石丸:田村淳さん、今週もどうぞよろしくお願いいたします。このサロンでは、人生で大切にしている“もの”や“こと”についてお伺いしております。さあ、今日はどんなお話をお聞かせいただけますでしょうか。
田村:今日は「通ったことのない道」についてです。
石丸:通ったことのない道。これは実際の道だけではなくて、人生の道も含まれていますか?
田村:人生の道も含めてですけど、どちらかと言うと実際の道の方が大きいかもしれないです。僕の住んでいる近所で、“通ったことのない道”を探すのがすごく好きなんですよね。
石丸:ああ、なるほど!
田村:“あれ、ここ、こんな道があったんだ。通ったことがないな”と思ったら、通りたくなっちゃって、行くんですよね。そうすると“あ、ここは排水口からすごい臭いがするな”とか“この家の造りってスゲー良いな”とか“この庭の木の植え方好きだな”とか何かしらの刺激があるので、好きなんですよね。
石丸:通勤、通学の時でも、人って大体同じ道を通るじゃないですか。それが当たり前になったりするんですけど、敢えてそうではなく。
田村:そうなんです。だから僕、家に帰る道はいつも違うんですよね(笑)。 “人生(の生き方)と似てるな”と思って。「こんなことをわざわざしなくていいのに、何でしちゃうんだ?」と聞かれても、「したいから」しか理由がなくて。そういう欲求には正直に生きたいなということです。
石丸:じゃあ、“そこに道があれば行く”ということですよね。
田村:家って、普通は早く帰りたいじゃないですか。
石丸:まあ、そうですよね。
田村:当然僕も“早く帰ってのんびりしたい”“家族に早く会いたい”と思うんだけど、今、娘が2人いるんですけど、4歳の長女に「あそこを通ったらさ、こんなのあったよ」っていうお土産を持って帰りたいという気持ちがあるんですよ。
石丸:ああ、なるほど!
田村:この前、いつも通らない道を通ったから出会えた公園があるんです。それを長女に伝えたら「行きたい!」って言うから遊びに行ったんですけど、その公園に行く時も違うルートで行くっていう(笑)。
石丸:(笑)。じゃあ「新しい道を知りたい」「新しいことを吸収したい」というのは(人生の)生き方とリンクしているということですね。
田村:リンクしているし、あと、“不安慣れ”をしたいんですよね。通ったことがない道って、不安じゃないですか。人間って、不安だと極力ストップをかけるという方向にいくと思うんですけど、僕は「不安だけどやってみる」という思考に変わるように、毎日知らない道をわざと通るようにしています。
石丸:人間って危険を察知するじゃないですか。例えばね、「穴が開いているかもしれない」とか「この竹やぶに入ったら何か踏んじゃうかもしれない」みたいなことを察知した時はどうしてます?
田村:それはやっぱり観察しますね。“なんかヤバそうな道っぽいな”っていう時には、観察して通らない時もあります。「怖い」とか「危なそう」とか理由があれば、引き返すのは全然平気な人間なので。
石丸:じゃあ、直感はちゃんと信じて。
田村:はい、直感は信じます。
石丸:では、どうしても不安で新しい道へ行けない人達に、淳さんはどういう言葉をかけたいですか?
田村:日本って、やり始めたことをすぐに放り投げると「一貫性が無い」とか「1回やり始めたら最後までやれ」とか思う人が多いですけど、僕は、「とにかく動いて、嫌だと思ったらすぐに止めれば良い」っていう考え方なんです。そういう考えの方が、人生でチャレンジする回数が増えるような気がするんですよ。
石丸:そうですよね。
田村:「三日坊主」って言葉があるけど、“三日坊主上等でしょ”って僕は思っているんですよ。だって、やりたいと思ったことが3日で飽きるっていうデータが取れただけで、もう充分! ただ、“その次の3日”が始まって欲しいですけどね。
石丸:次の3日ね!
