という作品が一番好きな作品なんですけど、その話の中で、凄く心に残ってるフレーズがありまして。ニーチェの言葉を引用して書いてるんですよ。それが、『昼の光に、夜の闇の深さが分かるものか』。この言葉って、もちろんそれを引用した春樹さんも凄いんですけども、何か、“すごい挑戦的な言葉だな”って思って。
石丸:なるほど。
小澤:『昼の光に、夜の闇の深さは分からない』だと、あまりグッとこない。でも、『夜の闇の深さが分かるものか』だと、物凄い拒絶や対立感というか、“お前なんかに俺の孤独が分かるか! 夜の深さの孤独が、昼の太陽の光が燦々と注ぐ幸せな空間なんかに理解できるわけないだろう!”っていう、なんか凄い力強い言葉だなと感じていて、何かやっている時にそのことがフッと頭に浮かんだりするんですよね。それぐらい、春樹さんの世界観は好きですね。
石丸:第1週の時にもお話が出ましたけれども、小澤さんは演劇と出会った後に“作り手”になる計画もあったとか。
小澤:いわゆる“監督業”ですね。
石丸:例えば、『村上作品を撮る』なんてことはどうなんですか?
小澤:僕ね、“村上さんの作品を撮りたい!”と思ったことがあって。『東京奇譚』という短編集の中に「ハナレイベイ」っていう作品があるんですけど、それが凄く映像が頭に浮かんで、しかも世界観が春樹さんっぽくて好きだったので、“やりたいな!”って思ったら、もう映画化されてました。“残念!”って思って。でも、春樹さんの作品の映画化って、本当に難しいんだろうなって。
春樹さんの短編集『中国行きのスロウ・ボート』の中の一節に、「僕の放浪は地下鉄の車内やタクシーの後部座席で行われる。僕の冒険は歯科医の待合室や銀行の窓口で行われる。僕たちは何処にも行けるし、何処にも行けない」というのがあるんですよ。要するに、物理的に何処かに行かなくても、そういった(何でもない日常の)所で自分の中では冒険が始まっている…みたいな。それって、一番映像化しづらいじゃないですか。
石丸:確かに。
小澤:例えば、“タクシーの後部座席に乗っている男なのか女なのかが外を見ていて、そこから映像が切り替わって、その人の頭の中の映像になっていく…”とかは(映像化)出来ると思うんですけども、そういうことでもないんですよ。
そこには、何も具体的に書かれてないんです。ただ、そこで言う“冒険”とは、物理的なものじゃなくて“精神的な冒険”だということは凄くよく分かるんだけど、具現化しづらいという。だから村上春樹作品をやる機会があったら、弟子入りしたいと思っています。