石丸:TAKAHIROさん、初めまして。どうぞよろしくお願いします。これから5週にわたって色んなお話聞かせてもらいたいと思います。このサロンでは、人生で大切にしている“もの”や“こと”についてお伺いしています。今週はどんなお話を聞かせてもらえますか。
TAKAHIRO:はい。今日は「ダンス」についてです。
石丸:“TAKAHIROさん=(イコール)ダンス”なので、そのものですよね。そもそもダンスを始めたきっかけは何だったんですか?
TAKAHIRO:始めたきっかけは、「憧れ」と「コンプレックス」。
石丸:コンプレックス?
TAKAHIRO:僕は真面目な学校に通っていたんですけれど、スポーツにしても学業にしても、どちらかというと下から数えた方が早いタイプ。
いつも“スポーツが出来る人はいいな”とか、“勉強が出来る人はいいな”って思って憧れていたんです。
石丸:苦手だったということですか?
TAKAHIRO:苦手なんです。
石丸:ええ! そうなんですか。
TAKAHIRO:「僕にはこれがある」っていうような、例えば「無量大数まで言える」という子もいれば、サッカーで点数を獲れる子とか(もいる)。自分にはそういうキラキラがひとつもなかったんです。ある日、テレビで風見しんごさんが歌ってブレイクダンスをされていた映像を観た時に“かっこいい!”と思いました。
石丸:“日本でブレイクダンスを初めて取り入れた人”って言っても良いのかな。
TAKAHIRO:そうです。「涙のtake a chance」という歌で、背中で回るし、ジャンプするし、急にムーンウォークみたいなこともしたり、ロボットダンスみたいなこともする。
石丸:今、(TAKAHIROさんが)僕の目の前でやってくれてますけど、皆にも見せたいな!
TAKAHIRO:“すごい、この人は本当に自由だ”って。風見しんごさんは歌の途中でマイクを置いて踊りだすんです。“え、マイクを置いちゃっても良いんだ。ダンスってなんて素敵なんだろう”って思って。
石丸:決められたことに縛られていない姿が、TAKAHIROさんにとって新しい世界を見たような感じですか?
TAKAHIRO:はい。そのキラキラに自分は本当に憧れて、“この世界には正解はない気がする。だけど、何でも追求して良い、自由な世界があるんだ”“そんなキラキラを僕もつかんでみたい”と思って、18歳の頃にダンスを始めました。
石丸:(ダンスは)早く始める子達が多いじゃないですか。
TAKAHIRO:多いですね。3歳だったり6歳だったり。
石丸:そのぐらいの歳からずっと練習を積み重ねている人が多い中で、18歳でダンスをスタートというのは、どんな気持ちでしたか?
TAKAHIRO:「遅い」「早い」ということに気づくのは10年ぐらい後で、その時は“誰かに見せたい”とか“プロになりたい”っていうわけではなく、“これが自我の目覚めなんだ”と、自分で思っていました。
石丸:“他人”じゃないんだね。“自分”なんだね。
TAKAHIRO:はい。観客の自分が初めて自分を観て、「おお!」となっている感じです。
石丸:じゃあ、18歳のスタートはあんまり関係なくて、新しい自分を見つけた瞬間が18歳だったと。
TAKAHIRO:そうです。
石丸:素晴らしい! ということは、高校を卒業する頃からスタートして、その後大学に進学されたと思うんですけれども、そこでダンスは自分の中で花開いていったんですか?
TAKAHIRO:“ダンスを習いたい”と思って、ダンススクールに1回だけ行ったのですが、そこの人達が怖すぎて通えませんでした。でも何か学んで吸収したいと思って大学のダンス部に行ったら、「JULIAS (ジュリアス)」という、女の子しかいない部活しかなくて。“ああ、もうだめだ”と思ったら、体育館の廊下で練習している人を見つけたんです。
石丸:その人はどんなことを練習してたんですか?
