石丸:このサロンでは、人生で大切にしている“もの”、“こと”についてお伺いしていますが、今週はどんなお話を聞かせていただけますか?
山田:今日は、「家族」についてです。
石丸:“山田さんのお父さんが面白い”という情報をいただいていますが、ご家族に個性的な方が多いのですか?
山田:そうですね。父は昔から自由人で、多趣味な人でした。
家の中にはすごい量のレコードがあって、ジャズやロックをいつも聴いていました。
写真も好きで家に暗室を作っていましたし、僕が幼少期には、両親2人で喫茶店をやっていたのですが、その喫茶店も蔵の中を改装したものでした。
外見は蔵ですが、店中の壁が全部小説で埋まっていたり、骨董品が置いてあったり、ねじまき時計もいくつも置いてあったり……不思議な空間のお店でした。
石丸:それはお父さんが集めたものなんですか?
山田:すべて父が集めたものです。
石丸:そういう環境の中で育って、何か影響はありましたか?
山田:姉が2人いて、長女は芝居をやったり、監督をしたりもしていて。
次女は歌をずっと歌っているんですけど、ふと気づくと芸能一家だなと思って。
大人になってから姉と話をしたときに「これってお父さんの影響だよね。色んな刺激を受けていて、やりたくなったんだろうね」という話をしました。
石丸:お姉さんからも影響は受けたのでしょうか?
山田:姉とは年が4つ離れているんですけど、先に上京して
素人だけど雑誌に載るモデル、今で言う読者モデルをやっていました。
表紙を飾っていたりしたので、僕は同級生からは「お前の姉ちゃんすごいじゃん!」と言われていて・・・僕は小さいときから一度も夢がなかったんです。小学生のときに「テストの裏に将来の夢を書いて提出してください」というのがあったんですけど、夢がないのでいつも横に座っている子の夢を適当に真似して、野球選手やパイロットと書いて出していました。
石丸:そういう意味では、家族の生き方によって夢が決まったんですね。
山田:そうですね。周りから“すごい”と持て囃されているけど、僕からするとただの姉なので。
“俺でも出来るだろう”と思って、母に「僕も東京に行って芸能人になりたい」と言って。
芝居とか、歌をやりたいではなく、ただ芸能人になりたいという田舎の子供の感覚でした。
そして実際に東京に出て来て、今の事務所にスカウトされたんです。