TOKYO FM 特別番組 ねじれちまった悲しみに- 小川哲 -

対談-1

戦後日本の“ねじれ”に
付き合うということ

カリフォルニア大学ロサンゼルス校教授マイケル・エメリック

戦後日本の内部に潜む「ねじれ」の正体を考察した『敗戦後論』は国内にとどまらず、海外でも議論の種となった。 加藤典洋氏は日本が抱える大きな問題を、冷徹な手さばきで突き放すように分析するのではなく、生涯をかけて「付き合う」ように捉えていた、 と加藤氏の翻訳パートナーであったカリフォルニア大学ロサンゼルス校教授のマイケル・エメリック氏は言う。 そこにこそ、加藤典様氏の思想のあたたかさがあったのである。大きな思想家の逝去によってポッカリ空いた穴を果たしてマイケル・エメリック氏はどう受け止めるのか ――。
対談-1 マイケル・エメリック

マイケル・エメリックさんと
加藤典洋さんの出会い

  • 小川
  • 小川:初めにこのことを聞いておかなければならないと思います。エメリックさんは加藤典洋さんとどういういきさつで交流されるようになったのでしょうか?
  • エメリック
  • エメリック:初めてお会いしたのは加藤先生が明治学院大学を離れて早稲田大学に移られたときだったと思います。2005年くらいでしょうか。加藤先生との共通の友人にエルマー・ルークとロバート・スワードという方がいて、その2人が紹介してくれたんです。ルークさんは90年代から村上春樹作品の英訳を雑誌「ニューヨーカー」に売り込んだりしていた優秀なエディターで、スワードさんは加藤先生の明学の元同僚で、加藤先生と同様に多田道太郎さんから明学に呼ばれたと思います。外苑前のイタリア料理のレストランで、小説家の高橋源一郎さんと加藤先生、ルークさんとスワードさん、そして私とでお食事をしました。よく覚えているんですが、加藤先生が私の隣に座っていて、「エメリックさんの吉本ばななの英訳はすごく良い英訳だよ。なんでかって、全部わかるわけじゃないから。他の英訳は読んでいて理解できるんだけど、エメリックさんのはそうじゃない。読んでもわからない箇所がある」と仰ってくれたんです。褒めてくださったのかな(笑)。それから少しずつ付き合いが始まりました。当時、私は博士論文を書いていた最中ですが、博士号を取得してからプリンストン大学でいわゆるポスドクをやったんですね。そのときに、プリンストン大学に加藤先生を呼んで、講演とワークショップをしてもらったこともあります。親交は続いて、それから数年経ち、私がカリフォルニア大学サンタバーバラ校に移ったときも、加藤先生がサバティカルをとって、6ヶ月ほど滞在してくださったりもしました。

