石丸:古澤巖さん、これから4週にわたりどうぞよろしくお願いいたします。ハットが相変わらずお似合いでいらして、今日はもう夏仕様ですね。
古澤:そうです、かね(笑)。
石丸:このサロンでは、人生で大切にしている“ひと”や“こと”についてお伺いしております。今日はどんなお話をお聞かせいただけますか。
古澤:はい、今日は「バーンスタインの感性」についてです。
石丸:ということは、レナード・バーンスタインですね。
古澤:指揮者でもあり、あの『ウエスト・サイド・ストーリー』の作曲家としても知られています。
石丸:また、ピアニストでもあり、(ヘルベルト・フォン・)カラヤンと共に2000年に入る前のスーパースターだった方ですよね。古澤さんは、バーンスタインにお会いして、そして共演されていると伺っているんですけど。
古澤:細かく説明すると、僕がアメリカのカーティス音楽院というところに行ってたんです。そこに我々学生のオーケストラがあるんですけど、コンサート、練習も含めて何回となくバーンスタインが来てくれてたんですね。
石丸:そういうことだったんですか!
古澤:そういう夢のような学校に僕はいたんだな…と思います。普通、音楽学校ごときに来るなんてありえないんですよ。
そのくらい、プロの指揮者と学生のオーケストラというのはそれなりに距離があると思うんですが、バーンスタインが来た時にはびっくりしました。もちろん他にも(セルジュ・)チェリビダッケとかありえないようなすごい人が我々のオーケストラに付き合ってくださったんですが、(今日は)バーンスタインの話。
いろんな人を見ましたけど、あんなに素敵な音楽家に会ったのは最初で最後かなというぐらいの印象を、いまだに持っています。
石丸:どういうところが素敵だったんですか?
古澤:まず、彼が(タクトを)振るじゃないですか。それだけでオーケストラの仲間たちが幸せいっぱいになっているんですよ。ただそれだけで。
でね、バーンスタインは常にご機嫌で、何かある度に「オー、センセーショナル!」っていう台詞ばっかり叫んでいましたね。
石丸:そうなんですね。
古澤:僕も指揮者じゃないから細かいことはちょっと分からないんですが、指揮って不思議なもので、こっちをその気にさせてくれるカリスマ性だけじゃない。例えば、(バーンスタインが作曲した)『ウエスト・サイド・ストーリー』はラテンの音楽がものすごくたくさんあるんですが、普段はクラシックとラテンはあんまり関係ないんですよ。多分、ラテンのリズムとクラシック音楽をちゃんと両方分かっている人ってとても少ないんじゃないかと思うんですが、そういう人(バーンスタイン)ならではのビート感とかセンス。だからこそ、オーケストラでタクトを振る時に…それこそ『ハリー・ポッター』ですよ。
石丸:私、今度ハリー・ポッター(舞台「ハリー・ポッターと呪いの子」)を演じますね(笑)。
古澤:ハリー・ポッターのように、あの棒でパッと我々に魔力をかけてくれるんですよね。
石丸:すごい!
古澤:夢のようにみんなを幸せにしながら、幸せな音楽がこんな爆発的に奏でられるっていう事に僕は本当に憧れました。何も小難しいことひとつもなく、全てが幸せに時が過ぎていく。
実は僕は小さい頃から音楽の訓練を受けた人間で、カッコ良く言うと「ゴルゴ13」みたいな人生なんですよ。
石丸:「ゴルゴ13」の人生って、どういうことですか?
古澤:「ゴルゴ13」って、趣味で人を殺めているわけではなくて、あくまでも仕事でやっていて、技術がすごいから仕事を頼まれるんですけど、きっと(ゴルゴ13は)ちっちゃい頃にすごい苦労をして、したくもない訓練を泣きながらしたんだろうな、と。大人になって、今の仕事を仕方なくやっているのかどうか知りませんけど、世界最高の技術者として活躍するという話なんです。我々も小さい頃から、泣きながらやりたくもない練習をしながら大人になってしまって。
石丸:“音楽家あるある”ですよね。
古澤:そうですね。僕と違って、葉加瀬(太郎)くんは子供の頃からやりたくてやってた子なんですよ。周りにもそういう子いましたけど、僕の場合は葉加瀬くんと違って、とにかくやりたくなかったんですよ。親にやらされたクチでね。そんなわけだから音楽に対してはそんなにピンと来なかったんだけど、バーンスタインに会った瞬間に“すごい! 人間と音楽でこんな風に神がかったことが起こるの?”って、あの時は本当に思いましたね。
石丸:では、そこで音楽が好きになったんですか?
