石丸:このサロンでは4週に渡って人生で大切にしている“もの”や“こと”についてお伺いしてきました。最終週は“時を重ねながら長く大切にしていること”をお聞きします。それは一体何でしょうか。
立川:ズバリ「高座の時間」ですね。「高座に居る時間」と言ってもいいですかね。…「座布団の上の時間」ということで(笑)。
石丸:まさに落語家さんとして、高座が勝負の場でもありますものね。
立川:37年間ずっと座っていた訳じゃないですけど(笑)。37年間毎日、座布団の上に正座してきましたね。
石丸:その高座というスタイルがずっと続いてきたわけですけれど、最近(コロナの影響で)約5ヶ月位、座れなくなる時期があったじゃないですか。そこで、何か思ったことなどはありましたか。
立川:お客様へ向けての生の高座が全部中止や延期になって(落語が)出来なかった期間は、“大変な世の中になったなあ”という事の方が大きく感じられたんです。
再開出来る様になって、「半分のお客様のみお入りになれます」という条件の中で演っている時に、幸せなことにそれまではほとんどの席にお客様が座ってくださっている状態をずっと見てきたので、市松模様で空いているっていう状態は、一瞬“あ、変だな” “寂しいな”という感じがあったんです。
けれどもお客様は、この(コロナ禍の)さなかに自分で身体をホールまで持ってきて、座って、そしてマスクをしながら一生懸命落語を聴いて、自分の頭の中でイマジネーションを働かせてマスクの中で笑ってくださっている。
拍手と笑い声しか許されませんから、最後大きな拍手をお客様から頂いたときに、「お客様ってなんとすごいものだったのだ」という事を、「おまえ、今頃か」って言われるかもしれないけど、正直、本当に今頃それを感じました。
石丸:はい。
立川:それまでは“お客様の人数を集めること”が大切な要素だったんですが、“何人か”という事では無いんです。
石丸:そうですね。
立川:大阪の桂文珍師匠が、東京の国立劇場の1600人が入る大劇場で20回の公演を演ろうとされたんですけど、コロナで12回か13回に減ったんですよ。なおかつ、演れた時ももちろん全員は入れないんですよ。
そしてチケットは全部売れていたのに、お客様が続々と(コロナが)怖いのでキャンセルされる中、その公演に、たまたま1日私はゲストで呼んで頂いたんです。
もうとにかく(お客様が)「私もとても(コロナが)恐ろしくて行けません」という状況で、当日になって1600人の3分の1のお客様になったので、座席の埋まり方がいびつなんです。
右の方が割とお客様がいらっしゃるんだけど、左は全然お客様がいらっしゃらないという事になると、落語は右を向いたり左を向いたりするので、(目線の先に)人が居たり居なかったりする訳ですよ。
やりにくさとしては大変な状態な訳ですが、でも本当に温かいお客様で、文珍師匠の一席目もそうですし、私がゲストで行った時も“俺達が盛り上げてやんなきゃ”っていう力いっぱいの拍手を頂き、笑い声も“隣、前後の空いている席の分も笑ってやろう”ってお客様の気合いが、ステージまで上がってくるんですよ。本当に良い会だったんです。
終わって文珍師匠の楽屋に“お疲れ様でした”って挨拶に行った時に、文珍師匠が「ああ、ほんまにええお客さんやったなぁ。考えてみたらお客さんいうのは、“ぼんやりした満員”よりも“やる気のある3分の1”やなぁ」って(笑)。
石丸:(笑)。
立川:“本当にその通りです。お客様最高!”って文珍師匠に言いながら。でも今、そういう会が全国いたる所で多分、行われているんだと思うんですよね。
石丸:そうだと思います。私達もそうですけど、その時に受けた良い衝撃は忘れないですね。初心に戻ります。自分もお客様も(コロナ禍で)初めての経験の中で積極的に観てくださっている訳ですしね。
立川:当たり前の事を突き付けられるんです。落語は「コール・アンド・レスポンス」に決まっている訳ですよ。
落語を喋って笑い声があって、「面白いぞ」という返事があるからこそ次のセリフが出て、そのうちに「いや、今のはあんまり面白くなかった」という返事があったら“反応が思った程じゃなかった、じゃあ…”って、お客さんとコール・アンド・レスポンスをしながら30分の落語をやっているんだって、今更ながら感じます。
「覚えたものを喋っているんじゃないんだよ、お客様の前で披露するんだよ」っていう事をコロナに教えてもらったと思ったら、悔しくてしょうがないですけどね。
石丸:今だからこそ語れる事ですよね。
そして、志の輔さんは観客の為の空間作りも凄く大切にされているそうですね。
立川:落語と言えば、典型的に “緋毛氈(ひもうせん)”という、いわゆるお茶会か何かでよく使う赤い毛氈(敷物)の上に座布団で、後ろに金屛風があります。
石丸:そうですね、落語といえば。
立川:そうなんです。私が落語家になった頃、談志のカバンを持っていくと大体それが用意されているんですよ。どこのホール落語や劇場落語へ行ってもほとんどそれなんですよね。
でも本当は、金屛風と赤い毛氈というのは、照明がそんなに無い、もっと極端な事を言うとロウソクを両脇に立ててその灯りで演者を照らす時に華やかにする為のもので、出演者を際立たせるための道具立てだったとしたら…。
石丸:そうか!
