石丸:寺脇康文さん、今週もよろしくお願いいたします。このサロンでは人生で大切にしている“もの”や“こと”についてお伺いしております。今日はどんなお話をお聞かせくださいますか。
寺脇:今日はですね、映画「E.T.」についてです。
石丸:スピルバーグ監督の。
寺脇:「E.T. Phone Home」ですね。「E.T. Phone Home」ね!(E.T.のものまね)
石丸:僕、それ、日本語でしか聞いたことないですよ(笑)。
寺脇:日本語の場合は、「E.T.うち、帰る」(E.T.のものまね)で合っていると思いますけどもね。
石丸:ご覧になっている方も沢山いらっしゃると思います。
寺脇:スピルバーグの傑作ですよ。僕のベストワンですね。
石丸:ベストワンですか! 1番最初にご覧になったのは?
寺脇:20歳の時でした。新宿のミラノ座という映画館に行きまして(「E.T.」を)観たところ、大変感動いたしまして。“この映画、大好き!”と思って。
石丸:どこに感動したんですか?
寺脇:愛と夢が詰まっているし、冒険も入ってるんですよね。少年の成長物語でもあり、E.T.という宇宙から来たものとの交流ですよね。
石丸:これ、指と指をね。
寺脇:指と指を合わせる…人差し指をね。それこそ「ルパン」じゃないけど、感動もして、泣いて、笑って、ハラハラしてっていう、いろんなエンターテイメントが入っているので素晴らしいと思って。何とかこれをいっぱい観る方法はないものか…でも、まだ20歳で芝居を始めたばかりで貧乏です。“そうだ!今やってるバイトを辞めて、この映画館でバイトしよう!” と思ったわけですよ。
石丸:(笑)。そうか、それが1番ね。
寺脇:ええ、「1番お金を使わずに観れるじゃない」っていうね。
石丸:すごい発想ですね。
寺脇:で、たまたま(バイトを)募集してたんですよ。それですぐ行って、採用してもらって。
石丸:でも、バイトの人は、映画館の中に入って観れるものなんですか。
寺脇:そうなんです。朝行って(夕方)5時ぐらいまで売店をやったり、外で長蛇の列になってるところに拡声器を持って行って「最後尾はこちらでございます」とか言いながら。(仕事を)上がった時に、最終回を観て帰っていいんですよ。
石丸:わあ、すごい!
寺脇:だから毎日、最終回の7時の回を観て帰ってました。だから、関係者以外の素人で、多分僕は「E.T.」を最も多く観ている男だと思いますね。上映期間中ずっと観てましたから。
石丸:相当長い期間上映されてましたよね。
寺脇:してましたね。大ヒットでしたからね。何回観ても飽きないんですよ。
石丸:それってすごいですよね。
寺脇:そう。で、同じところで泣くんですよ。最初(に泣くシーン)は、あの少年たちが自転車でパトカーに追いかけられて「どうするんだ」って時に、前のカゴに乗っているE.T.が「ウーッ」とか言うと、ワーッてみんなが飛んでいくわけですよ。
石丸:あのシーンですね。
寺脇:ゾクゾクっとして、嬉し涙が出てきたり。で、「E.T.が死んじゃった。どうする?悲しい」ってなっているとドクンって心臓がついて、枯れていた花がパラパラパラパラッと元に戻ったりして、「生き返った!」ってシーンでまた泣いちゃったりして。で、最後の別れでまた泣いて。
石丸:確かにあの映画は泣きどころが満載なんですよね。それを毎日ご覧になって、そこから受けた影響って何かありますか?
寺脇:自分が「映画を観て、鳥肌が立つほど感動する」という経験を知ったわけですよね。今僕らは芝居をやってるわけですけど、そういう体験をお客さんにして欲しい。
石丸:そこですよね。
寺脇:「鳥肌を何回立てていただけるか」っていうことは、いつも考えます。笑いも「アハハハ」じゃなくて、足をドンドン床にたたきつけながら、手を叩いて「ハァッハッハッハッ」っていう最上級の笑いをしていただきたいという。
石丸:寺脇さんのルーツ。ルパンもそうでしたけど。
寺脇:「ルパン三世」、「E.T.」…そういう好きなものが今の僕を作ってると思うんで。未だに「E.T.」を抜く映画は無いものですから。
石丸:無いですか!
寺脇:無いですね。
石丸:映画館でバイトをなさっている時って、俳優を目指して、トレーニングをされていた?
寺脇:そうです。俳優の養成所にはいました。
石丸:そもそも俳優になるきっかけってあったんですか?
