石丸:上原浩治さん、今週もよろしくお願いいたします。このサロンでは、人生で大切にしている“もの”や“こと”についてお伺いしておりますが、今日はどんなお話をお聞かせくださいますでしょうか。
上原:はい、今日は「メジャーリーグのワールドシリーズ」についてです。
石丸:ワールドシリーズ、制覇しましたものね! メジャーリーグのワールドシリーズと言えば、メジャーリーグにおける優勝決定戦ですよね。
上原さんは2013年にレッドソックスの投手としてマウンドに立ち、優勝を経験してらっしゃいます。
クローザーで投げるということは、事前に?それともギリギリに言われるんですか?
上原:(ワールドシリーズ)最後の試合は「何点差であろうが、ちょっと投げさせてくれ」というのはお願いしました。僕のクローザーっていう立場は、セーブシチュエーションが無いと投げないような感じのポジションで、その時は6対1でクローザーが投げるような場面ではなかったんですけど、投げさせてもらいましたね。
石丸:どんな心境でマウンドに上がられたんですか?
上原:1番は“これで(ワールドシリーズが)終わるのか”と思いましたね。
石丸:でも“ピシッと締めるぞ”という想いがもちろんあって?
上原:いえ、5点差だったので、“2、3点(取られて)いいかな”ってすごく楽な気持ちでした。
石丸:そうでしたか。ピッチャーが変わることになって、観客がウワーッと盛り上がるわけじゃないですか。
上原:なりますね。
石丸:その声はどう感じました?
上原:最後のアウトを取る前に、僕の下の名前で「浩治コール」をすごいやってくれたのは嬉しかったですね。ずっと名前を呼んでくれるわけですから。
石丸:ですね! 今の(コロナ禍で)無観客の試合とかがあると、観客の声援が無いのが残念ですよね。
上原:ちょっと寂しいですよね。やっぱりファンの声っていうのは、自分の持ってる力プラスαになりますから。今の選手達はプラスαが無いので、“可哀そう”というか“残念だな”っていう気持ちになりますよね。
石丸:逆の立場で、対戦相手の応援をしてる声を聴きながらプレーする時は、すごくプレッシャーがかかるものですか?
上原:ビジターというか、相手の方(の球場)へ行けば相手の応援の中で投げないといけないわけですから、逆に“くそー”という(気持ち)が出るので、そこもまたプラスαになるんです。今の無観客っていうのは、ホームの試合でもビジターの試合でもプラスαが無いんですよね。だから盛り上がりが…というのもありますよね。
石丸:改めて当時(2013年)の話に戻しますけど、クローザーとして27試合連続無失点、37人連続アウトの時だったんですよね。これってものすごい数字だと思うんですが、(記録を)カウントし続けていくことに対するプレッシャーというのはありましたか。
上原:いや、プレッシャーは無かったですね。
石丸:無い!
上原:シーズンは自分の中で“楽しい”という感じで投げていました。ポストシーズンにいくと、ちょっとプレッシャーは感じてましたけど。
石丸:ポストシーズンというのは?
上原:プレーオフですね。シーズン162試合を戦った後の試合ですね。それは「負けたら終わり」というのがありましたから、ちょっとプレッシャーがありましたね。
石丸:相当どデカい心臓がないとこれは…並の人はなかなか。
上原:実際、サヨナラホームランを打たれたり、というのもありましたから。でも、次の日にやり返すことが出来たっていうのも大きかったですし、落ち込んでる暇がなかったですね。
石丸:上原さん、ポジティブ人間なんですよね。
上原:(笑)。まあ、次の日が来ますからね。
石丸:たしかに。そうやって記録も残し、タイトルも残し、素晴らしいレッドソックスでの2013年だったと思いますけれども、この夢のメジャーリーグは上原さんにとってはどんな場所だったんですか。
上原:まず、優勝とかそういう状況にいれるとは思ってなかったですし、(メジャーリーグへ)行くって言った時に、最初にボルチモア・オリオールズに2年契約していただいたんですけど、僕はこの2年で辞めるつもりでいたので。
日本を出て行く時も成績も下がってましたから、僕が「メジャーに行きます」と言った時に周りの声は「何しに行くんだ?」ぐらいの感じでしたから。だから本当に僕も思い出作りみたいな感じでしたね。その2年がね、3年、4年、5年になっていって…。
石丸:9年ですもんね。
上原:9年まで出来ましたから。
石丸:ご自身でもそういう成績を残していくと思ってなかったですか。
上原:全然無かったですね。僕は先発でやりたかったから、先発で行けるチームを選んだんですけど、2年目の時に肘を怪我して、その当時のボルチモアの監督が「お前は先発で使わない」とはっきり言ってくれたことが僕の中で大きかったかもしれないですね。それで中継ぎっていうポジションに全力投球しましたから。
石丸:そういうピンチやチャンスが巡り合ってきて。
上原:ピンチとは思わなかったですね。“ここ(中継ぎ)でまた成績を残せば”という風に考えるようになりましたね。
石丸:そこですよ! そこが強さなんですよね。最終的にリーグチャンピオンシップのMVPに選ばれるじゃないですか。選ばれた時の心境はどんな感じでしたか?