そばとうどんを選ぶように
日本の戦後と付き合うこと

  • 小川
  • 小川:加藤典洋さんはアメリカでどのように受け入れられているのでしょうか?
  • エメリック
  • エメリック:加藤先生に関しては、実は海外、特にアメリカで、ちょっと悲しいことになっているんです。というのも、加藤先生の主著のひとつである『敗戦後論』が出た際に、いろんな方面から批判が出ました。『敗戦後論』は日本国内でも大きな議論を呼びましたが、主に哲学者の高橋哲哉さんとの論争になったんですね。それで、高橋さんの論理やレトリックに寄り添うような批判が、アメリカでも多く見られました。そもそも、『敗戦後論』は英訳が出ていないし、あまり読みやすい本ではないので、批判する人が原著をきちんと読まないで批判している。その結果として、「右翼の狂人」として海外では知られるようになってしまった。とても不幸なことだと思います。加藤先生はアメリカで自分の論考がそのようなねじ曲がった読まれ方をされているとは思ってもいなかったようで、プリンストンにいらっしゃったとき、私がさりげなく教えたんです。加藤先生、こんな批判が出ていますよって。それからですね、加藤先生はそのような批判に応えるために、英語でコツコツと反論を書いていました。結局、その英語の反論はまだどこにも掲載されていないのですが。
  • 小川
  • 小川:今、『敗戦後論』のお話がありましたけど、そこで加藤典洋さんは「ねじれ」という言葉を出されています。エメリックさんは「ねじれ」や加藤さんの思想の鍵となる概念をどのように考えられていますか?
  • エメリック
  • エメリック:確かに、「ねじれ」というのも、加藤先生が戦後日本の分析において非常に大事にされていたコンセプトだったと思います。ただ、ある意味では加藤先生のお仕事のなかで「ねじれ」と同じくらい、あるいはさらに重要な概念があるんです。「可誤性」というものですね。加藤先生は、自分が正しい、自分が歩いている線はまっすぐだって自信満々に考えている人を深いところでは信頼していない人だったのではないかと思います。人は間違えることがある。誤りうることは正しいことより深い、間違いうることは思想的な成長の足場であり得る。そう考えている人だったように思うのです。この概念は加藤先生の批評的な姿勢の基盤になっていると思うのです。例えば、遺著となった『9条入門』。そこで、加藤先生は『敗戦後論』では「自分は人々の神経を逆なでするようなことを書いた、本当はそういう書き方をすべきじゃなかったかもしれない、けれど、自分は反省はしていない」って書いているんです(笑)。最初は、ごめんね、みたいなことを書きながら、しかし最終的には、書くべきじゃなかった軽い揶揄の文章を反省する代わりに、書いた責任をそのまま引き受ける。ここがすごく加藤先生らしいんです。間違ったことをしたかもしれない、それは認めるけど、それで良いんだ、誤りの痕跡は消去しない。そのような思想が『敗戦後論』を貫いているからこそ、一級の戦後思想書になっている。私はこういう「可誤性」に、加藤先生の批評家としての、いえ、人間としての素晴らしさを感じます。加藤先生の思想は、問題の構造を取り出して終わりじゃなくて、その問題に最後まで寄り添って、付き合っていくというようなものでした。だから、今日はそばを食べようか、うどんを食べようか、どっちにしようかっていう問題と、戦後の日本が抱えている大きな「ねじれ」という問題との付き合い方が、そこでは、等しいんです。そこが加藤先生の思想の信頼できるゆえんだと思うのです。

加藤典洋さんには
5歳児の感覚があった

  • 小川
  • 小川:エメリックさんにとって、加藤典洋さんとはどんな存在だったのでしょうか?
  • エメリック
  • エメリック:私は15年ほど加藤先生と親しくさせていただいていたのですが、5歳の頃の加藤先生ってきっとこういう子どもだったんだろうなって思わせられることが多々ありました。目の前にある物事に興味を持って近づいていく。自分のなかに何かを引き起こしてくれる対象に向かって子どものように無邪気に歩み寄る。そういうところが加藤先生のなかにはありました。普通、大人になると忘れてしまうような無邪気な感覚をずっと持っていらした。それが加藤先生の批評家としての独特なものの見方を形成してきたんだと思います。そんな目で世界を見ていた方がいなくなってしまった。加藤先生の視点は、それによって生み出された数々の本のなかにしか残っていないというのは、私たちの世界の悲しい現実になってしまいましたね。
  • 小川
  • 小川:加藤さんは自分が持っていなかった価値観に対して積極的に常に関わろうとしていた人だったんですね。
  • エメリック
  • エメリック:わからないものを完全にわかるようにはならない、けれど、関わらないと「わかる」ということは成立しないと考えている人でした。普通、学者だったら、いろんなことを調べて、わかったところから書き始めますよね。でも、加藤先生は、自分は批評家として真逆の方法で書くと言っていたんです。要するに、いろいろ調べて、さらに調べて、さらに調べて、そのなかでどうしても自分には理解できないところを見つけて、そこから書き出すっていう方法でいつも書いていると仰っていました。
  • 小川
  • 小川:加藤さんにとってはそれが価値のあることだったんですね。わかることの先にある、わからないことを見つけるということが。
  • エメリック
  • エメリック:思想の手順と言いますか。思想だけじゃなく、文学作品を読む手順、あるいはそばを食べるべきかうどんを食べるべきか、そういう小さな問題を考える手順にも繋がる姿勢だと思います。

