石丸:今週も、よろしくお願い致します。この番組では人生で大切にしている“もの”、“こと”についてお伺いしていますが、今日はどんなお話をお聞かせいただけますか?
Toshl(龍玄とし):今日は「茶道」についてです。
石丸:茶道を始められたきっかけは何だったのですか?
Toshl(龍玄とし):きっかけは、飛行機に乗った時にたまたま観た機内番組です。外国の方が日本に来て茶道を習われて…というストーリーだったんです。
(外国人の方が)日本人よりも、日本の文化や心というものを深めてらっしゃることに感銘を受けたというか。自分も海外に行く機会が多いのに、そういうことが足りてないなと思い、お茶道をやってみようかなと思いました。
石丸:僕も少しだけかじったことがあるんです。色々な決まり事がある上に、お茶席では軸やお花や器を観賞して、お話をしなくてはいけないですよね。道は入り易いけれども、入ったら凄く“細くて深い道”なような気がしましたが、Toshl(龍玄とし)さんにとっては、お茶道はどうでしたか?
Toshl(龍玄とし):衝撃的でしたね。石丸さんの仰るとおり“終わりが無い芸術”、しかも総合芸術じゃないですか。特に僕が惹かれたのは、「音」ですね。
石丸:「音」ですか?
Toshl(龍玄とし):お茶を立てている時の茶筅の音とか、お湯が湧いた時の御釜の音とか、外で降る雨の音とか、それまでそういう音をあまり気にしたことがなかったんですね。とにかく(茶室は)静かなので、ああいう“静寂”というものも、あまり経験した事がなかったですし。
石丸:そうか! 我々、音楽をやっている人間って、“(音が)鳴っている状態”の中に入っていますものね。“無”って、始まる前と終わった後にしかないですものね。
Toshl(龍玄とし):現代を生きていると、静寂って、中々経験が出来ない事だと思うんです。(お茶道は)より深い世界なので、僕みたいな初心者にとっては、静寂の中に流れるお茶の世界の音もそうだし、自然界の音もそう。“それを聴いている”ことや、“それを感じている自分”というのが、最初は不思議でしたね。
石丸:そういう微かな音に意識が向くって、Toshl(龍玄とし)さんならではの感性かもしれません。
Toshl(龍玄とし):そうですか?
石丸:普通はもっと「お茶道具について」とかに意識が向くんじゃないかな。Toshl(龍玄とし)さんが仰ったようなことは、数少ない経験ですが僕は初めて聞きました。
Toshl(龍玄とし):色んな音が、“聴いていない”だけ、あるいは、“聴こえていない”だけで、実は本当に美しい。足音でも、着物の裾をスッと直す音でも、“こんなに美しいものなのかな?”と。帛紗をさばいている時の音一つにしても美しいと感じていて……、そんなふうに感じる事が出来て良かったなって。
石丸:音について色々と気づいた、知った、それによってご自分の音楽活動に影響がありましたか?
Toshl(龍玄とし):やっぱり“引き算”になっていきますよね。どうアレンジしようかという時、楽曲を作っていく時に、それまでは何か盛っていく、盛り上げていくみたいな傾向があったのですが、(茶道を習うようになって)いかにシンプルにクリアにしていくか、楽器の音の質だとか声色の質とか、そういったものを如何に際立たせていくのかを、考えるようになりました。
ありのままの良さと言ったら良いのか…。盛り上げれば盛り上げるほど色んな音が重なってゴージャスになっていくんですが、お茶道からもし刺激を受けたとしたら、「どれだけ(音を)なくせるか」ってことです。
石丸:その発想ですね!
Toshl(龍玄とし):“歌なのに、音楽なのに、いかに静寂に近づけるか”というか。“間”とかそういうものに、もしかしたら大きく影響を与えて頂いたかもしれませんね。
石丸:大きな影響ですよね。
Toshl(龍玄とし):そうですね。自分の中でも新しいアプローチになっていきましたよね。