石丸:西川貴教さん、今週もよろしくお願いいたします。このサロンでは、ゲストのみなさんに人生で大切にしている“もの”や“こと”をお伺いしておりますが、今日はどんなお話をお聞かせくださいますか?
西川:今日は、「いつも心に留め置いている言葉」についてお話しできればと思います。
石丸:それは、どういう言葉でしょうか?
西川:「暗いと不平を言うよりも、すすんであかりをつけましょう」という言葉です。
石丸:いつその言葉と出逢ったのですか?
西川:10代の頃深夜ラジオが大好きで、いつも枕元にラジオを置いて、聞きながら寝てしまう…ということをよくしていました。
石丸:分かります。
西川:ある時、朝方までラジオをつけっぱなしにしていて、ふと起きた時に、高らかなファンファーレと共に「暗いと不平を言うよりも、すすんであかりをつけましょう」という言葉が聞こえてきたんです。「心のともしび」という、キリスト教の教えを説いていく番組だったんですが、好きな番組を聴きながら寝落ちすると、朝は必ずその音が流れてきて毎回起こされるんです(笑)。
石丸:目覚ましだ(笑)。
西川:そう! 目覚ましだったんですよ。いつの間にかフレーズと共に覚えてしまっていて、ある時にふと、“これはめちゃくちゃ良い言葉だな”と思って。今の時期は特にそうじゃないですか。コロナ禍でみなさん我慢が続いていて、どうしても自分のこと以上に周りのことや色々なものが目に入って気になってしまうけれど、自分から何か動いてみて人の責任にせずに、“自分でやっているんだから” と思えるようになれたら、そういったストレスも少なくなるんじゃないかな、なんて思うんです。
石丸:今だからこそ、この言葉、という想いもあるんですか?
西川:それもありますし、私達はどうしても表に出ると目立ってしまうので、ネットやSNSなどの情報で傷ついたり気持ちが左右されたりすることがあると思うんです。でも、そこで「だからこそ何かやるべきなんじゃないか」 「だからこそ自分がやります」と言える自分でいたいなと思っています。
石丸:確かに。
西川:そういった気持ちを常に呼び起こさせてくれる言葉なのかなと思います。
石丸:良い言葉ですよね。「暗いと不平を言うよりも、すすんであかりをつけましょう」。だって暗いところに行ったら、どこまでも入っていっちゃいますからね。
西川:そう。何かやりたいなと思っても、勇気が出なかったり。例えば「ベストボディ・ジャパン」に参加することだって、“人に見られて身体を評価されるなんて、そんなつもりでトレーニングをしていたわけじゃないから” とか、“自分を追い込んで体調を崩したら良くないから”とか、出ないことに対する理由付けなんて山ほどあったし、「今はやるべきじゃないよ」と言ってしまうこともすごく簡単だったんです。
石丸:そうですね、“やらない選択肢”ですね。
西川:でも、いざやってみたら違う景色が見られるかもしれないと思うんです。それは、舞台やお芝居の仕事をさせていただく時にもすごく思うことなんです。“僕みたいな者に何ができるんだろう”と思って、最初は「いや、お断りします」と言っていたのですが、“それだけ熱心にオファーをくださるということは、何か期待してくださってるのかな”と。“期待に応えないなんて損をしているんじゃないかな”と思って。“置かれた場所で咲く”というか、諦める前に、与えていただく環境で咲いてみようと。それでできなかった時に、「“できる”って言われたからやることに決めたんですけどね(笑)」くらいの軽い気持ちで良いんじゃないかと。
石丸:そうですよね。「すすんであかりをつけましょう」の部分だと思うんですけども、人に請われる時って、何か理由があるんですよね。そういう時に飛び出していく勇気はすごく大事ですよね。僕もこの頃は、 “歳も歳だし”とか色々考えがちなんですが、(新しいことを)やったって良いんですもんね。
西川:できるチャンスをいただけるのであれば、やった方が良いと思うんです。T.M.Revolutionもそうなんです。元々音楽はずっとロックバンドをやっていたので、まさかソロデビューするなんて考えたことも無かったですし、音楽性もハードロックがルーツだったんです。80年代ってハードロックのムーブメントがすごかったですから、最初は“デジタルでピコピコしたサウンドのものを歌うなんて”と思ったこともあったんですが、“いや、歌えるチャンスをいただけるのであれば、全力でやってみよう”と思って、やらせていただきました。その結果、少しずつみなさんに自分のことを知っていただけるようになりました。“できない”前提じゃなく、“まずやってみよう”から始めて、そこでカタチにしていくだけでも、今まで無かった自分と出会えるチャンスを与えられているな…という気がします。
石丸:お話を伺っていると、西川さんは、ちゃんと石橋を叩いて確認して尚且つ渡っていく方なんですね。やっぱりすごい勇気がいるし、洞察力も必要だし、それを地で行くっていうのは素晴らしいことだと思いますよ。今、ラジオを聴いている人で迷っている人がいたら是非行動してほしいですね。
西川:行動してほしいですね。本当にそう思います。みなさん色々考えることも多いと思いますが、チャンスがあるのだったら是非掴んでもらいたいなって、こういったコロナ禍の状況だからこそ思いますね。
石丸:そうですよね。そんな西川さんでもソロデビューまでに挫折経験があったと伺っているのですけれど、それは本当ですか?