加藤典洋さんの村上春樹批評を
英訳するというプロジェクト

  • 小川
  • 小川:先ほど、『敗戦後論』が英訳されていないと仰いましたが、加藤典洋さんの批評を英訳するというお考えはないのでしょうか?
  • エメリック
  • エメリック:私は10年ほど前から加藤先生の文章を翻訳したいとご本人に言っておりました。最初は、加藤先生のいろんな本から論文やエッセイを集めて、一冊の本にしようと思っていたんです。同時に、村上春樹についての加藤先生の批評を英訳するのもアリかなって思うようになって。というのも、加藤先生は村上春樹についての批評をたくさん書いてきたんです。ここまで徹底的に村上春樹を論じてきた批評家は他にいないぐらい。近年の著作で言えば、『村上春樹の短編を英語で読む1979~2011』だったり、『村上春樹は、むずかしい』という本があります。これらを訳すのも良いんじゃないか、そう考えるようになりました。村上春樹はご存知のように、世界中で読まれている小説家です。だけど、村上春樹についての日本の批評や論文は海外に紹介されていないというのが現状なんです。それはすごく勿体無い。日本では加藤典洋という批評家がこのように読解しているんだ、というのを英語の読者に知ってほしいんです。それができたら、将来的には、やはり、加藤先生の戦後思想を翻訳したいですね。さっきも言いましたが、加藤典洋という人は海外では誤解されているんです。それは加藤先生の本が英訳されていないからでもあります。加藤先生の論敵、例えば、高橋哲哉さんの『敗戦後論』批判というのは英訳されている。だから、戦後思想に興味がある人はそれを読む。すると、なんだ加藤っていうのはネオナショナリズムの塊じゃないかって思ってしまう。原著を読まずにそのような誤解を抱いてしまう。これははっきり言って、ひどい、不当な評価です。だから、私の使命としては、きちんと翻訳することによって、そのような誤解を解きたいということがあります。
  • 小川
  • 小川:加藤典洋さんは「ニューヨークタイムズ」にも文章を発表されてきました。けれど、海外での加藤さんのイメージはやはり右翼的な主張をする思想家って感じなのですか?
  • エメリック
  • エメリック:日本研究に携わっている学者の間では、今でもそういう傾向があると思います。やはり、『敗戦後論』が出たときに、著名な学者が二次情報を頼りに無責任な批判をしてしまったというのが大きいですね。ですが、小川さんが仰ったように「ニューヨークタイムズ」に文章を発表したことで、世界中の多くの読者が加藤先生の文章に触れましたし、『敗戦後論』への批判を知っている日本研究の専門家が持っていたイメージを、多少は払拭できたかなと思います。加藤先生が「ニューヨークタイムズ」に執筆することになったのは次のような経緯があったからです。ある日、同誌のエディターから私に、日本語で面白いオピニオンピースを書ける人がいないかって聞いてきたんですね。真っ先に思い浮かんだのが加藤先生でした。その数年前に、有名なアメリカの政治学者、フランシス・フクヤマが編集に関わっている「American Interest」という雑誌に加藤先生が批評を寄せたことがあったんです。タイトルは「Goodbye Godzilla, Hello Kitty」。とても良い題名でしょ。そこで加藤先生はゴジラやハローキティといったアイコンから日本文化を読み解くということをしました。それから、カズオ・イシグロの『わたしを離さないで』に対する評論も書き、それも私が英訳してアメリカで発表したこともあります。アメリカでアクセス可能な加藤先生の文章はこの二つでしたので、それを「ニューヨークタイムズ」の編集部に送ったんです。すると、もう是非、この人にやってもらいたい、ということなりました。ただ、加藤先生にとって「ニューヨークタイムズ」の仕事は決して楽なものではありませんでした。おそらく、日本の新聞に比べて、エディターがすごくうるさいんですよ。加藤先生の文章にも平気でケチをつける。加藤先生は絶対に自分の信念を曲げない人だから、よくぶつかりました。「もう嫌だ、やめる!」って私にメールをしてきたこともあり、私が間に入って仲裁したこともありました。なんとか、1年間の契約を全うすることができたんですが、加藤先生はもうこりごりだって言ってやめてしまいました。けれど、日本人で、「ニューヨークタイムズ」でオピニオンピースを定期的に書いた人はおそらく加藤先生が初めてだったと思います。

