石丸:水谷豊さん、これから4週にわたりどうぞよろしくお願いいたします。このサロンでは、人生で大切にしている“もの”や“こと”についてお伺いしております。今日はどんなお話をお聞かせくださいますでしょうか。
水谷:そうですね。「映画監督であること」についてお話をしたいと思います。
石丸:水谷さんは、もちろん俳優でもいらっしゃいますけれども、映画監督として3本撮っていらっしゃいますよね。そもそも、映画監督はいつからやりたいと思われていたんですか?
水谷:これがですね、工藤栄一さんという京都太秦の東映出身の監督がいらっしゃって、すごく僕のことを可愛がってくれていたんです。僕が23歳の時に「時代劇の半年のシリーズを撮るんだけど、京都にいらっしゃい。(一緒に)やろうよ」って声をかけてくれたんです。それである時、食事をしていたら(工藤さんが)「監督をやれ」「今やれ」って言うんですよ。
石丸:23歳で「今やれ」って、それはすごいことですね。
水谷:そんなことがあって、それからずっとそのイメージはあったんですけれども、でも特に自分で積極的に監督をやろうと思ったことはなかったんです。でも実は、「監督をやりませんか」と何度かオファーはされていたんです。
石丸:それはまた別の方から。
水谷:別です。ただ、僕は2つ理由があって、監督をやらなかったんですね。1つは、俳優としての名前があるから、「俳優が監督をやった」ということが話題になるのは、他の監督たちや、これから監督になろうといろいろ下積みしている人に申し訳ないという思いがあった、ということ。もう1つは、この世界にずっと居ようと思っていなかった、ということがあるんですね。
石丸:えっ!
水谷:30代のことですけれども。何か、“自分にはもっと向いてる世界があるはずだ”と思いこんでいたんです。
石丸:例えば、それはどういう世界ですか?
水谷:いつか“これだ!”というものに出会うだろうと思っていたんですね。ところが今もこの世界にいるということは、出会わなかったということになるんですけれども(笑)。
石丸:この仕事が水谷さんにとって1番合っているお仕事だったんだと、私は思います。結果として俳優をやりながら監督という仕事もおやりになってらっしゃるじゃないですか。そのきっかけというのは?
水谷:これはですね、(自身が監督をした)最初の映画が『TAP THE LAST SHOW』という映画だったんです。これは僕が20代の前半に思い描いた世界だったんですね。それを、ずっと(映画にしたいと)思い続けて、2回くらいトライしたんですけれども映画にならなくて、“もうダメだ”と諦めていたんです。
ところが、映画に出来るというチャンスが訪れた。その時に、僕が話しをしながら脚本を書いてもらって、出来上がったら、その時のプロデューサーが「これだけの想いを持ち続けてこの世界を(映画で)作ろうとすると、その世界を本当に分かるのは水谷さんしかいないんじゃないか。だから監督をやってくれませんか」と言ったのが(きっかけ)。
石丸:そういう流れだったんですね。
水谷:そうなんです。ところが、それを言われた時にすぐには返事をしなかったんですね。それは、“監督をやると決めたら一生続ける”という決心が自分の中で出来ないと。
石丸:覚悟が必要だったということですね。やってみていかがでした?
水谷:そうですね。面白いもので、今まで「じゃあ監督やります」っていう返事は一切していないですね。
石丸:そうなんですか!
水谷:そうなんです。初稿から準備稿が出来てきて、最後に決定稿という脚本が出来ますよね。その時に(「監督をする」という)返事をする前に、もうカット割りをしてるんですね(笑)。
石丸:(笑)。
水谷:「監督をやります」という返事もせずに(笑)。
石丸:でも自分の中では、心の準備が出来ていらして…。
水谷:と、いうことかもしれないですね。自分の中でそういう気持ちになったから、これをずっと続けようと。
石丸:素晴らしいなあ。そして、現在公開中の監督第3作となる映画『太陽とボレロ』。実は私も出演しておりますが、舞台となるのはある地方都市のアマチュア交響楽団。
そこで繰り広げられる音楽を愛する普通の人々の人間模様を、エンタテインメントとして創り上げております。水谷さん自ら脚本も手掛けていらっしゃいますが、この作品のアイディアはどこから生まれたんですか。
水谷:2018年のことなんですが、「60代で映画を3本撮りたい」と、実現するかどうか分からないんだけれども、口走っていたわけですね。
石丸:その時は、もうすでに2本撮って。
水谷:撮ってました。それで、これが不思議なんですけど、“3本目は何か”と思った時に、ふと“クラシックはどうだろう”って。そこからクラシック・コンサートを観に行ったりし始めたんですね。
とても面白いのは、まだ脚本を書く前にタイトルが決まったんです。“タイトルは『太陽とボレロ』にしよう”って。「ボレロ」というのは、30代でしたかね、初めてコンサートへ行って。
石丸:(モーリス・)ラヴェルのボレロですか?