田村:次の三日坊主をやって欲しい。
石丸:今の言葉は、怖がっている人や失敗したりして悩んでいる人には非常に助けになりますね。
田村:どんどん失敗すれば良いんですよ。
石丸:そうですよね。どんどん失敗すれば良いんですね。「とにかく挑む」ということですね。
田村:そうです。そうです。
石丸:話は変わりますが、クラウド遺書動画サービス「ITAKOTO」をプロデュースしていらっしゃいます。不思議な名前がついていますが、一体どういうサービスなのか教えていただけますか。
田村:今から5〜6年前の僕が42歳の頃に、うちの母ちゃんが癌を患って、癌と戦っている最中に長女が産まれたんです。人間って、いつかは命が尽きるけどまた新しい命が生まれてくるので、その新しい命が生まれた時に何かメッセージを残したいと思ったんですよね。僕もいつ命が尽きるかわからないので。そんな時に、“遺書を残したいけど、でも、遺書って重いな”と思って。
石丸:確かにね。
田村:うちの母ちゃんは、僕が20歳の頃から「淳、私は延命治療しないでよ。私の生き方だから」みたいなことをずっと言ってたんだけど、その時はピンと来てなかったんです。でも、母ちゃんが癌になった時に、元気で思考がハッキリしているうちに残していたそのメッセージが、僕たち家族に強く残ってたんですよね。
石丸:はい。
田村:でも、父ちゃんと話し合いの末、母ちゃんは癌の手術をするんですよ。だけど、再発しちゃったんです。それで「2回目は本当にやらない。私に延命治療しないで」と。その言葉は、母ちゃんがずいぶん前から、遺言というかメッセージを僕達に残してくれたから、僕たち家族みんなが受け入れられたんだなぁと思って。だから、その辺から遺書とか動画とかに興味を持ち始めて、研究するようになったんですよね。
石丸:そうか。今のお話はお母様が残した「言葉」であって、まだ「言葉」の状態ですよね。それが「動画」に繋がっていくんですか。
田村:色々な人の遺書を沢山読んだんですが、“言葉って、その時のニュアンスとかが全然伝わってこないな”と思って。
石丸:はい。
田村:ラジオだと「淳はこういう感じのテンションでこのメッセージを伝えてるんだ」ってリスナーに伝わりますが、これがテキストになると、「ものすごいどよーんとしたテンションで遺書のことを語っている」って思われる可能性もあるじゃないですか。
石丸:そうですね。
田村:なので僕は遺書の動画にこだわりたいと思って、大学院に行って遺書動画を研究することに繋がったんですね。
石丸:“テンション”というところまで考えたことがなかったです。確かに、文字で読むと計り知れない重さをそこから受けますね。
田村:そうなんですよ。だって「死」のことを話しているから。漢字で「死」って見ると、「うわ、怖!」ってなるんですよ。
石丸:先程お子さんの話をされていましたけど、残された動画を観たら「あ、おばあちゃん、こんな声でこんな喋り方をしてたんだった」ってことがわかりますよね。
田村:はい。スマホの中にそれぞれの日常の動画とか写真とかってきっと残ってると思うんですけど、それって日常を切り取った部分じゃないですか。だけど、遺書動画っていうのは、「私が死んだ後にこれを観てね」っていう全く想いが違う動画なので、これをみんなが元気で若いうちから、思考がハッキリして体も良く動く状態の時から残し続けておくっていうのが大切だなと思うんです。
石丸:続けておく?
田村:「遺書の履歴を残す」っていう。
石丸:その発想は新鮮ですね。
田村:大学院に行って色々な人に遺書動画を撮ってもらっている中で、“1回で終わらなくて良いな”って気付いたんですよね。
石丸:そうか。遺書って最後の1つの言葉だと思い込んでましたけど、違いますね。
田村:はい。遺書の履歴があると、メッセージが一貫してる人もいれば途中で意見がガラッと変わった人もいるのがわかるし、そういう残し方の方が意味があるんじゃないかなと思っていますね。
石丸:メッセージを書き換えたりしても良いわけですか。
田村:もう全然(良いと思う)。消しても良いと思う。“この人は10年前からやってるけど、10年前の(動画を)消しているね”というのはその人の判断なので、それも含めて残された人はそれを観る…という。
石丸:これから世の中の人皆がやってくれると、アルバムにもなるし。
田村:ネガティブな方向じゃなくて。
石丸:残された家族達は、すごく心の支えになると思いますよね。
田村:そうなんですよ。そういうサービスが出来ないかなと思って、「ITAKOTO」を立ち上げてます。“あなたがこの世に「居たこと」”っていう。
石丸:その「いたこと」ですね。
田村:はい。でも死者を降臨させる「イタコ」からもヒントを得ています。
石丸:あ、そうか、そのイタコ。
田村:イタコに科学的根拠があるかは僕にはわからないけど、イタコのメッセージを受け取って涙する男性を目の前で見た時に、“すごい”と思ったんですよ。“こういうのを今の技術で出来ないかな”っていうのもきっかけではあります。
石丸:そうか。その人の口を通じて言葉として語られるわけですもんね。
田村:泣き崩れて楽になって、明日からまた頑張ろうって思う人が目の前にいるのって科学とかじゃないですもんね。リアルはそこにあるので。
石丸:そうですね。それで「ITAKOTO」という名前にされたということですね。
田村:そうです。