TOKYO FM 特別番組 ねじれちまった悲しみに- 小川哲 -

対談-2

改憲、護憲、選憲・・・
そして自身の内省

社会学者 東京大学名誉教授上野千鶴子

東京大学での祝辞が大きな話題を呼んだ、現代日本のフェミニズム思想のリーダーである上野千鶴子氏は、加藤典洋氏こそ戦後日本思想の正嫡であると語る。「これから、もっと、もっと、意義のある仕事をしていただかなくちゃ。」そう思っていた矢先だったと言う、上野氏の元に加藤氏の訃報が飛び込んできたのは。同年代の論客として互いに刺激し合ってきた上野氏と加藤氏。加藤氏の不在をどのように考えるか、戦後思想はいかにして引き継がれるべきか。上野千鶴子氏に訊く。
対談-2 上野千鶴子

戦後思想を代表する加藤典洋さん

  • 小川
  • 小川:上野千鶴子さんは加藤典洋さんの訃報を聞いて、「息が止まりそうになった」とTwitterで仰っていました。
  • 上野
  • 上野:ちょうどそのとき、創元社から刊行された『9条入門』を送っていただいて、読み終えた直後でした。まさに加藤さんにお手紙を送ろうとしていた矢先のことでした。その少しあと、6月1日に、神奈川近代文学館で開催された江藤淳展での講演で、「戦後批評の正嫡」と題して江藤淳について論じる機会があったんですね。講演内容を思案しながら、ポスト江藤淳に当たる思想家は誰かいるだろうかと考えていたんです。私の答えは、やはり、加藤典洋さんしかいない、と。だから、加藤さんには長生きして、戦後史に残るようなお仕事をもっともっとしていただきたい、と思っていました。そのこともあって、 5月16日に、訃報を聞いて驚きと途惑いを隠せませんでした。私は、加藤さんと同い年です。彼とは同時代を生きてきた感覚が強いです。加藤さんには、ある種の親しみと友情を感じていました。
  • 小川
  • 小川:加藤さんとは直接の面識はあったのでしょうか?
  • 上野
  • 上野:ありました。加藤さんはデビューのときから記憶に残る存在でしたから。彼のデビュー作『アメリカの影』は実に鮮烈な本でした。あの本が出た1985年、私も「新進気鋭の社会学者」だったので(笑)、彼とシンポジウムでご一緒したり、対談したこともありました。本のやり取りもありましたし。なので、加藤さんのお仕事はずっと見てきました。そんな立場から言わせていただきますと、『アメリカの影』から『敗戦後論』そして遺著となった『9条入門』には一貫した問題意識が貫かれています。『敗戦後論』で急に彼が立場を変えたわけでもありません。あの本は、「日本軍300万人の死者の主体を立ち上げよう」と言ったばかりに、加藤さんはナショナリストと呼ばれて、哲学者の高橋哲哉さんなど多くの論者から叩かれました。けれど、加藤さんの一貫した問題意識を踏まえて考えると、そういった批判がいかに不当なものだったかわかります。
  • 小川
  • 小川:不当ということをもう少し詳しく聞かせていただけますか?
  • 上野
  • 上野:加藤さんは戦後日本のスタートラインである敗戦と占領をしっかり見定めていた。この二つは日本にとって忘れたい過去なんです。よく日本は外国に占領されたことがないと言う人たちがいますけど、とんでもない。日本には占領体験があり、それが今の私たちの始点となっているのです。そこから目を反らせてはいけない。今を生きている人が歴史を引き受けるということは、死者と連帯することです。そのように考えるときに、日本が送り出した300万人の死者を、無駄死にのまま弔う必要があるというのが加藤さんの主張でした。その上で加藤さんは、そこで止まるのではなくて、アジア全体の2000万人の死者へ謝罪をすると言っているのですから、そこを考慮せずにナショナリストだと批判するのは不当だと思います。