立川:今は照明さんがどうにでもしてくれるから、明るすぎて。だから屏風は白の方が良いんですよ。なぜなら金屛風は光を反射するので、間の悪い席に座るとずーっと明かりが当たっているんですよ。
そういう意味で言うと、ひょっとすると金屛風は今のホール劇場には不似合いで、毛氈も赤だと目に痛いから、もう黒で良いんですよ。
石丸:その発想は、そこに居続けている人には分からないかもしれませんね。
立川:そうなんですよ。「新春初笑い寄席」とか言って、おめでたくしようとすると金屛風と赤い毛氈になっちゃうんですよ。
でも本当は「お客様の目が一番疲れない状態の空間」を作ってあげることが一番大事なことなんだ、と私は思っているんです。なので、きらびやかな色や、反射する物とかをなるべく舞台には置かないようにスタッフにお願いをしています。
もともと落語というのは「座布団を置けば、そこが高座で良いじゃないか」という感じなんです。でも今、これだけ(創意工夫を凝らした)立派な劇場、照明があったら、お客様が一番楽な空間を作ることがとても大事なことになってくる、と自分は思っています。だから、スタッフと共に(劇場空間を作る)という。いや、芸が至らないとかを(楽な空間を作ることで)何とか帳尻合わせで(笑)。
石丸:「志の輔らくご」で、年によって全く背景の色が違ったり、床の色が違ったりとか色んなシチュエーションのセットを拝見しました。色んなものを見てこられた志の輔さんだからこそなのかなと思いました。
立川:歌舞伎座はじめ色んな劇場を見せてもらいに行った時に、“1階席で観るのと2階席で観るのとこんなに違うのか”と思ったのは、2階席のある劇場で舞台の床が板だった時に、2階席から観ると物凄く床が反射をするんです。
そこに、専門用語で言うと地絣り(じがすり)という布を敷くことによって光を吸収するので、上から観ている方がステージの反射を見なくて済むんですよ。
石丸:そういう事なんですね。
立川:ですから、「2階席がある劇場です」と言われたら、「申し訳無いですが、布、地絣りを敷いていただけませんか?」っていうのをスタッフにお願いをしてもらっているんですよ。
石丸:その気遣いがお客様も嬉しいですよ。
立川:今の劇場の作りが(昔と)決定的に違うのは、ひな壇でずーっと斜め上に上がっていくんですよ。
石丸:客席が?
立川:客席が。昔はステージが高くて客席が下だったんです。お客さんは首を15度位やや上に上げて見ていたんですよ。
石丸:学校の講堂とかそういう作りですよね。
立川:そうです。体育館のステージと同じなんです。だからそこに座布団を敷いて座る落語家は「高く座ると書いて高座」と、そして私達は挨拶のついでに「こんな高座からやらせていただきまして誠にありがとうございます。申し訳ございません、こんな高い所から」と言っていましたが、今の劇場はどこへ行っても自分が一番低いんですよ(笑)。
石丸:低いです(笑)。
立川:そうなんです。そうやって劇場の建物の構造も変わってきたんだから、今は「落語は1人でやるんだから座布団さえ置いときゃ良いだろ」っていう風に自分で思ってはいけないし、色んな事をスタッフと話し合って、スタッフの力を借りたら何でも出来るんです。
石丸:本当ですね。だからこそ音響も照明もこだわりながら決めていらっしゃる?
立川:そうなんです。