上原:当時のことは今でも覚えているんですけど、MVPを獲った時のメディアの質問に、僕は「怖いです」と答えたんですよね。この年があまりにも順調にいき過ぎたので。
あの当時で38歳です。38のオッサンがこんな(良い)成績ってあんまり無いと思うんで、やっぱり怖かったですね、本当に。良い意味で怖かったです。
石丸:良い意味でね。
上原:その後にワールドシリーズがあったので「このままアクセル踏みっぱなしで行きます」って答えました。
石丸:この2013年の4月15日は、ボストンマラソン爆弾テロ事件がありました。この時はボストンにいらしたんですか?
上原:試合後に(テロが)起きたので、僕らは球場に居ました。球場から1マイル(約1.6km)先の所で。
石丸:至近距離ですね。
上原:はい。結構近かったですね。
石丸:その時の街の様子ってどんな感じだったんですか?
上原:僕らは試合が終わって、次の(試合で戦う)敵地に向かう準備をしてたんですね。バスに乗って空港へ行くまでの間に、白バイとかパトカーとかとすごいすれ違うんです。でも何が起きたかというのをまだわかってなかったんです。球場にいて爆発音とか聞いていなかったので、“何だこれ?”っていう雰囲気になったのが、バスの中での出来事でしたね。
石丸:この事件は犯人がちゃんと見つかって、1人は逮捕されました。(2人の容疑者のうち1人は逃走中に死亡)。街の人達は、事件に対してどんな想いがあったんでしょうか。
上原:その時に「B STRONG」、“ボストンストロング”っていうロゴを作って、「ボストンはこんなことには負けない」っていう想いで僕らもやりました。遠征から帰ってきた時には、みんなで手分けして病院とかへ行って負傷した方々を訪ねたり、警官や事件の救助活動に協力してくれた人をグラウンドに呼んで賞賛するとか。
石丸:そういったこともされていたんですね。
上原:「みんなでどうにか乗り越えよう」っていうのは感じましたね。
石丸:「ボストンストロング」、そういう想いを持って。
上原:そういうことがあったから優勝出来たというのももちろんあったと思いますし、そのシーズンだから余計に皆さんの記憶に残っているというか。
石丸:その事件によって、チームの中で変化とか起こりました?
上原:“勝ちたい”という想いが更に強くなったのはあると思いますよ。毎試合事件に関係した誰かを招待して始球式やってもらったりとか、(チームで)手分けして病院へ行って。僕もね、英語がわからないですけど、行って「大丈夫か」と声をかけたり、サインボールをあげたらすごい喜んでくれたりとか。街全体で乗り越えたというのが大きかったと思いますね。
石丸:街がそれによって強くなっていき、またレッドソックスも、それによってチームワークも結集し、勝ちに繋がっていったということですね。
上原:その時のワールドシリーズのボストンでの視聴率が80%超えたりとかしましたし、街のみんなが見てくれたっていう。
石丸:(優勝)パレードの時はどうでしたか?
上原:パレードは、街の人が全員僕らの周りに集まってくれたっていう感じで、すごかったですね。
石丸:そうでしょうね。その時はオープンカー? オープンバスみたいな(乗り物で)?
上原:水陸両用バスだったんですけど、最初は道路を走って、次は湖に入って行って。湖に入っても周りからみんな歓声を上げてくれて、陸に上がればまた歓声っていう。あれは最高でしたね。
石丸:ボストン市民の皆さんも、レッドソックスの優勝によって元気づけられているんですもんね。
上原:僕はそのパレードをしている時に、「おめでとう」って言われるんじゃなくて「ありがとう」って言われたのが一番印象に残ってます。普通だったら「おめでとう」じゃないですか。でも皆さんが「ありがとう」って言ってくれたのが、それが嬉しかったですね。
石丸:お互いが想いあってる、ということになりますよね。
上原:いやあ、すごいことをしたんだなと思いますよね。
石丸:ですね。そういうアメリカでの9年の生活で得たことは何でしたか。
上原:言葉が通じなくても、ボディランゲージだけでも人との繋がりって出来上がるんだなって。正直僕は、英語はそんなに喋れないですし、スペイン語しか喋れない奴もいますけど、同じ「野球」というものを一つの目標に向かってやるということに対しては、言葉だろうが人種だろうがあまり関係ないんだなっていうのはすごく思いますよね。