TAKAHIRO:片手で逆立ちをしていたり。
石丸:やった! 目指してるものですね。
TAKAHIRO:“これだ!”って。“でも怖い人だったらどうしよう、だけどここで勇気を出すんだ!”って鉄の扉を開けた瞬間に、自分のダンスのチャンスが広がって。
石丸:その人も「良いよ。一緒にやろうよ」って言ってくれたわけですか?
TAKAHIRO:はい。「ここは別にダンス部でもないし、サークルでもなくて、勝手に好きな人が集まっているところだから、君も好きなように来てくれればいいよ」って。「あ、隣の人はブレイクダンスやっている。俺はロッキングっていうダンスをやっているんだよ」みたいな。
石丸:そこで何を得たんですか?
TAKAHIRO:「場所」を得ました。少しでも時間があったら体育館の廊下に行って。何でもいいんです。ターンして転んで「ターンすると転ぶのか!」「じゃあ、手を持って上にあげるとどうなんだろう」「ちょっと回れたぞ」みたいな。その場所が自分にとってはすごくスペシャルで、学校の休みの5分あったら、そこに行って2分(練習を)やってまた戻る、みたいな(笑)。
石丸:本当! その気持ちはすごく分かるなあ。(好きなことを)やれる場所があるってホント大事ですよね。じゃあ、大学生活はダンスを軸に回っていた感じですか?
TAKAHIRO:そうです。電車に乗る時は、吊り革を掴んでいるようで掴んでない。ちょっと手を離してパントマイムの練習をする。
石丸:日常生活が何でもダンスに直結してたってことなんですね。
TAKAHIRO:ずっとダンスのことばかりを考えていました。
石丸:それは幸せでしたね。
TAKAHIRO:楽しかったです。
石丸:TAKAHIROさんはダンススクールには通ったことがなくて、大学で場所を見つけて技を積み上げていきました。そして突然アメリカに行きますよね。
TAKAHIRO:一気にニューヨークに行きます!
石丸:何を目指してニューヨークへ行ったんですか?
TAKAHIRO:「終活」。
石丸:終活?
TAKAHIRO:ダンスを終える活動の“終活”です。
石丸:ここで人生のダンス生活にピリオドを打とうと思った?
TAKAHIRO:というのも、大学卒業当時の2004年頃は、ダンスで仕事をするということがすごく難しい世の中で、大学を卒業すると就職活動をするのが当たり前。就職活動をしながら“本当にこれでいいのか。僕が1番やりたかったことはダンスなんだ”と思って。
せっかく初めて大好きになったんだから、そこで(ダンスを)辞めるきっかけでもいいし、最後に自分が崩れてしまうような大それたことをしないと、この物語は終われないと思って。
石丸:そうなんだ。
TAKAHIRO:そこで世界一の大会を目指そう、と。どうせダメなんだ。ティラノサウルスぐらいの相手に踏み潰されたら本望だと。
そして世界一を探しました。その頃、ダンサーの中で話題になっていたアポロシアターの「アマチュアナイト」という大会があると。
石丸:はい。よく聞きますよね。
TAKAHIRO:世界中の誰でも受けることが出来る。“そこにコンテストを受けに行くぞ!”ということでニューヨークに行きました。
石丸:すごい! じゃあ、それを人生の節目にしようという思いもあって。
TAKAHIRO:はい。
石丸:ティラノサウルスにぶち当たって、自分がどうなのかを見極める場所でもあった。
TAKAHIRO:そうです。
石丸:行ってみてどう思いました?
TAKAHIRO:“ティラノサウルスに負けたくない”と思いました。本当は“これで終わるか”と思ったけれど、行ってみると“なんとかしてここでチャンスをつかみたい”と思うようになりました。
石丸:メラメラと湧きあがってきた。
TAKAHIRO:生存本能が出てきまして。と、同時に、今まで自分がやってきた全てを見せたいと思ってオーディションにチャレンジすると、5人ぐらいの審査員の中の1人が「来い」と言ったんです。
“まさか、受かったのか”と思ったら、「君はヒップホップのことを馬鹿にしているのか」と言ってすごく怒り出して、「ここはヒップホップの殿堂のアポロシアターだ。君がやっているそのパフォーマンスは何だ」と。
石丸:いわゆるアポロシアターでみんながやっているようなダンスではなかった?
