石丸:田村淳さんをお迎えしております。これから5週に渡り、どうぞよろしくお願いいたします。このサロンでは、人生で大切にしている“もの”や“こと”についてお伺いしておりますが、今日はどんなお話をお聞かせいただけますでしょうか。
田村:今日は「すぐ動くこと」です。
石丸:「すぐ動く」。 田村さんは以前、『即動力』(SB新書)という本を出されていますが、これはどういう意味なんでしょうか?
田村:これまでの僕の人生の中で、“明日でいいや”とか、“もうちょっとゆっくり考えてみよう”と思ってすぐに動けない…ということがたくさんあったんです。それで、「思い立ったらすぐ動く」ということを心がけるようになったんですね。
石丸:過去にはそういう後悔もあったんですか?
田村:すぐ動かなかったことで、“ああ、先にやられちゃったな”となったり、そのままやらずに終わったことも多かったですね。僕の周りの、起業をして成功していたり企画を立ち上げて成功に導いてる人って、ご飯を食べたり話をしている途中から、もう動き出しちゃうんですよ。「とにかく失敗しても良いからすぐ動く」というスピード感がとても大事だということを教わりました。
石丸:ほう。
田村:彼らは、スマホをいじって、「それだったらこういうプロジェクトできそうだな」「こんな人にこう言ってみよう」とか、すぐ動き出すんです。で、ご飯を食べている1〜2時間のあいだに物事が50%ぐらい進んだりするのを見ていて、“これは自分自身もすぐに動かなきゃ”って。
石丸:俊足ですね。
田村:俊足の人の方が成功に近付いている気がしたんですね。失敗することもあるんですよ。でも、失敗してもまたその人達は「ここがダメだったんだ。じゃあ、こうやればいいじゃん」って、すぐ動くんです。そういう人達は、「こういう失敗の懸念点があるよね」ということにあまり意味を感じてないんですよね。
(何か)やっちゃって失敗したら、“それにどうやって対峙するか”という方がリアルだなって、僕は思うんですよ。
石丸:時間を上手く使うってことですよね。
田村:そうですね。時間もそうだし、そういう人達は“成功する”と仮定して動いているんですけど、でも、「失敗も早くしたい」んですよ。人よりも早く失敗できたら人よりも早く対応できるので、その(失敗の)データを取りに行きたい。
石丸:そうか!
田村:失敗をただの失敗で終わらせないように動き続ける。そういう人達が僕の周りにたくさんいたので、彼らに感化されての“すぐに動く「即動力」”なんです。
僕が大好きな、植松電機の植松(努)社長のエピソードなんですけど、植松さんは北海道のちっちゃな電気屋の社長さんなんです。ちっちゃい頃から「僕は空に向かってロケットを打ち上げたい」って夢を語っていたら、大人に「北海道の片田舎でそんなことができるわけがない」と散々夢を否定されたんですけど、ずっとやり続けたんです。
それで植松さんに失敗のデータがたくさん溜まっていくんですけど、ある日、ロケットを飛ばしちゃうんですよね。そしたら、NASAが「あの人はすごい!」って近付いてくるんですよ。“ロケットを飛ばしたことがすごい”んじゃなくて、“失敗のデータ量がすごい”ということで近づいてくるんですよね。
(植松さんの)“やりたい”って気持ちにまっすぐに向き合って、「すぐ動く」「すぐ動く」を繰り返したら、失敗がたくさん重なったけれど、それがいつの日か宝になった…という話にすごく感動したんです。
石丸:勇気づけられるし、自分も失敗を恐れなくなりますよね。
田村:植松さんにお会いした時に、「夢をたくさん持ちなさい」と言われたんですよね。日本人って、1つの夢を掲げてその夢に向かって突き進めって風潮があるじゃないですか。
石丸:ありますよね。
田村:僕も小学校の時に、作文で夢を20個位羅列したことがあるんですよ。そしたら学校の先生に、「1つに絞りなさい」って言われて。ずっと違和感があったけれど、植松さんは「いや、夢は持てるだけ持った方が良い。“明日、どこどこのカレーが食べたい”、これも夢だから。そういう夢をたくさん持って1つずつ成功体験を積み重ねていくと、自分の自信にもつながる。“明日カレー食べに行きたい”って言ったら、すぐに動けば良いじゃない。だってできるじゃない」と。
この“即動力”と、夢をたくさん持つこと、そして夢を持ったらそれをたくさんの人に言うこと。
石丸:言うこと?
田村:「夢をどんどん語ると、“それだったら力を貸せるかも”という人が現れて成功に近づくから、どんどん夢を語りなさい」って言われて、そこから恥ずかし気もなく、叶うか叶わないかは置いておいて、とにかく自分の興味や関心持ったことは人前で言うようにしています。
石丸:これが淳さんの“今”を作っていることなんですね。
田村:僕は、“こんなに自分がやりたいことをやれているこの人生は、自画自賛できるな”と思ってます。これだけ好きなように生きることができているのは、「即動したから」かなと思っています。
石丸:「即動」、その一言に尽きますよね。
そして田村さんは慶應義塾大学大学院を修了されたということですが、学部や学科はどこだったんですか?