水谷:そうです。オーケストラで聴いた時に大感動したのがボレロだったんですね。あと、「太陽」というのは、“当たり前すぎてみんな忘れてるんじゃないか”って思う時があるんです。太陽のエネルギーでどれだけ我々は前向きに生きていられるか…ということをね。何か僕、太陽に“無償の愛”を感じるんです。大体、人というのはネガティブなことに寄り添ってくれたり、ロマンチックな想いを分かってくれる「月」にいきがちなんだけど。
石丸:確かにそうですね!
水谷:でも僕は、今回はね、ちょっと前向きになれる太陽のエネルギーが必要だと。映画にも必要だし、(時期的に)何か前向きになりたいと。
石丸:それで『太陽とボレロ』という名前が頭に浮かばれた。
水谷:そうなんです。
石丸:今回も監督をしながら出演されてましたよね。僕が現場にいた時に「出るつもりはなかったんだよ」って半分冗談みたいにおっしゃっていたんですけれども、ご自分の出演を決められたのは、(脚本を)書きながらたどり着いたんですか?
水谷:と言いますか、監督だけの信用がまだ無いんだと思うんですよね。プロデューサーの方が何人かいらっしゃるじゃないですか。「出なきゃダメですか」って(聞いたら)「ダメです」って言うんですね。それで、「僕は監督だけでも良いんですけど」って言ったら「いやいやいや」って。“ああそうか、監督だけっていう信用がまだ無いんだ”って。
石丸:いや、絶対そんなことはないと思いますよ。ただ水谷さんが俳優として出られると、そこにすごく大きな華が添えられるからだと思いますよ。
水谷:本当ですか(笑)。
石丸:「監督をやりながら演じる」ということをどんな風に感じていらっしゃいますか。
水谷:監督をやって分かったことがあるんですね。俳優をやっている時は、監督っていうのは、全員と打ち合わせしたり、全部にカットを割って画を決めたり、本(脚本)に無いアイディアも含めてそういうことを全部考えていって…って、すごく大変だなと思っていたんです。
でも監督をやってみると、そこに関しては「ただやってる」というだけで、俳優さんって大変だなって思うんですよ(笑)。
石丸:違う視点になるから。
水谷:そうなんです。だから、監督をやっている時は“俳優が大変だな”と思う、俳優をやっている時は“監督が大変だな”と思う、ということが分かりましたね。
石丸:どちらも大変な仕事だということですね。
水谷:きっと、どちらも大変なんでしょうね。でも(監督と俳優を)行ったり来たりする時には、僕、意識はしてないです。
石丸:そういうものですか。
水谷:ええ。現場で“さあ、ここから監督ですよ”とか、“さあ、ここから俳優ですよ”という意識を全くしていないままに居ますね。
石丸:僕は同じ現場に居て、いつもメガホンを取っていらっしゃる水谷さんが演じ手として入った時に、パッとカラーが変わるんですよね。
いわゆる“俳優”としてそこに居て、“監督”としてのオーラは消えているというか、出していないんですよね。この切り替えをどうしているんだろうと思っていたんですけども、全く意識されてないんですね。
水谷:そうです。オートマチックなんです。何も意識してない。
石丸:そうですか。これは水谷さんのひとつの技ですね。
水谷:ありがとうございます。でもね、僕の方は主に監督でしたからね。例えば石丸さんをカット割りして、動きをつけたりしますけども、ただ観客になりますね。
石丸:そうだったんですね。
水谷:それでね、石丸さんに癒されるんですよ。
石丸:私にですか!?
水谷:そうです。今回のキャラクターが特にそうだったのかもしれませんけれどもね。現場では言うわけにもいかないので、言わなかったですが。
石丸:本当ですか。ありがとうございます。僕も初めて話しますけれども、“すごいバリバリの2枚目の役でいこう”と思ってたんですよ(笑)。そうしましたら、水谷さんの「こうしてみて」「ああしたら良いんじゃない」というお言葉で、操られるようにやっていたら、面白いキャラクターなっていたんですよ。でも、僕の中にあるものを見抜いて指示を出してくださったんだと思ったら、すごく嬉しくなっちゃいまして。
今公開の『太陽とボレロ』は、“水谷さんの俳優としての顔”も皆さんにご覧になっていただきたいですし、“監督としてこういう技をふるった”という視点でも、是非ご覧になっていただきたいと思います。
水谷:ありがとうございます。