石丸:小堺一機さん、これから4週に渡りどうぞよろしくお願いいたします。お久しぶりですね。
小堺:お久しぶりです。以前、(他の)番組でお会いした時も、そんなに長くお話し出来なかったので、今回は楽しみにしております。
石丸:このサロンでは、人生で大切にしている“もの”や“こと”についてお伺いしております。今日はどんなお話をお聞かせくださいますか。
小堺:今日は「宮本武蔵の五輪書の“心にきた”部分」についてお話ししたいと。
石丸:私は(五輪書を)ちゃんと読んでないですけど。
小堺:僕も、ちゃんとは読んでません。はい。
石丸:本当ですか(笑)。まずこの本について教えていただけますでしょうか。
小堺:あの有名な二刀流の宮本武蔵さんが、若い頃は破天荒というか、“勝てば良い”という方で。殺生もしたでしょうし、自分も色々と危なかったこともあったでしょう。晩年に、五つのことをしたためて「五輪書」という本を書いたんです。剣豪の書いたものですが、哲学的に分析する方が非常に多くて。(その本の中に)「水の巻」というのがあって、そこで「水はすごい」と。無理をしない、高くから低くにしか流れない。熱くもなるし氷にもなる、掴もうとしても掴めない、叩いても壊せない。そして水はどんな形にもなるって書いてあるんです。それ(形になること)を拒否しないと。コップに入ればコップの形になるし、壺に入れば壺の形になる。
石丸:確かにそうですね。
小堺:気体にもなっちゃうし、また戻ってきて水にもなるし。それはすごいことで、そのようになるべきだと。その境地に行くべきだ、ということなんですよね。
石丸:それって悟りの境地ですね。
小堺:そうです。そして水が無きゃ人間が死んでしまう。
石丸:確かに。
小堺:高校か大学の頃に(五輪書を)見て、“ほほーっ”と思ったんですよ。
そしてこの間、“このことを話さなきゃいけないんだ”と思っていろんな本を読んでいたら、見事なことに気付きましたね。
石丸:どんなことでしょう?
小堺:「“コップに半分水がある”という事実に、“半分しかない”って思う人と“半分も入ってる”って思う人のどちらが前向きなんだ?」みたいな話に、次のステージの答えがあったんですよ。
石丸:え、次のステージ?
小堺:大体「そうだな、僕は半分しかないと思っちゃうなぁ」とか「いや半分もあると僕は思うなぁ」とか答えると思うんですけど、1人のちっちゃい子が、「コップがあることがありがたい」って言ったんですよ。すごくないですか?
石丸:すごい! 目から鱗が落ちるような考えですけど。
小堺:僕“へーっ!”と思って。「水は掴めないけど、人間はコップって物を作って水をそこに溜めることは出来たんだ」と。
石丸:綺麗な心じゃないと、そういう風にならないですね。
小堺:そうなんですよ。だから恥ずかしくなりましたね。
石丸:そうですか。
小堺:この間、関根(勤)さんも言ってたんですけど、ブルース・リーが五輪書を非常に勉強してたそうです。自分(ブルース・リー)が血気盛んで喧嘩ばっかりしていて“勝てば良いんだ”と思ってる時に、師匠が一度「君は今日は稽古をするな」と、いわゆる武道のことを“止めろ”と言った、と。それでふてくされて船に乗った時に、悔しくて海を殴ったらハッとして、“海は殴っても殴り返さないし、掴めない。このことだ!”思ったと。
石丸:宮本武蔵が前に言ったことが繋がってるんですね。
小堺:はい。
石丸:それが小堺さんの人生にどんな風に関わってきたのですか?
小堺:“水のようになろう”と思いましたら、年中、何か煮詰まってたりとかするんです。
石丸:それも煮えてるから(笑)。
小堺:気体になって見えなくなっちゃったりとか違う方向になっちゃって、なかなか水になれないですね(笑)。
石丸:話は変わりますが、萩本欽一さんとの出会いはどういう形で?
小堺:浅井企画に入ってからですね。
石丸:そうですか。
小堺:「ぎんざNOW!」という番組が終わっちゃったあと、僕は宙ぶらりんで、ディレクター預かりみたいな感じになったんです。要するにタレントじゃないわけですよ。それで「勝アカデミー」という勝新太郎さんの学校へ行ったりしてる時に、浅井企画のマネージャーさんと知り合ったんです。
石丸:その時の同期の方って、どなたかいらっしゃいますか?
小堺:「勝アカデミー」だとルー(大柴)が同期です。
石丸:ルー大柴さん?
