石丸:西川貴教さん、今週もよろしくお願いいたします。このサロンでは人生で大切にしている“もの”や“こと”についてお伺いしておりますが、今日はどんなお話をお聞かせいただけますでしょうか。
西川:そのままシンプルに、「西川貴教」。親から貰った大切な名前について、お話しできればと思います。
石丸:「西川貴教さん」というお名前は、ご本名ですね。西川さんは「T.M.Revolution」というお名前で長年活動していらっしゃり、本名で発信し始めたのは、ごく最近ですよね?
西川:2017年からです。ちょうど「T.M.Revolution」がその年に20周年を迎えました。こんなに一つのことを長く続けるなんて、歯磨きと食事以外では「T.M.Revolution」しか無かったかもしれません(笑)。
すごく感慨深かったのですが、その年に母が亡くなり、自分の中で何か大きな節目を迎えたような気がしたんです。
西川貴教の“貴教”は、「貴く教える」と書くのですが、僕が小さい頃、学校の先生が「西川たか…何だこれ?」って、なかなか「教(のり)」と読んでくれなかったことがありました。
そういう小さいことがずっと頭に残っていたので、“ソロでデビュー…「西川貴教」、こんな堅い名前だったら売れないんじゃないか?”という不安がずっとあって。
石丸:コンプレックスだった?
西川:はい。それで、その当時のディレクターさんに、「何か別の(名前)は無いですかね?」って。
石丸:西川さんから聞いたんですか?
西川:「別のと言ってもなぁ…」って言いながら、レコード会社のスタッフの中でコンペみたいなものが行われて。
石丸:へえ、そうなんだ。
西川:その中で「T.M.Revolution」というアイデアが出てきて、僕が「これ良いですね」と言って、それで決まったのが「Takanori Makes Revolution」という名前です。
石丸:あぁ、そういうことなんですね。歌番組で「T.M.Revolutionさんです」と(紹介されていて)、お名前は知っていたのですが、その時に何人かでいらしてたんですよ。
西川:ですよね。
石丸:「グループ名だったっけ?」と一瞬思ったのですが、ご本人のソロ名義だったわけなんですね。
西川:今でこそ、お一人でグループのような名義で活動されている方も増えましたし、アーティスト名なのか個人名なのかよくわからない、愛称のような方もいらっしゃいます。今はもう当たり前に(変わったアーティスト名を)受け入れてくださる時代になりました。
石丸:今はね。
西川:はい。でも、僕がデビューした25年前は、「今日はボーカルの西川さんが来てくださっています。何人組なんですか? 他のメンバーの方は、今は何をされていますか?」なんて言われることもあって。
石丸:(笑)。
西川:「あの、僕だけなんですけれども…」「はあ…」ということが多かったですね(笑)。
石丸:西川さんはそういったアーティスト名の“走り”ですね。
「T.M.Revolution」というお名前で20年以上活動されてこられましたよね。お母様が亡くなられたことによって心境の変化が起こったと伺いましたけれども、あえてご本名で出ようと思った大きな意味は、何かあるんでしょうか?
西川:こうやって「T.M.Revolution」として音楽を続けていると、ありがたいことに「T.M.Revolutionってこういうアーティストだよね」とか「こういう音を出しているよね」と認識していただけるようになって。それは嬉しかったのですが、色々な機会でミュージシャン同士やクリエーター同士が繋がって、「いつかこんなことができたら良いね」などと、話していることがたくさんあって。
石丸:ああ、そうか。
西川:せっかくみなさんが愛して育ててくれた「T.M.Revolution」に他の要素を持ち込みすぎるのもどうかな、と。(T.M.Revolutionは)みんなのものなので、僕自身の意思でどうこうできないな、だったらそれは別路線で活動した方が自由も利くし、良いんじゃないかと思ったんです。
だから、「西川貴教」という“素の状態”というか“丸裸の素材”として、様々なクリエイターや作家さんと一緒に組んで新たなものを生み出すというのが、西川貴教としての活動…ということになりました。
石丸:そういう活動になって、何か新しいところに飛び込んでいったりとかしましたか?