古澤:まだです。
石丸:まだなってないんですね。
古澤:ただ、“すごいな! こんな人が世の中にいるんだ”って見せてもらったんですね。それまでもそれなりに指揮者を見ていたし、色んな経験をしていたんですけど、全然違ったんですよね。何の説明にもなってないですかね?
石丸:そんなことはないです。古澤さんはすごいタイトルを取っていらっしゃるし、腕も持っていらっしゃって、素晴らしいキャリアをお持ちです。その古澤さんがそうおっしゃるというのは、バーンスタインは特別な魔法のような、音楽家の心をパッとゆるませてくれる何かがあるんですね。
古澤:そうです。ただ楽しいだけじゃなくて、本当にきっちり(タクトを)振ってるから、我々が演奏しやすいように導いてくれているんですよ。だから“音楽の神に愛された人間がここに居るんだ”と、ただ神々しいばかりでしたね。
石丸:それをカーティス音楽院の学生の時に経験されたということですよね。
古澤:やっぱりね、客席から見てるだけじゃ何も分からないです。だって、指揮者って後ろ向きじゃないですか。
石丸:そうですね。
古澤:自分が演奏しているものを(タクトで)振られて初めてコラボできるんですよ。顔を見ながら人対人でその人の音楽を感じることが出来る。それは何にも代え難いですよ。指揮のお弟子さんたちは、彼が振っている背中は見れても、演奏を同時にしていないじゃないですか。これってね、実は全然違うんですよ。音楽って、「ステージに一緒に立ったかどうか」ですよ。
石丸:それを体験されたんですね。
古澤:本当に今でも忘れないですよ。それも1度や2度じゃなかったので、だからこそ(記憶に)残ってますね。(思い出して)興奮しちゃいましたよ。
石丸:その時の体験や経験が古澤さんのベースになっているってことですかね。
古澤:そうですね。自分が今いろんなジャンルの音楽をやるようになった時に、そしてクラシックをやる時に、オーケストラの前に立った時にバーンスタインのことをすごく思い出すようになりました。
石丸:古澤さんが(バイオリンを)始めたのは3歳ぐらいと伺っていますけど、先程「あんまり好きではなかった」とお話をされていました。それは強制されて練習していたということだったんでしょうか。
古澤:僕らの世代だと、小学校に上がるとみんな野球だったんですよね。グローブを買ってもらうのが夢で、学校が終わったら近くの原っぱに集まって、みんなで野球ごっこをするわけですよ。僕もグローブを買ってもらって、すごく嬉しくて。
ただ、学校が終わったら「まず(バイオリンの)練習をしてから遊びに行きなさい」って母親に常に言われていたから、(みんな野球をやっているから)そわそわしながら練習するでしょ。(練習が)終わってワッとグローブをつかんで、その原っぱに駆けていくと、それと同時くらいに、あの「家路」(ドボルザーク作曲)が流れてくるんですよ(笑)。
石丸:(笑)。
古澤:(原っぱに)到着したらみんな片付けが終わって帰るところ。それを毎日繰り返していたんですよ。そういうことが積もり積もって“何でこんなにバイオリンをやらなきゃいけないんだろう”って思うようになってしまったんですよね。
石丸:そういう環境を恨んでしまった。
古澤:だけど、(バイオリンを)させてもらってると言うか、小さい頃は母が大好きだったこともあって母の為に一生懸命弾いたんですね。
石丸:「今日はここまでクリアする」という課題をしっかりやって、お母様にオッケーをもらって外に出るという生活だったんですね。
古澤:うちの母は音楽家でもなんでもないので、母が何か分かっているはずが無いんですよ。ただ、うちの母、すごいんですよ。僕が大学卒業するまでレッスンについて来ていたんですよ。考えられますか?
石丸:考えられないです。
古澤:母親が毎週(レッスンについてきて)。みんなにからかわれてね。
石丸:お母様は熱心じゃないですか。古澤さんが、どういうレッスンをして、どういう思いをしているのかを自分も一緒に体験するっていうことですもんね。
古澤:(母が)聴いていたって何の意味もないけど、お金を出してもらっているので何も文句が言えないし。
今、他の親御さんに「どうしたら古澤さんみたいにバイオリンが続けられるんですか。うちの子は本当に辞めたがって」ってよく訊かれるんですよ。だから「いや、お母様の根性次第ですよ。お母様が諦めたら終わりですからね」っていつも言っているんですけどね(笑)。