小堺:はい。オーディションで彼の芝居を見た時に“嫌な芝居だな、ああいう芝居だけはやりたくないな”と思ってたら、同じように受かったんで“あ、彼と同じぐらいなんだな”と思いました(笑)。
石丸:お2人が個性的って事なんじゃないですか(笑)。
小堺:そういうことですね。面白かったですね。それで勝アカデミーが終わった時点で、何となく「どうすんの?」って浅井企画の人に(聞かれて)、「プロでやってみたいです」と答えたんです。そしたら浅井企画に入れてくれたんですよ。
石丸:そうなんですね。僕、小堺さんと関根(勤)さんを初めてカップリングで観たのは、「クロ子とグレ子」なんですけど。
小堺:「欽どこ」(「欽ちゃんのどこまでやるの!」テレビ朝日系列)ですね。
石丸:あれは、(事務所に入ってから)結構経ってからになるんですか。
小堺:そうです。僕が最初に「欽どこ」へ行って、あがりまくっちゃって。
石丸:そうですか。
小堺:(萩本欽一さんは)前の日に8時間稽古をしたことを、次の日に「無し」って言う人ですから。(欽ちゃんのものまねで)「昨日のナシ!」
石丸:(笑)。
小堺:「えっ!」って言うと「馬鹿だなお前、稽古って言うのは困った時にやることなんだよ。今日は今日でやるの」って言って。今はそっちの方が得意になりましたけど(笑)。
石丸:そうですか(笑)。
小堺:それで僕、あがりまくっちゃって、セリフも出てこなくなっちゃったんです。やかんを売りに来るって役だったんですけど、やかんがカタカタいっちゃって。最初はお客さんも笑ってくれたんですけど、「この子はダメだわ。本当にあがってるわ」ってことになって、萩本さんでもフォロー出来ないくらい、お客さんがシーンとしちゃったんですよ。
それでセットの袖に上手く引っ込まされて、“これで終わりだ、ここまでだ。でも「欽どこ」まで出れた”って。もうクビだと思ったんですよ。そして“ここまでダメだと分かったから、気持ちいいや”って思ってたら、大将(萩本欽一さん)がポンと来て「お前なんであんなにあがっちゃうんだよ」って言うんですよ。「すいませんでした」って言ったら「俺ね、あがらない奴信用しないから」って。泣きましたよ、僕は。
石丸:泣きますね。
小堺:で、次の週にまたあがってたら、「てめえこの野郎!」って怒られました。
石丸:(笑)。でも、大将は一番心に響く言葉をかけてくださるんですね。
小堺:はい。でも大将ってそういう人ですから、26(歳)ぐらいからブートキャンプでしたね。
石丸:そうでしたか。鍛えに鍛えられたんですね。
小堺:「コメディアンなのにタップも踏めないのか」って言われて“コメディアンはタップも踏めなきゃいけないのか”とか、その頃はいろんな先輩にしごかれていて、永六輔さんにも「コメディアンになるのに『ホワイトクリスマス』もパッと歌えないんですか」って言われて“ええぇ!”って(笑)。
石丸:無理難題じゃないですか。
小堺:“えーっ歌も歌うの?”ってことで、ボイトレやったり、タップ習ったりとかして「タップ出来るようになりました、大将!」って見せに行ったら、「われは海の子」でタップをやらされたんですよ。
石丸:(笑)。
小堺:「タンタタタ…わ〜れはう〜みのこ」ってみたいな感じで。
石丸:即興で、ですか?あ、お題が出たんですね。
小堺:はい。関根さんと2ヶ月位、足がパンパンになる位までやって「出来るようになりました!」って見せたら、大将が何て言ったかっていうと「すごいね! オレ出来ないもん、タップ」って。
石丸:なんだそりゃ(笑)。
小堺:そういう人ですよ。だから、前半の話のように、“水になったら良いんだ”と。でもどんな形にもなるようにするには、歌も分かってなきゃいけないし、タップも出来なきゃいけないし、ダンスも…ということを身をもって教えてくれたのが萩本さんですね。
石丸:そうやって鍛えられたわけですね。
小堺:はい。その後、面白かったのは、大将が長野オリンピックの閉会式の司会をやった時に、あれは(総合演出が)浅利慶太さんだったんです。
石丸:そうでしたね。お互いの師匠が。
小堺:僕も“わぁ!”と思って観てましたよ。大将はあれで引退する気だったんですね。
石丸:そうだったんですか。
小堺:“あがり症でやってきた俺が、こんな大舞台であがって大失敗して終わるんだ”と思って、終わる(引退する)気持ちでやったって言うんですよ。でもとってもハッピーな良い閉会式でね。僕が「大将お疲れ様でした。すごかったですね」って言ったら、(大将が)「もう死にもの狂いだよ。お前」って。
その時言ったのが、「浅利さんがさあ、前の日と違うこと言うんだよ。“あれ無し”とかさあ。俺、覚えてきたのに」って。関根さんと2人で顔を見合わせちゃって“それ、あなたが僕らにしてたことですよ”って思って(笑)。
石丸:私も散々それに(浅利慶太さんに)泣かされてましたけどね(笑)。
小堺:天才同士ってすごいなと思いました。
石丸:すごいですね。
小堺:はい。