西川:そうですね。僕よりも若い世代のミュージシャンやクリエイターと一緒に色々な“モノ作り”をすることで、“自分ってこういう風に見られていたんだ”と気がつきました。
この年齢(50歳)からって、二方向に分かれると思うんですよね。より研ぎ澄まして自分の決めた道を突き進んでいくという方向と、「これ良いよ」とか「これやってみたらどうですか」とか、柔軟に色々なことを求められるような方向があって、僕は後者になりたいと思っています。
石丸:どちらかというと、年齢が重なってくると研ぎ澄ましていく方向に行く人が多いですよね。懐を開いて色々な人に自分を見てもらうって、すごい勇気だと思いますよ。でもそれは、「T.M.Revolution」じゃない、新たな「西川貴教」としてスタートすることによって呼び寄せたということもありますよね。
西川:そうですね。贅沢ですが、これまで作り上げてきた“自分にとって大切なもの”をしっかりと守り続けながら、挑戦をさせていただけたらと思っています。
石丸:話は変わりますが、西川さんは歌手としてだけではなく、映画や、ドラマ出演、バラエティ番組、また事務所の社長など、さまざまなお仕事を兼任、兼業されていますよね。西川さんを突き動かすものというのは、一体何なんでしょう。
西川:うーん…元々自分に素養があったわけではまったく無くて、やるしかなくて始めただけなんですよね。器用じゃない分、真面目に頑張るタイプなんです、こう見えて(笑)。
石丸:器用な方に見えますよ。
西川:それなりにじわじわと続けていって、何となく形になってきたものが揃ってきたって感じなんですけども。
石丸:最近はアニメゲーム制作会社の「MAGES.(メージス)」の特別顧問に就任されています。そういうところに参加することになったきっかけは、どこにあるんですか?
西川:元々、そちらの会社の方と一緒にお仕事をしたり、コンテンツのプロデュースなどでお付き合いはずっとありました。
石丸:そうなんですね。
西川:色々と事業やアイデア、ソースみたいなものを共有していくうちに、事業ができそうなものは、やっぱりスタッフワークを始め、大きなトルクで回した方が少しでも早くみなさんにお届けできるんじゃないか…などと協議していく中で、(MAGES.の方から)「じゃあ、もう役員になってもらえませんか」と言われて、それがスタートでした。
これまでは「表に出る人はそれ専門で」というのがあったかと思うのですが、こういった(コロナ禍の)状況もあって、逆に表に出ていた人間だからこそできることもあるのかな、と。
海外だと、名優と言われている方々がプロダクションや制作会社をお持ちだったり、スタジオをお持ちだったりすることも普通じゃないですか。
石丸:そうですね。
西川:日本だとまだまだ稀だと思うんですけど、元々僕自身が自分の個人事務所というかエージェントを抱えているので、その知見みたいなものを二次利用する形で、今後新しいことができたらいいなと思っています。
石丸:これからも、ますます色々なことにチャレンジしてみようと思われますか?
西川:そうですね。ありがたいことにアニメやゲームの主題歌をやらせていただくことがすごく多いのですが、アニメやゲームって、今や日本の大きな文化で、一つの産業になっているじゃないですか。
石丸:そうですね。
西川:色々やらせていただいていると、それこそ文化庁や文部科学省、経済産業省と色々な繋がりができて、そういったみなさんと地元が繋がってくると、もっとどんどん可能性が…。
石丸:広がりますね!
西川:そうなんですよ。舞台や映画などの仕事の合間にそういった役員会とか…実は今日この後もあるんですけど。
石丸:そうなんですね。
西川:一つのことに集中して長く続けるのがあんまり得意ではなくて、色々なことをたくさんやるのが自分の性格に合っているみたいです。
石丸:いやー、すごい。観光大使、社長、顧問と、肩書きがこれからもどんどん増えていくでしょうね。今後「西川貴教」として目指すところ、更にやってみたいことがあったら教えてもらえますか。
西川:そうですね。(コロナ禍の)タイミングで色々なことを考えさせられて“自分が今一番テンションが上がることって何かな”って考えた時に、社会貢献にしか興味が無くて。
以前は“自分が有名になりたい”とか“自分が作ったものを人に知ってもらいたい”ということが最優先だったのが、“なにが本当に世の中にとって必要とされているのか”という考えに変わりました。
ずっと地元のことで経験してきた「地方創生」とか「地域振興」というものを軸に、色々な方と繋がって可能性をもっと広げていくことで、“日本がもっと元気になったら良いなあ”なんて思っています。
石丸:やっぱり50(歳)を超えた人間の発言ですよ。素晴らしいと思います。来週はその話もいっぱい聞かせてください。
西川:ぜひ、よろしくお願いします。