「ニューヨークタイムズ」でオピニオンリーダーとなった加藤典洋さん

  • 小川
  • 小川:記事に対する海外での反応はどうだったんでしょうか。
  • エメリック
  • エメリック:毎回、加藤先生の記事が配信されてわずか30分ほどで、Twitterではわーっとざわめきが起こるんです。加藤先生ご自身にしか思いつかないような問題を取り上げて、独自の視点から論じる。しかも、わざとエディターの神経を逆なでするような書き方をする。非常に加藤先生らしいんです(笑)。でも、そうやっているうちに、現代日本にとって重要な問題は、世界にとっても看過できないものだってことがわかるんですね。だから、あれだけ多くの人に読まれ、支持されたんだと思います。
  • 小川
  • 小川:もともとは日本語で書かれたものをエメリックさんが翻訳されていた?
  • エメリック
  • エメリック:そうです。加藤先生が日本語で書いたものを私が英語に翻訳していました。ただ、スケジュールが非常にタイトなんです。だから、加藤先生が書いたものを10時間ほどで翻訳して、そしてエディターとやりとりをしながら推敲しなければならないときが多々ありました。翻訳したものをエディターに送ると、エディターがここは使えないとか、こういうところはもうちょっと補ってほしいとか注文がくるんです。なるべく加藤先生のご意向を伺ってから修正するんですが、時差の関係上、加藤先生が就寝されているときもある。でも、タイムリミットが近づいている。仕方ないから、勝手に削るしかないわけです。この日本語バージョンは『さようなら、ゴジラたち――戦後から遠く離れて』という本に収録されていますが、その文章と英語バージョンを突き合わせてみると、ちょっと違うことがわかります。英語バージョンでは誰かが勝手に手を加えているわけですね(笑)。普通だったら、そんなこと許されないでしょう。でも、加藤先生らしいんですが、それが良いんだって仰ってくれました。信頼関係があるからこそできたことだと思います。加藤先生はもちろんご自身の文章に大きな責任感を持っていらした。同時に、他の人が入ってきても良いと考えている人だった。「ニューヨークタイムズ」の記事はその実践として作られたものなんです。この記事が1年間配信され続けたことによって、ある程度、加藤先生の印象は変わったと思います。

加藤典洋さんの文体をいかに訳すか

  • 小川
  • 小川:村上春樹について書いた文章をエメリックさんが訳すことに対して、加藤典洋さんはどのように考えていらしたんですか?こう訳してくれ、とかそういったお話とかありましたか?
  • エメリック
  • エメリック:2010年から2011年にかけて、加藤先生がサンタバーバラに滞在されていたときに、私の妻が当時日本文学を教えていたコロラド大学ボルダー校でも加藤先生がご講演をされることになりましたので、2週間、私たちのボルダーのアパートに滞在されたことがあるんです。講演への反応はとても良かったので、夕食を食べ、楽しい一日の余韻を楽しみながら帰路に着いたときに私が「いやぁ、機会があれば加藤先生の著書の英訳を出させていただきたいですね」って思い切って言ったんです。そうしたら、「ふーん」って(笑)。多分、真に受けなかったんでしょう。でも、私は本気だから、「いろんな本から短めのものをピックアップして、一冊の本にするのはどうでしょう」とか具体的に提案した。それでも、「いやいや、マイケルは忙しいし、やめとけ」って仰る(笑)。それでも懲りない私は、ずっと英訳を出したい、という気持ちを温めてきたのですが、加藤先生の『村上春樹は、むずかしい』が刊行されたときに、それを『村上春樹の短編を英語で読む』とセットで英訳するのはどうかな、と思って、加藤先生に提案したわけです。けれど、やっぱり、「いやいや、そんなのやらなくていいよ」って言われちゃう(笑)。でも、本当は、あのとき加藤先生は内心嬉しかったんじゃないかなと思います。加藤先生の本には熱量があるんです。村上春樹に対する批評だったら、村上春樹への熱意だとか。だから、それが翻訳されることを加藤先生は望んでいたと思います。それで、2冊の村上春樹の批評を翻訳することを決めて、コロンビア大学出版局の査読のプロセスを経て、結局、加藤先生の元に契約書が届いたのは病床にあったときでした。英語の、かなり細かい、ややこしい契約の内容について、メールで質問してこられたのを覚えています。それで、2冊の英訳を出すことが決まりました。ただ、重複する部分があるから、そのまま翻訳して出すわけにはいかない。それに、英語の本と日本語の本はスタイルも、構成も違うんですね。特に『村上春樹は、むずかしい』は新書ですので、その書き方はやや独特なところがあります。だから「ニューヨークタイムズ」のときのように、こちらでかなり手を入れなければならないわけです。これから一緒にその作業をしよう、と話していた矢先でした。
  • 小川
  • 小川:エメリックさんは吉本ばななさんとか、高橋源一郎さんとか、川上弘美さんとか、いろんな日本人の小説家の文章を翻訳されていますけど、加藤典洋さんの文章を翻訳する上での特徴というか、魅力だったり、あるいは難しさって何かありますか?
  • エメリック
  • エメリック:加藤先生の文章を翻訳するというのは、小説家の文章を翻訳するのとは全然違うところがあるんです。加藤先生はいつも独特な喋り方をしていた。「〜なんだよ」っていう喋り方をされるんです。加藤先生の文章を読んでいると、そういう加藤先生の独特の声が聞こえてくることがあるんです。声だけじゃなくて、加藤典洋という人の人間のあたたかさがすごく滲み出てくるんですよね。加藤先生の人間味がいたるところに現れている感じがする。翻訳するときにはそれもそのまま伝わるようにしなければならない。加藤先生がお書きになったものを翻訳するっていうのは、私にとっては加藤先生とじっくり付き合っていく方法でもあるんです。だから、そのまま文章を英語に置き換える、文章の意味を伝えるだけじゃなくて、そのもっと奥にある加藤先生の声とか、考え方、あるいはスタンスを翻訳するという作業をしなければならない。小説の場合は、文章を丁寧に読んで、文章を読んでいる間に自分のなかで何が起きているのかを掴んで、それにできるだけ近い感覚、エモーションを引き起こすような訳を目指せば良いわけです。一方、加藤先生の文章を訳すというのは、そうではなく、加藤先生の隣に座って、こういうことだよねって話し合いながら英語の文章を練り上げていくようなものだと思います。