田村:「メディアデザイン研究科」というところで、例えば、世の中の役に立つサービスを思いついたら、サービスを設計するところから社会ローンチするまでの一通りを学べます。
プログラミングとか、ロゴデザインってどういう風に作られているのかとか、会社の大元になるメッセージってどのようにブランディングしていくのかとかを2年間学ばせていただきました。
僕は大学に行ってなくて、大学院からが学びのスタートだったんです。
石丸:そこをちょっと詳しく聞きたいんですけど、僕は大学へ行かずに大学院へ行けることを知らなかったんですけれども。
田村:僕も知らなかったんですよ。
石丸:そうなんですか。
田村:元々、学びたいことができたから大学に行きたかったんですよ。「死」に関する遺書やエンディングノートのことを勉強したくて、青山学院大学の住吉(雅美)教授の授業を受けたいと思ったんです。住吉教授は法哲学で、タブーに切り込むんです。日本は「死」について話をするのをタブー視しているじゃないですか。
石丸:そうですね。
田村:法律の観点と法哲学の観点で“死をどうやって学べば良いか”を知りたくて青山学院大学の受験をしたんですけど、番組の企画としてやったので半年ぐらいのチャレンジだったから、やっぱり合格することができなかったんです。
でも、「学びたいんだ」って色々な人に言っていたら…。
石丸:それ(学びたい)も夢ですもんね。
田村:ある人が、「淳さんのやりたいことが決まっているんだったら、大学にわざわざ行かなくても、大学院に行って研究すれば良くないですか?」と言ってくれて。「そんなことって可能なんですか?」と聞いたら、「大学院によっては(必ずしも大学を卒業していなくても)“大学卒業見込みと同等の経験があるかどうか”を判断する試験があるので、それを受けてみればいい」って言われました。
それで、今まで僕が芸能界に入ってやってきたことや事業を起こしてやってきたことを書いて、あと、どういうことを学びたいかという小論文を提出して(慶應義塾大学大学院に)合格したんです。
石丸:具体的に自分のビジョンがあって、そして夢を叶えたいことがそこにあったわけですもんね。
田村:そうなんですよ。
石丸:そこで色々なことを学んでいらしたと思いますけども、(コロナ禍で)途中からリモートになっていったんですか?
田村:そうですね。コロナが大変になってきたので、そこからリモートに切り替わったんですが、最初の1年は日吉というところに通っていたんですよ。
月曜から金曜までずっと、朝の7時位に起きて3限目まで出て、それから仕事をしていました。
いつも車でTOKYO FMの「ONE MORNING」という番組を聴きながら行ってました。でも、途中から通うのが大変になっちゃったので、1か月位日吉のビジネスホテルを貸りて、仕事が終わったら日吉のホテルに行ってレポートを書いて、次の朝大学院に行って、また仕事をしてホテルに戻る…ということをやってみたんですよ。
石丸:どうでした?
田村:家族に会いたくなったので、“朝早く起きて渋滞に飲まれながら車で通おう”って決意したんですよね。
石丸:その間は、奥様とお嬢様は「お父さん頑張って」と?
田村:そうなんです。娘はまだよく分かってなかったでしょうけど、奥さんは「とにかく大学院に行くと決めたんだったらちゃんと修了して欲しいし、そのためには協力する」と言ってくれました。
石丸:さすがですね。
田村:それはもう、家族の支えあってだなと思いましたね。
石丸:そうですね。大人になって学舎に入って、いわゆる専門的なことを学ぶ良さというのは、どういうところにありますか?
田村:僕はたまたま、自分が興味関心を持ったことを教えてくれる方が大学院にいたので大学院へ行きましたけど、“特に学校に行かなくても、学びってどこでもできるな”と、大学院へ行ったからこそ感じました。
同級生は22〜24歳位の人が多かったんですけど、彼らと普通の会話をしていると、僕の知らないことをたくさん知っているんですよ。それを考えたら、どの場面でも“学び”は起きるから、力を入れて「学びに行くぞ」というよりは、「日々どこかに学びがある」「教えてくれる人がいる」というスタンスでいれば、いつでも学べるなと思いましたね。
石丸:これは年齢問わず、その気持ちあればいつでも、ですね。
田村:そうですね。僕は芋けんぴが好きなんですけど、昨日芋けんぴの工場に行って、そこの工場長と話してる時も学びでしたね。“ここの芋けんぴってそうやって作るんだ”とか。
“へぇ〜!”と思うことが日常いたるところに転がってるので、そういうのを見つけるのは得意になったような気がしますね。