石丸:西川貴教さん、これから4週に渡り、どうぞよろしくお願いいたします。西川さんとは 2015年公開の映画『ギャラクシー街道』で一緒でしたね。
西川:そうでしたね。三谷(幸喜)さんに本当に振り回されて(笑)。
石丸:(西川さんの役は)キテレツな宇宙人でしたものね(笑)。さて、このサロンでは、人生で大切にしている“もの”や“場所”についてお伺いしておりますが、今日はどんなお話を聞かせていただけますでしょうか。
西川:はい。今日は僕のふるさと、「滋賀県」についてです。
石丸:滋賀県にまつわる色々な活動をしていらっしゃいますよね。
西川:そうですね。2008年から「滋賀ふるさと観光大使」をやらせていただいています。僕が就任するまで、県の中にこういった制度自体が無かったんです。
石丸:そうなんですね。
西川:滋賀県は、京都、三河、尾張などの大きな都市に挟まれていますから、色々な歴史の舞台になっているんですけど、あまりPRが得意ではない県だったんです。
石丸:今は西川さんがいらっしゃるので、鬼に金棒ですね(笑)。
西川:たくさんPRをやらせていただいてます(笑)。
石丸:どのようなPRをしているんですか?
西川:そうですね。歴史の舞台だったので、国宝級のものや仏像などがたくさんあるんですけれども…。県の中央に琵琶湖があるので、地理的に不利なんです。「急がば回れ」という諺が生まれたくらい、西と東の行き来が難しいものですから、土地的な不利もありまして。
石丸:それは気が付かなかった。
西川:まとめてみなさんにご紹介したいんですけど、やっぱり時間をかけて訪れていただきたいという想いもあります。
石丸:確かにそうですね。あと、琵琶湖を船で渡ったりするのも素敵ですよね。
西川:そうなんですよ。遊覧船もあります。あと、京都からすぐですから、ちょっとずらしてみて滋賀県にお越しいただいたりするのはどうでしょうか、っていう(笑)。
石丸:ずらす(笑)。滋賀は僕も好きな県で、草津に友人が結構住んでいたり、あと、「たねや」のバームクーヘンが大好きなんですよ。
西川:CLUB HARIE(クラブハリエ)ですね。
石丸:そういった意味で、僕も滋賀県に対する想いはすごくあるんですけど、(西川さんの)滋賀県に対する想いは、子供の頃はどうだったんですか?
西川:インターネットやスマートフォンが無かった時代ですから、今よりも10代の子が欲しい情報がなかなか届かなかった…というか、テレビや雑誌で観ているアーティストのコンサートやライブに参加したくても、滋賀県にはまず来てくれなかったんです(笑)。
石丸:そうなんですね。
西川:コンサートができる会場が少ないというのもあったんですけど、「何かを手に入れたい」って考えると、最低でも“京都や大阪に出ないとダメだなぁ”という感じでした。滋賀を飛び出した時は正直、“もう二度とこの地元には帰って来るまい”という想いでしたね。
石丸:そんな想いだったんですね。大都市に対する憧れが強かった?
西川:あったと思いますね。でも、色んなことを経験したり東京で生活していく中で、ふるさとのありがたさや、家族がいることで何か心が救われるものをすごく強く感じました。
石丸:大阪に出て、そして東京に出て大成功されたからこそ、だと思いますよ。
西川:いえいえ。父親が県職員だったんです。母方の祖父は警察官でしたし、父方の親族はみんな、県職員か教職員か、みたいな感じだったので、僕だけ急に一家の中で「全然関係無いことをやり始めた人」みたいな感じでした。それが、まわりまわって地元のことをさせていただけることになり、“やっと家族の一員になれた”みたいな気がします。
石丸:そうなんですね。そんな滋賀愛溢れる西川さんですが、この度50周年記念の写真集「西川貴教 五十而知天命 〜五十にして天命を知る〜」が小学館より発売されました。“50歳を迎えて今が最高の仕上がり”という、集大成とも言うべき写真集ですが、まずご自身で付けられたタイトルの意味を教えていただけますでしょうか。
西川:こういった50歳という節目の機会で写真集を作るオファーをいただいて、少し気恥ずかしかったですけど、“記念だし”と思って、年齢を入れさせていただこうと思いました。
石丸:初めて拝見した時に、“50(歳)じゃない! 20代の表情と身体が作られ方だ”とびっくりしました。
西川:ありがとうございます(笑)。
石丸:また、ページをめくると歴史的な滋賀県の景色もありますね。お寺ですか?
