石丸:藤岡弘、さん、今週もどうぞよろしくお願いいたします。このサロンでは、人生で大切にしている“もの”や“こと”についてお伺いしております。今日はどんなお話を聞かせてくださいますか。
藤岡:今日は「国際ボランティア」について話をしようと思います。
石丸:いろんな「ボランティア」がありますけども、藤岡さんはどういったボランティアをされているんですか?
藤岡:私は仮面ライダー(出演)当時から、サイン会や撮影会に呼ばれた時に(会場となった)地元のデパートなどで頂いたものを、多くの孤児施設へ届けて子供たちを励ましてきました。今思うと、それもボランティアになると思います。
それからいろんな人と出会い、「日本だけじゃなくて、世界にもいろんな支援を求めている子供たちがいるから、そこも1回見てみたらどうだ」と言われ導かれて(海外に)行ったことが、私が世界的ボランティアにまで活動を広げるようになったきっかけなんです。
石丸:海外は、最初にどちらへ?
藤岡:最初は、確かイラクだったと思います。
石丸:何年前ですか?
藤岡:湾岸戦争が起こるか起こらないかの危機的状況でしたから、かれこれ30年くらい前じゃないかな。最後のフライトで脱出して、多分(日本に)帰ってきてすぐに戦争が起きたのかな。当時は人質が取られたり、いろいろありましたね。
石丸:本当にギリギリですね。
藤岡:戦争態勢に入る前の混乱した人の流れと、ものすごい緊迫感と緊張感と恐怖を感じるような、歴史的な流れを体感しました。
石丸:そこへはどういったボランティアをされに?
藤岡:そこへは赤十字を通じて子供達にミルクや支援物資を届けに行ったり、当時の大統領に謁見して、日本の首相からの“戦争をせずに平和な方向へ進んでもらいたい”というようなメッセージを届けるという大義名分もありましたね。
石丸:それは大任ですね! なぜ、そういう危ない地域まで行って活動しようという気持ちに思い至ったんですか?
藤岡:国境や民族を越えて、子供たちは純真で無垢な良い目をしている。悲しみの中にも希望をもって素晴らしい未来を生きようという気持ちに光り輝いていて、あの目の新鮮さというか、強く訴えてくるものに心を打たれましたね。それが起点となって、世界中の悲惨な子供たちを支援する旅が始まったんです。
そこでの体験から、今の世界情勢の中での難民の人達の気持ちがよく分かるんですよ。ウクライナを回りましたから、チェルノブイリ(チェルノービリ)も行ってますし、キエフ(キーウ)も行っています。だから、あの辺り一帯の状況は、目を瞑るとなんとなく空気感は分かるんですよね。
それぐらい世界の紛争地を回っていますから、いろんなニュースを見ても(情景が)浮かんでくる。その状況が身に染みて分かる実体験をしているわけです。そういう世界には、表面で我々が気付かされることだけではなくて、表があり、裏がある。そして底があって闇があるんです。
その底と闇の情報を知ることで“歴史の教科書などで教わった事だけが真実ではない”ということを体験して視野が広がる…というか、国際情勢全てにおいてモノの視点が変わってしまうんです。
石丸:それを知った後で“どういうことをやるべきだ”と思われましたか。
藤岡:自分の人生観、価値観、視点がまるで変わりました。正面からとらえずに、何事にも疑問を持って情報を集めて整理して分析すると本質や真実が見えてくる、というような考え方に変わりました。
石丸:いろいろ知ることによってベストなこと、今必要なことを見極めやすくなりますよね。
藤岡:なりますね。難民支援活動をしている時に、何度も涙が止まらないほどの衝撃を受けました。“人間はこんなことが出来るのか“という修羅場を見て、慟哭して涙が止まらなくなって…。自分のために泣いているのではなくて、人のためにどんどん涙が出てくるんですよ。“どうしてこんなに?”と、今まで自分の中に無かったものに気付いてから、“あのままずっと日本の中で自己陶酔していたら、大変なことになっていたな”と思います。
今、自分はあらゆるものを見せてもらって体験させてもらって、本当に良かったと思っています。出会いからの自己探求の旅、自己発見の旅もあった。そこに感動の旅もあったけれど、愛の発見の旅もありましたね。
やっぱり人間っていうのは心の中の愛こそが全てでね。これで全て答えが出るんじゃないかなと思うようなこともありましたね。
「感動」は“喜びの感動”が普通ですけど、感動にもいろいろとあって、“痛みをともなう感動”や“悲しみを伴う感動”、“苦しみを伴う感動”を体験したんです。そこに感動はあるんですよ。何とも言えない、たまらないものがね。
「なぜ人間とはこんなに愚かなんだ」と言いたくなるようなショッキングな出会いが多くあったんです。その中で“俺は何を学んできたんだ?”とかいろんな葛藤があって、目が覚めたというか。
石丸:忘れられない光景というのはありますか?
藤岡:ひとつやふたつじゃないですね。何十もありますよ。カンボジアで自分の両親が虐殺されて生き残った女の子2人とたまたま出会ったんです。その子達があまりにも悲しい顔をしていて、自分の両親の写真を握っているんです。それが宝物で、それしかないんですよね。それに僕は胸を打たれて、いろんなものをあげたりして自分の子供のように思って接しているうちに、情が移ってきて…。
石丸:連れて帰りたくなったんじゃないですか。
藤岡:なったんですけど、「それは駄目だ」と。“その2人を何とかして日本に”と思ったけど、それは法律的に無理なんですよね。
帰る時に飛行場に来て泣いて手を振りながら、野花を渡して、覚えた日本語で「お父さん」って言って「一緒に連れていってくれ」と。しがみついて離れなくて泣くから、私もたまらないんですけど、どうにもならないわけですよ。
石丸:そうですよね。
藤岡:そういうことが何回もありました。エチオピアでは難民キャンプが爆破されて、たくさんの子供たちが焼け出されたところに支援に行ったんです。これから寒くなってきて大変になるから、「もう1度キャンプを作れ」と言って支援金を渡してあげて。
そこで子供達が「ジャポン」「ジャポン」って手をたたき始めたんです。数千人がたたくものですから、それで涙が止まらなくなって、我々も後ろ髪引かれる想いで去らなきゃいけなかった。車に乗って去ろうとしたら、みんなが手を振りながら追いかけてくるんですよね。
もう慟哭して涙が止まらないんですよ。その時の通訳の方が「この子供たちの心に灯した想いは、一生この子供たちの中に焼きついて離れないでしょう」と言ってくれたんですよね。「日本という国の厚情を一生忘れないくらい感動しています」と。私だけではなく、一緒に行ったメンバー全員が涙ボロボロでね。
親と離れ離れになって1人ぼっちの子もいるし、いろんな子供たちの姿が焼き付いて離れないですね。そういうことの繰り返しなんですよね。
石丸:世界中にそういう事態が起こり続けているということですよね。そこに手を差し伸べることはこれからも継続していこうと思われますか。
藤岡:思いますね。自分が出来るのであれば。ただ、国際情勢は大変ですから。
石丸:そうですね。
藤岡:だけど、間接的でも良いからやれることをやりたいということで、何か支援が出来ればということはいつも頭の中で考えています。