西川:はい。先ほどお話ししたように、バンドで音楽のキャリアを始めたので、T.M.Revolutionでデビューした時は25歳だったんです。最初は、20歳の時にバンドでデビューしました。ちょうどその頃ってバーッと盛り上がっていたバンドブームが徐々に下火になってきた頃だったんですよね。
石丸:そうですか。
西川:デビューはできましたが、そこから形にしていくのがなかなか難しくて。それでも2年半ぐらい活動していました。
石丸:バンドは何という名前だったんですか。
西川:「Luis〜Mary」というバンドだったんですけれど、デビューしてからなかなか結果が残せないままでした。そんな中で、このままこのバンドを続けていくべきなのか、この環境から飛び出して新たな自分のスタートを切るべきなのかと悩んだ結果、バンドのメンバーに相談して、脱退することにしました。バンドを解散した後を見据えて、「マネージャーさんと一緒に二人で独立します」というようなことが一般的にはよくあったのですが、僕は後のことは何も決めずに脱退したので、何も無くなってしまったんです。一度自分の中でリセットしようということで、そこから2年半位引きこもって、自宅でマルチトラックレコーディングをしていました。当時は今みたいに「Pro Tools」(音楽制作用のソフトウェア)は無かったですから、自分でカセットにリズムを打って、ベースを弾いて、ギターを弾いて、歌を入れて…という。デモテープを誰に聴かせるでもなく、とにかく作り続ける、といった生活をしていました。
石丸:自分と向き合って、自分の中の音楽と対話していたんですね。
西川:“新たなスタート”という意味では何か別のことやるという選択肢もあったと思うんですけど、その当時は音楽を辞める勇気が無かったんですよね。
石丸:そうなんだ。
西川:今思うとたかだか2年半位なんですけど、その頃は先が何も見えず、“この状態が永遠に続くんじゃないか”という感じでしたね。あと、啖呵を切って田舎から出てきているのに、“親に合わせる顔が無いな”“実家にも帰れないな”と思っていました。
石丸:そういう想いはありますよね。
西川:“こんな状況で地元に帰れないな”とか考えて、自分の居場所も無くて、ただ東京にしがみついていた感じでした。
石丸:今の西川さんから全くそんな姿は想像できないですが、その時間はソロデビューに向けての準備だったわけですね。
西川:そうですね。その後も、“ただ作っていても意味が無いな”と思って、一念発起して、当時お世話になっていた関係者の方を通じて、“曲を聴いてくださる方がいらっしゃったら紹介してください”と言って、自分でデモテープを何本もダビングして、そこに自分のプロフィールを書いた小さなメモを挟んで、色々なレコード会社を回っていました。
石丸:売り込みですね。
西川:はい。やっていました。
石丸:すごいなぁ。でも、元々バンドをやってらしたし、その音楽性もしっかりあるからこそ自信を持って売り込みに行けたんだと思いますけど、でも、勇気は要りましたね。
西川:いやぁ、なかなか。レコード会社の存在がすごく大きかったですし、強かったですから、まずレコード会社の方にお会いできるかどうか、ディレクターさんに気に入っていただけるかどうか…みたいな感じだったので。
石丸:そこですよね。
西川:今なんて、自分で曲を作ったらその日のうちにライブ配信できたり、色んなプラットフォームがあるので、誰の手も借りずに出したい時に好きなものが出せるじゃないですか。その当時は、ディレクターさんやレコード会社のプロデューサーさんに気に入られて目をかけてもらわないと、どこにも出られませんでした。テレビもそうでしたけれどね。
石丸:そうですよね。
西川:だからこそ、そういった意味で圧倒的に“演者”と“扱う側の人達”に大きな隔たりがあったので、「とにかくお願いします!」みたいな感じでした。でもなかなかそこに辿り着けなくて、苦しんでいた時期でしたね。