西川:そうですね。この企画自体は一昨年からいただいていて、「折角ですし、2020年の50歳の誕生日にリリースしましょう」ということになったので、「撮影自体は(2020年の)春ぐらいですかね」って話をしていたんですよ。それでその準備に入っていたら、コロナの影響で撮影が滞ってしまい。
石丸:そうでしたね。
西川:その頃は今よりも感染対策が厳しかったので、「スタジオ撮影が無理だ。じゃあもう写真集ができない」っていう感じだったんですよ。密を作ること自体が難しかったので。
石丸:写真集を撮る時にはスタジオで撮ることが多いですからね。それが難しいと。
西川:そうなんです。「じゃあもう諦めるしかないですかね」って言う時に、「いや、だったらちょっと頭を柔軟にして、全部ロケにしませんか」って話をしました。「ロケ場所はどうしましょう?」ということになったのですが、僕が務めさせていただいている「滋賀ふるさと観光大使」は、滋賀県の観光振興局に帰属していて、ドラマや映画のロケーションアテンドもしているんです。そこの局長や職員のみなさんとは僕自身が直接お話できるので、「何とかお願いできませんか」と伝えたら、色々な場所を提案してくださいました。
石丸:さすが観光大使!
西川:“10年以上やってて良かったな”と。それで完成したのがこの写真集です。
石丸:そうなんですね。この写真集は「思い出の衣装を着ていらっしゃるシーン」「故郷滋賀でのロケのシーン」そして「ボディシーン」の三部構成になっていますけれど、その滋賀のシーンがまさにそうなんですね。
西川:そうですね。
石丸:お着物を着て、景色と一体になっていますね。
西川:そうですね。自分の中で50歳って、節目というか人生2周目に突入、みたいな気がしています(笑)。
石丸:2ラウンドね(笑)。
西川:最近、「人生100年」って言われていますし、“ここから自分に何ができるのか”をもう一回問い直すみたいな感じかなと思っています。
石丸:改めてこの写真集を拝見して、僕も55(歳)なんですけども、50でここまで自分の美を表出(ひょうしゅつ)できるのは見事ですよね。思い出のコスチュームシーンとなっておりますが、これはどういった時に着てらっしゃった時の思い出の服なんですか?
西川:2017年以降から、「T.M.Revolution」としての活動はありながら、「西川貴教」として音楽をまた届けて行こうと活動を続けている中で、ミュージック・ビデオだったり、CMでもこういった”衣装らしい衣装”を着せていただくことが多かったんです。そういった衣装は一度着ると二度と袖を通さないことが多くてもったいないので、記念に素晴らしい写真で残していただけたらと思って。
石丸:一度この衣装をご覧になった方が、もう一度見ることができる喜びにも繋がると思いました。
西川:嬉しいです。
石丸:コスチュームを粋に着こなしてらっしゃるので、日本の美を感じました。甲冑姿でカメラの前に立った時はどんな想いでしたか。
西川:2017年は「T.M.Revolution」として活動して20周年で、“いよいよここから次のステップだな”というタイミングで母が亡くなって、自分にとってすごく大きなものが失くなって、自分の中で色んなものがスタックした(動けなくなった)んですよね。
だけど、“いや、こんな所でへこたれていると、あれだけ応援してくれた母親に申し訳ない”という気持ちが先に立って、“家族のためにも親からもらった「西川貴教」という名前でまた頑張ろう”と奮い立ったところから、作ってきたものをもう一度まとえて、新たな決意が持てたような気がしました。
石丸:色んな想いがこの写真集には詰まっていますね
西川:詰まっていますね。
石丸:西川さんが滋賀県で生まれ、そして滋賀に行ったことによって生まれた50周年記念の写真集「西川貴教 五十而知天命 〜五十にして天命を知る〜」は小学館より発売中です。是非手に取ってみてくださいね。
西川:よろしくお願いします。