石丸:新年あけましておめでとうございます。今年初めのゲストは、立川志の輔さんです。どうぞよろしくお願いいたします。
このサロンでは人生で大切にしている“もの”や “こと”についてお伺いしておりますが、今日はどんなお話をお聞かせいただけますでしょうか。
立川:今日は「落語会での音楽」についてです。
石丸:そもそも落語の音楽というのは落語家の方が決めるものなのですか?
立川:“落語の音楽”と言うと、まず必要不可欠なのは「出囃子(でばやし)」ですね。お弟子さんが、大きい大太鼓(おおど)と締太鼓(しめだいこ)の二つを叩いて、そして三味線方が三味線を弾いて、それで落語家が(高座へ)出ていけば落語会は成立するんです。
けれど、私が言っている「音楽」というのは、お客さんがチケットをもぎって、ロビーに入って客席で待つ時間や休憩時間、そして一番大事なのが、落語会が終わって緞帳(どんちょう)が下りきった瞬間に流れる音楽の事なんです。それが、ものすごく大事なんですよ。
石丸:落語本編以外は音で包まれていると言う事ですね。
立川:そうですね。落語を喋っている以外の時間は、お客様を退屈させないように。なんと言いますか、“気になってしょうがない”という曲も困るし、一緒に歌われても困るし(笑)。
石丸:(笑)。
立川:客入れ(の時)は、軽快でなおかつメロディーが頭に残らず、でも不快でない音楽を流します。そして“この後三味線が鳴って出ていくんだから、弦楽器は止めて鍵盤楽器にしようか”とか、も考えます。
石丸:そこまで考えるんですか。
立川:そういう事を考えている時間が楽しいんですよ。多分、お客さんは私が考えていることなんて何の意識もしていないと思いますけど(笑)。
石丸:落語会の他の高座でも、そういう音楽が流れるんですか?
立川:流れません。最後は「追い出し太鼓」と言いまして、例えば、暮れの有名な落語の『芝浜』という演目のオチが、「おっかあ、やっぱり酒よすわ」「どうして?」「また夢になるといけねえ」って言うと、余韻に浸る間もなくダーッと大太鼓が“テンデンバラバラ・・・出てけ、出てけ”と(お弟子さんが)叩くんです。言葉にすると酷いもんでしょ(笑)。
石丸:言葉にしたのを初めて聞きました(笑)。
立川:(“出てけ、出てけ”と心の中でリズムをとって)そうやって追い出し太鼓の打ち方を覚えるんです。
せっかく一生懸命稽古をしてお客さんを落語の世界に引き込んだのに、オチを言ったらあとは“出てけ!”と言うより、“少しは余韻を作ろうよ”っていう事で(あえて自分は音楽を流す)なんです。
石丸:そうですか。では、音楽は志の輔さんならではという事ですね。
立川:そうですね。大元は、私の入門半年後に師匠の立川談志が落語協会を脱退して“寄席には出ない”と言った時からです。寄席では無い、普段演劇やコンサート、映画の試写会など、いろんなことに使っているホールを、その晩2時間だけ落語の世界にするには、落語のしきたりに無いものを入れてかないと、という。
石丸:そこでしたか。
立川:そうなんですよ。これが寄席でやっていれば、追い出し太鼓なんですよ。しきたりですから。
ですから寄席通の皆さんは、太鼓が鳴らないと“何で追い出し太鼓が鳴らないんだ?”と心配になる位です。バラバラっと太鼓が鳴ると“あぁ、今日は来て良かった”と思いながら、太鼓に追い出されて外に出るというのが気持ちいいんですよ。
石丸:では、太鼓のような効果がある音楽をエンディングに使っているということですか?
立川:いや、太鼓はいきなり現実に戻してしまうので、現実に戻るまで少し猶予をおくために音楽の力を借ります。ゆっくり席を立ちながら“今日2時間よく笑ったな”とか“やっぱり生で、自分で足を運んだらそれだけのご褒美があったな”と思ってもらえるような公演にしたいと思って頑張っている訳ですから、そんな時間をほんのちょっとでも長く味わって帰ってもらいたいなぁという想いなんですね。
そんな時にロックンロールという訳にはいかないですから、お見送りする私もホッとするし、お客さんも一番気持ち良く外に出られるんじゃないかという曲が、山下達郎さんの「バラ色の人生〜ラヴィアンローズ」っていう曲で、どの落語会でも今一番多くお世話になっています。
石丸:そうなんですね。