TAKAHIRO:ではなく、音楽もクラシックのハードな曲をかけまして。
石丸:クラシックだったんですか!
TAKAHIRO:はい。
石丸:ダンスに合っているような曲だったんですか?
TAKAHIRO:自分の中では。だけど、「ここはヒップホップの殿堂なんだ。なぜクラシックソングなんだ」と。そして、「君のダンスのどこがヒップホップなんだ」と。僕は大好きな風見しんごさんのロボットダンスみたいのをやったり、自分の中の曲の表現をやったりしました。つまり、ヒップホップエンターテイメントの文化と、自分の中で生まれた世界はボタンが掛けあえてなかったんです。
でも奇跡は起きまして、その隣に座っていたもう1人の審査員が「ちょっと待って」と言ってくれたんです。「私は興味があるわ」と。「TAKAHIRO君、もし君がヒップホップのことを尊敬出来る作品に作り変えられて、だけど君の良さみたいなものは残すことが出来たら、特別に1回戦に出してあげるわ」。その一言で敗者復活戦が始まったみたいなものです。
石丸:じゃあ“もう1回やってみなさい”ということになったんですね。さっき「ボタンの掛け違いだ」って言っていましたけども、どうやって正しいボタンホールに入るようにしたんですか?
TAKAHIRO:まず、“観る人がいるんだ”ってことに気づいて、真っ赤になったのを覚えています。今までやってきたダンスは“僕の“を表現する為で、つまり観客が自分だったんです。“あ、違うんだ”と。“観る人のためにやるのがエンターテイメントだ。もちろん自分もその中の1人にいて良いのかもしれないけど、自分は1500人位いる観客の中の1人だ。だったら観る人はどんなことを求めているんだろう?”と思って、ハーレムという黒人街に住みました。
石丸:住んだんだ。
TAKAHIRO:大会までの間、住みました。そこで流行っている音楽を聴いたり、いろんな場所に行ったり、ファッションを真似してみたり。それで気付いた結論は「自分はこの数ヶ月の間ではヒップホップの文化になることはできないんだな」と。だって僕は僕の人生を歩んできたから。ただ、日本でこんな人生を歩んできた自分がヒップホップの人達と友達になりたい、分かって欲しいんだっていう想いを伝えることは出来るなって。最終的に当時1番流行っていた曲を使って、だけどパフォーマンスは空手の型みたいな。
石丸:日本独自の。
TAKAHIRO:日本独自の動きをしているけど、音楽はみんなが大好きな曲で、僕はそこで繋がりたいんだ、と。その後でマイケル・ジャクソンのパフォーマンスを少し真似して、「僕はアポロシアターから生まれたマイケル・ジャクソンのこともリスペクトしてるんです」って。
石丸:大事ですね。そこの人達にまず敬意を示して、融合していくということをやったんですね。
TAKAHIRO:そうなんです。そしてその次にスーパーマリオの曲で、ちょっとおどけて踊ってみたんです。スーパーマリオの曲だったら世界中の人が知っていて、日本人がやるからこそ更に面白い。そこで一気に観客の人が笑ってくれて拍手してくださって、流れが変わって最後の曲まで踊ることが出来て、優勝することが出来ました。
石丸:素晴らしいですね。一番の気づきはそこに観客がいて、観客のためにやっていると。だから彼らに認められる、彼らが理解出来るところに飛び込んで自分らしさを出すということをやられたわけですよね。そして優勝まで上り詰めた。
TAKAHIRO:はい。そうなんです。
石丸:倒しましたね、ティラノサウルス。
TAKAHIRO:ティラノサウルスとお友達になれたという感じです(笑)。