寺脇:またアルバイトの話になりますが、当時は(アルバイト代が)まだ振り込みじゃなくて、封筒に入った現金を手渡しでもらって、みたいな。
石丸:そういう時代でしたね。
寺脇:昔はそうなんですよ。それで初めてもらったバイト代の封筒をエスカレーターに乗りながら開けたんですよね。1万円札が何枚か入ってて。その時に“あれ、俺は将来何をしてこのお金を稼いでいくのかな”ってふと思ったんです。そしたら“あ、役者をやるんだった”と思ったんですよ。
それまでに潜在意識では(役者をやりたいという気持ちが)あったと思うんですよ。(松田)優作さんを真似したり、水谷豊さんの真似したり、“ドラマやりたいなあ”なんて思っていた、そういう意識がそこで1つになって、「俺は役者やるんだ!」って感じて。
石丸:現生を見た時に(笑)。
寺脇:現生って(笑)、「お宝だよ、お宝」。(ルパン三世のものまね)
それを見た時に“そうだ。役者だったら俺、自信がある”と思ったんです。天から「お前は役者だ!」って、雷に打たれたようにバリバリバリッって。
石丸:啓示を受けた。
寺脇:エスカレーターを降りる頃には、“よし、俳優養成所を受けよう”と思って。
石丸:そこから俳優養成所ですか。
寺脇:そうです。
石丸:それで扉をたたいた所は?
寺脇:その頃、僕は岐阜県にいたんで、名古屋の俳優養成所に半年位通って。そしたら、その養成所の人が「東京の本社に来ないか」と声をかけてくれたんです。
石丸:じゃあ、そこで上京を。
寺脇:そうです。そこから上京です。20歳になるかならないかくらいの時で。
石丸:じゃあ、「絶対俳優になるんだ」っていう熱い想いが。
寺脇:いや、若くてバカですから、“もうスターになれる” と思いました。バカだから(笑)。
石丸:いえいえ、それが大事なんですよね。でもそういう思いがあって東京に行って…。
寺脇:養成所に通ってたんですが、どうも…レッスンが週に1回だけだし。
石丸:そうだったんですね。
寺脇:“これじゃスターになれないぞ。でもまず実力がないと駄目だ、劇団に入ろう”と思って。文学座や青年座とかいろんな所を見たんですけど、その中で俺の感性にぴったりきたのが、三宅裕司さんがやってらっしゃる「スーパー・エキセントリック・シアター」という劇団で。ちょうど(劇団員を)募集してたんで、“ここを受けよう”って。300何人受けて10何人受かったんですけど、その中に入りました。
石丸:すごい倍率ですね。
寺脇:はい。“もうスターだ!”と思いました。
石丸:もう既に(スターに)なれた(笑)。
寺脇:バカですから(笑)。
石丸:いやいや。同期くらいだと、どういう方がご一緒に?
寺脇:1年先輩にいたのが、今も盟友の岸谷五朗。そこで出会うわけですね。
石丸:彼の方が1年先に入っていたという。
寺脇:そうなんです。歳は3つ下なんですけど、劇団としては1年先輩。
石丸:(劇団に)入った時っていうのは、まずどういうことをやるんですか。
寺脇:SET(スーパー・エキセントリック・シアター)って、「ミュージカル・アクション・コメディ」って言って、コメディもある、アクションもある、踊りもあるんです。だから、まず若手はバク転とか踊りが上手いとか、そういうところじゃないと出られなかったんですね。それで小さな役からついていくので、だからまずバク転の練習をやりました。
石丸:バク転って結構大変ですよね。
寺脇:道でも平気で出来るぐらいになるのは、2、3ヶ月はかかりましたかね。
石丸:すごい。本当ですか。
寺脇:で、やっと出れたんですけどね。最初はアクションのシーンで出ていって、一発殴られてバク転してってだけの役だったんです。
石丸:じゃあ、それがデビュー作?
寺脇:デビューはそれですね。劇場は新宿コマだったんですけど、“こんな大勢の人に見てもらった”と思って。出る前に同期の女の子に「じゃ、行ってくるよ!」って言って「頑張って!」って言われて、パンッとバク転して成功して、(舞台)袖に帰って来て「どうだった?」って言ったら「あ、ごめん、見てなかった」って(笑)。
石丸:(笑)。きっとその人も忙しかったんでしょう。
寺脇:そうでしょうね。
石丸:でも自分としては達成感が。
寺脇:あれは忘れられないですね。そこから徐々にセリフも1つ、1つから2つとか増えていったわけですけどね。
石丸:そうなんですね。
寺脇:座長に教えてもらったことは、「役者は何でも出来た方が良い」ってことと、「セリフは書いてあるものを言うだけじゃなくて、自分でもギャグとかを考えられなきゃいけないよ」とか「アレンジ出来なきゃいけないよ、自分で脚本を書くぐらいじゃないといけないよ」っていうことと、あと「スタッフさんを大事にしなさい」っていう。全部飲みながら教えていただきましたね。今考えると、貧乏だったけどその時が1番楽しかったですね。10年間いたんですけどね。
石丸:そうして卒業という形ですか?
寺脇:卒業というか「のれん分け」みたいな感じでしたね。
石丸:その話は次週お聞きしたいと思います。
寺脇:はい。