比喩表現の巧みな使い手
としての加藤典洋さん

  • 小川
  • 小川:加藤典洋さんの文章を読んでいると、独特な比喩の使い方がまず目にとまりますね。
  • エメリック
  • エメリック:はい。加藤先生の比喩というのは批評にとって大事なものなんです。すごくうまい比喩を出すときもあれば、なんだろうこれ?って思わず首を傾げてしまうときもある。加藤先生が書いていたときにはしっかりと意味を持っていたんだけど、書き手から離れるとちょっとわからないよって思うこともあるんです。そういうときは、なんで加藤先生はこんな比喩を出したんだろう、何を表そうとしていたのだろうって考えるんです。そうすると、もしかして、私は全体的にこの文章をわかっていないかもしれないって気持ちになる時があるんですよね(笑)。
  • 小川
  • 小川:僕としては、加藤典洋さんの比喩はわかりやすい、というか、どこかしっくりくるところがあります。
  • エメリック
  • エメリック:なぜ加藤先生があれだけ比喩を多用するのか考えるのも面白いんです。『9条入門』のなかでも書かれていましたけど、加藤先生はどんなに大きな問題を扱っていても、すごく小さなものと同じ土台に立たせなければダメだ、大きな問題も小さな問題も並べて論じなければならない、と考える人でした。だから、大きな問題を論じているのに、ある意味どうでも良い、小さな何かを比喩として持ち出すわけです。これが加藤典洋という批評家の体質を表していると思います。加藤先生の日常生活と思想は地続きなんです。普通に道を歩いていて、他の人が気づかない小さな何かに気づく。それを頭のなかに入れておいて、また10年後、何かを書いているときに、急に思い出して、それを比喩として使う。比喩を通して、小さな日常と大きな問題が結びつく。比喩というのはそういう意味でもすごく大切なんです。
  • 小川
  • 小川:つまり、大きな問題を真面目くさって考えるのではなく、身近な生活のなかで考えなければならないわけですね。
  • エメリック
  • エメリック:少なくとも加藤先生はそのように考えていたと思います。加藤先生は「問題って軽く考えることも必要なのです。大事な問題は色んな人の前に色々なかたちで現れる。そんなふうに緩急自在に問題で有り続けるからです」ということを『9条入門』で書いていらっしゃった。つまり、普段着のまま、自分がかしこまらずに、着飾らずに、軽く考える。どんなに大きな問題であっても、あえて自分の小さい経験から語る。その日常的なところと接点を持ち続けるために比喩を用いていたわけです。
  • 小川
  • 小川:エメリックさんが加藤典洋さんと最後にお会いしたのはいつでしたか?
  • エメリック
  • エメリック:2018年の12月に小説家の古川日出男さんのシンポジウムがあって、そこに登壇するために日本へ来ていたんです。その際に、加藤先生の病院に寄ることができました。大変な病気だということは知っていたので、もしかしたら、もう会えないかもしれない、と思ったら、悲しくて、あまり話せなかったんです。けれど、加藤先生はいつもの加藤先生でした。ずっといろんなことを喋っていました。ちょうど、そのときに加藤先生が詩を書き始めてたんですね。加藤先生が詩を、特に中原中也の詩を好んで読んできたことは知っていましたが、実際に書くとは思ってもいませんでした。だけど、読んでみるとこれがまた良い詩なんです。

