石丸:真中満さん、これから4週に渡りどうぞよろしくお願いいたします。このサロンでは、人生で大切にしている“もの”や“こと”についてお伺いしておりますが、今日はどんなお話をお聞かせいただけますか。
真中:今日は「野村克也さんから頂いた年賀状」についてお話ししたいと思います。
石丸:おお、野村克也さんですね。戦後初の三冠王、そして監督(指導者)として3度の日本一を経験していらっしゃる野村克也さん。まず、出会いについてお話しいただけますか?
真中:はい。野村監督は、僕が入団1年目の時(1993年)には(すでに)ヤクルトスワローズの監督でした。その前の年には(セ・リーグでヤクルトスワローズが)優勝していて、 “これぞ監督!”というか、“監督ってこういう存在感のある人なんだな”と、皆さんが想像するような「監督」でしたね。
石丸:僕たちがテレビでよく拝見する野村監督は、腹に何か一物あって、なおかつ、厳しい言葉をピシャッと仰るようなイメージがありますけれど。
真中:そのままです(笑)。何ら偽りなく、そのままですね。
石丸:そんな野村さんと出会って、すぐに自分の方から向き合っていこうという気持ちになられましたか?
真中:いえ、野村監督は偉大過ぎたので、僕は22歳ぐらいで(球団に)入りましたので、すごく距離は感じましたね。もう神様みたいな感じの雰囲気で、ひたすら“監督の仰ることを吸収しよう”というような、そんな距離感でしたね。
石丸:かなり野村さんの言葉をメモに取っていたと伺っています。どのようなことをメモされていたんですか?
真中:(野村監督は)キャンプ中の1か月の間に、毎日1時間のミーティングをするんですよ。
野球の技術とかノウハウは当然なんですけども、それ以上に人生論とか、「野球選手である前に、ここに気を付けて行動しろ」とか、「ただ野球だけをやっている、野球バカになるなよ」みたいな、色々な話をしてくれるんです。
石丸:それは、どういう意図があってお話をされていたんでしょうね。
真中:僕もそうなんですけど、野村監督がよく仰っていたのは、野球選手って“野球バカ”なんですよ。もう子供の頃から野球ばっかりで、それこそ「ペンなんか持たなくて良いからバットを持て」というような親が多かったので、本当に野球しかやっていない選手が多いんですよ。
なので、そんな選手たちに対して、「野球−(引く)真中満を0にするな」と。野球がなくても一人の人間として成り立つような生活を、プロ野球選手という立場の時にちゃんと身につけて卒業していけ、という感じですね。
石丸:ずっと先のことまで考えて話をされるんですね。
真中:そうなんですよ。
石丸:その言葉は、当時22歳の真中さんにとって、どのように響きましたか?
真中:まずプロ野球選手になることが目標としてあったので、(プロ野球選手になって)少しほっとした部分が、僕も含めて皆あったと思うんです。
けれど、そこで“こんなもんじゃないぞ”という事実をいきなりミーティングで突きつけられたことで、“今からやっとスタートするんだな”と、改めて実感できたかなと思います。
石丸:(プロ野球界に)入った人たちに真っ先にそういう言葉をかけてくださる野村さんは、選手にとって“うるさい”ですか? それとも“ありがたい”ですか?
真中:僕は“うるさい”とかそんなことは思っていないですし、“ありがたいな”と思って聞いていましたけど、毎日なので、段々飽きてくるんですよ(笑)。
石丸:そうですか(笑)。
真中:その時は(自発的に)メモを取るのではなくて、「書いとけ」って言われて、メモを取らされていました。とにかく書くことによって残せた部分があるので、たまに振り返って見たりして“良いことを話してもらっていたな”と感じることもありますので、良かったなと思っています。
石丸:後に真中さんが監督になった時に、「指南書」みたいなものになりましたか。
真中:そうですね。全部が全部ではないですけれど、行き詰まったりした時に読み返してみると、少し落ち着いたり、開き直れたり…ということはありましたね。
石丸:素敵な方と出会いましたね。
真中:プロに入って野村監督に出会えてそういう話を聞けたというのは、自分の人生にとって非常に大きなことだったなと、本当に思いますね。
石丸:そうですよね。私たちの目にはいわゆる“昭和の頑固親父”のように映っていたところもありますが、選手の行く末のことまで考えて発言されていたと知って、野村さんの意外な一面を知りました。
真中:「管理野球」と言われましたけど、意外と選手を尊重してくれるんですよ。ミーティングでは色々厳しいことを言うんですけど、「プレー中は好きにやれ」というタイプの人で、締める所は締めますけど、基本は伸び伸びやらせてくれていました。
「データはデータで(持っておいて)、困った時に使え」ということなんですよね。
石丸:そうなんですね。
真中:はい。自分の感性や現場で今感じたことを大事にして、行き詰まったりちょっと迷った時にデータを持ってきて、参考にする。“あくまでも(データは)準備として置いておく”というところが、野村ID野球でした。
ただ「ID野球」って言うと、他球団の人は“ヤクルトは何か(特別な作戦を)やってくるんじゃないの?”という風に思われるので(笑)。
石丸:逆にね(笑)。それも狙いだったりするんですか?