9条と南北戦争

  • 小川
  • 小川:加藤典洋さんの遺著となった『9条入門』は9条の成立過程を紐解いた労作です。教えられることが非常に多かった。エメリックさんは『9条入門』を読んで何を感じられましたか?
  • エメリック
  • エメリック:『9条入門』は、近年の加藤先生の著作である『敗者の想像力』とか『戦後入門』も、あるいは『敗戦後論』もそうですが、日本国内だけではなく、世界のいろいろな国の読者に読んでもらいたい、そして読んでもらえたらきっといろいろ考えさせられるだろうと思います。アメリカに住んでいる人たち、例えばメキシコから移住してきて、親のためにスペイン語を通訳しながら育ってきたような人には、ある意味、加藤先生がずっと考えてきた戦後日本、敗戦後の日本の問題というのはあまり関係がないと思われるかもしれません。加藤先生も、まず日本の読者、日本社会に向けて書いていたと思いますので、自分が展開している分析が他のコンテクストにも当てはまるかどうか、普通はそこまで考えていなかったのではないでしょうか。ただ、これらの著作をアメリカ人である私が読んでいると、これはかなり使えるな、と思うわけです。例えば、アメリカ国内では南北戦争がかつてあり、南部がその戦いでは負けたんですね。しかし、南部では、例えば南部連合の軍司令官を務めたロバート・E・リーなどが南部のために戦った人として英雄視されている節があって、街の広場にその銅像があったりするんです。ご存知のように、南部連合は奴隷制度を存続させたいためにアメリカ合衆国から脱退したわけですから、現在の米国からみて、リー司令官は現代の価値観にそぐわない人種差別主義的な亡国者で、銅像を広場に立てるなんてとんでもない話です。それで銅像を壊して撤去すべきかどうか、さまざまな議論がなされています。あるいは、プリンストン大学にはウッドロウ・ウィルソン・スクールと呼ばれる建物があるのですが、ウッドロウ・ウィルソンという人物もまたきわめて人種差別的な大統領だったのです。そのため、ウッドロウ・ウィルソンという名前は捨てるべきじゃないか、違う名前にすべきだと議論されていた時期がありました。そういう議論の横に加藤先生の「よごれ」「汚点」の思想を持ってくると、果たして、アメリカの歴史の一番暗い歴史である奴隷制度を無かったかのようにするというのは正しいことなのかどうか、考えさせられます。つまり、『敗戦後論』や『敗者の想像力』で論じたような、汚点を消すべきか、ずっと未来に向かってそれを抱えたまま歩き続けていくべきかという戦後日本の戦争責任の問題は、実はアメリカでも別の問題として現れていることがわかるんです。加藤先生が日本国内の問題についてお書きになった本はもっと広い世界で読まれてしかるべきだと思います。
  • 小川
  • 小川:『9条入門』もそうですが、問題の対象と書き手の距離感が近いですよね。
  • エメリック
  • エメリック:『9条入門』のなかには至る所に「付き合う」という言葉が出てきます。憲法9条とどのように付き合うか、という具合に。文学作品って、もちろん読んで分析するということはあるんですが、加藤先生の場合、読後感を非常に大事にしているんですね。読後感からその文学作品について考えなければならないと考えていたんじゃないかなって思います。そうやって一冊の本と付き合うことが加藤先生にとっての批評だったり、思想だったりするわけです。9条についても同様で、分析して、自分の主張を提示して終わりじゃなくて、とことん付き合う。加藤先生は、戦後の日本の構造や現代日本の社会の抱える全ての問題に付き合う思想家だったわけです。加藤先生にとっての思想はそこから始まるものでなければならなかったんです。

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