真中:それも狙いなんですよ。黙っていたら“何か仕掛けてくるんじゃないのかな”って相手に思わせるだけでも、既に「ID野球」なので。
石丸:確かにゲームというのは色々なことが起こりますものね。その中で「情報は大事だ」ということを、野村さんはずっと言われていたと。
真中:言っていましたね。
石丸:そして、野村さんから大切なものを頂いたと伺っておりますが、それは一体何でしょうか?
真中:僕が現役のユニフォームを脱いで、ヤクルトの2軍のバッティングコーチをやらせてもらった1年目(2009年)のことなんですが、“色々教えても上手くいかないな” “今後どうしていこうかな”と、ちょっと行き詰まって迷っている時期があったんです。
その時期のオフに、野村監督から「見ている人は見ているよ」というフレーズが書いてある年賀状を頂いたんです。
“コーチ業って、何が評価されるのかな”と思っちゃうんですよ。評価を求めたくはないんですけど、“どうやったら自分が頑張っていることを伝えられるんだろう”と、自分のことばかりを考えてしまうんです。けれど、「見ている人は見ているよ」という言葉で、人の評価を気にせずに、“信念を持って、やることをやっていれば、評価は後からついてくるものだ”って、割り切ることができましたね。
石丸:具体的に“こういう方法をやってみよう”とかあったんですか?
真中:そうですね。“コーチとしての言葉の伝え方”というのは難しいですし、選手が本当に理解しているのかも中々分からないので、色々迷いがあるんですよ。でも、とにかくコミュニケーションをしっかり取って自分の思い通りにやってみようと思えたんですよね。
あとは、ヤクルトのスタッフや2軍の監督が、“真中はこういうことをやっているんだな”って評価してくれれば良いのかなと。
石丸:野村さんは、真中さんのそういう悩んでいる姿をどこかで見ていたんでしょうかね。
真中:いや、それはないと思いますね(笑)。
石丸:ないですか(笑)。
真中:でもね、野村監督って、こういうちょっとしたフレーズで良い言葉をくれていました。
石丸:タイミングが良かったんでしょうか。
真中:この年賀状は、本当にインパクトが強かったですね。毎年色々頂いていたんですけど、他のことはほとんど覚えていないですから。
石丸:そうですか。毎年、(年賀状を)頂戴していた?
真中:はい。色々頂いていたんですけど、この言葉だけはずっと(頭に)残っていて、“よし、とにかく頑張ろう”って思えた言葉でしたね。
石丸:今スタジオにその年賀状をお持ちになっていただいているので、拝見いたしますね。
真中:こんな感じですね。筆書きで。
石丸:額に入っていて、野村さんの似顔絵がど真ん中にドーンとありますけど、これは(ご本人が描かれた)?
真中:似顔絵はおそらく野村監督は描いてないと思います。似顔絵の周りに筆で(書いてある文字が野村監督)。
石丸:達筆ですね。
真中:「頑張れよ」「見ている人は見ているよ」って、ちょっと温かく感じる言葉だったんですよね。
石丸:これは額に入れていつも見ていたくなるような年賀状ですね。
真中:僕も今は現場を離れて解説の仕事とかもやらせてもらったりするんですが、これ(解説)も難しいじゃないですか。“何をしたらいいのかな”と色々迷いはあるんですけど、“評価をあまり気にせずに自分の思い通りにやろう”と、割り切って考えていこうと思っています。
石丸:そういった意味で、野村さんの言葉が真中さんの中にはいつも入っているんですね。
真中:そうですね。背中を押してくれる言葉ですね。