敗戦から考えるということの大切さ

  • 小川
  • 小川:戦後日本を批評する上で、占領からスタートすることはどのような意味で重要だったんでしょうか?
  • 上野
  • 上野:あの戦争は総力戦でした。軍事戦のみならず、産業戦、技術戦、人口戦、精神戦など、日本人は全てにおいて負けた。道義的にも負けました。立ち直れないくらい、壊滅的な敗戦でした。けれど、占領という経験のなかから、こうして立ち直りました。江藤淳さんのように敗戦を経験した世代は、その痛恨の意味を理解していた。しかし、敗戦からおめおめと帰ってきた父親たちが仕込んだタネのような団塊世代は、直接的には敗戦とは何かを知りません。だからこそ、江藤淳さんの問題意識をちゃんと受け継ぐ必要があった。加藤さんはそのバトンを受け取り、戦後批評の正嫡としての役回りを演じました。
  • 小川
  • 小川:今後戦争を経験した人はどんどんいなくなっていくと思います。そのときに、僕たちはどうやって加藤典洋さんが示してくれたように敗戦を受け継いでいけますでしょうか。
  • 上野
  • 上野:それはとても重要な問いです。最近だと、ギャルたちが「え!? 日本ってアメリカと戦争したんですか? で、どちらが勝ったんですか?」なんてことを平気で言うそうですね。私たちは戦争の生き証人を失って、このような若者たちが大人になる社会で生きなければなりません。そのときに必要なのは、どんなに陳腐なことであっても、同じ歌を別な声で何度も、何度も、歌い継がなければならないということです。私たちは確かに戦後に生まれました。けれども、戦争で日本が払った大きな代償を忘れないようにしなければなりません。加藤さんはその地点に繰り返し立ち返りました。そのようにして敗戦を忘れないというあり方が、今後求められてくると思います。
  • 小川
  • 小川:愚直にでも敗戦後に立ち返るということが必要なわけですね。
  • 上野
  • 上野:ええ。敗戦は日本にとって、第二の建国でした。その建国のマニフェストが今の憲法です。新しく国が作られるとき、普通は革命によって権力の交代が行われるんですが、日本の場合は内部からの革命ではなく、外からの圧力による無条件降伏によってそれが行われた。それを加藤さんは「汚れ」と言ったわけですが、そのことは忘れてはならない。でないと、2011年3月11日に起こった原発事故のような「第二の敗戦」と言っていい事態を、これからも繰り返すことになるでしょう。
  • 小川
  • 小川:加藤典洋さんの遺著となった『9条入門』を読んで上野さんはお手紙を書こうと思ったと仰いました。具体的にあの本に関してはどのような感想を持たれたのでしょうか?
  • 上野
  • 上野:主張が新しくなったとは思いませんでした。彼の主張は『アメリカの影』から一貫しています。加藤さんの主張は、遡れば、黒船がやってきて以来、日本がある種の文化的植民地主義のなかでアイデンティティを形成して来ざるを得なかったという、夏目漱石の問題意識に通じています。こうした問題意識は、夏目漱石、小林秀雄、江藤淳、そして加藤典洋という具合に受け継がれてきました。『アメリカの影』がもっと読まれるべきだというのは、その意味においてです。そしてあれから40年が経ち、加藤さんは『9条入門』を書かれた。そこでもほとんど主張は変わっていません。むしろ、明晰になってきました。加藤さんが今回、はっきりと示したのは、戦後日本の基礎を作ったのが以下の三点セットだということです。一つは憲法第1条の象徴天皇制、二つめに憲法第9条の戦力放棄という主権制限、そして三つめに憲法超越的な国際条約としてできた日米安保条約。これが三位一体になっています。この三点セットをどう考えるかというのが、加藤さんが私たちに示した問いであり、私たちは加藤さんが不在の今、自分たちで答えていかなければいけないという責任があります。

改憲、護憲、選憲、
そして上野千鶴子さんの内省

  • 小川
  • 小川:上野さんは2014年に『上野千鶴子の選憲論』という本を出されています。まず、「選憲」という言葉の意味を教えていただけますか?
  • 上野
  • 上野:改憲が護憲か、ということは散々言われてきました。ですが、私は、どちらでもなく、憲法の選び直しという立場に立ちました。その意味では加藤さんにすごく近かったと思います。憲法は変えてはならない「不磨の大典」ではありません。だから、いかに修正するか、国民にはその自由があります。今の国民の3分の2以上がすでに戦後生まれですから、生まれる前に憲法が作られているわけです。だから、憲法は君たちと一緒に決めたんだって言われても、「知らねえよ、そんなもん。前から決まってたからって守る必要なんてないよ」って思ってしまうかもしれません。ただ、現段階では今の憲法に代わるどの代替案もベターなものがないので、今ある憲法を戦後生まれの国民が選び直すという契機があってもいいだろうと考えました。護憲派は愚民観にもとづくエリート主義から、国民投票も避けようとしますが、鶴見俊輔さんは、憲法論議をタブー視すべきではないとくりかえし述べておられました。加藤さんも同じことを述べていると思います。ですが、彼の『9条入門』を読んで反省しました。私は『上野千鶴子の選憲論』のなかで、自衛隊には触れましたが、日米安保条約に触れませんでした。日米安保条約は超国内法規的な国際条約と見なされており、長沼ナイキ訴訟に見られるように、憲法でも裁けません。いわば、戦後日本の最大のアキレス腱なのです。だから、私は日米安保条約に触れるのを意識的に避けました。卑劣なことをしたと思っています(笑)。一方で加藤さんは『9条入門』でちゃんと書いています。加藤さんは1条と9条はセットで考えなければならないと言っています。かつて「神様」だった存在が勝手に人間になっちゃったのが1条で、その超越的な価値の空白を埋めるのが「恒久平和主義」という名で美しく呼ばれる9条だったわけです。そして、そのシナリオを与えたのがマッカーサーだったと『9条入門』では説得力を持って論じています。さらに1条と9条のセットを背後で成り立たせている条件が日米安保条約だったともちゃんと述べている。ここまで論じて、初めて憲法の選び直しのスタート地点に立てると気付かされました。
  • 小川
  • 小川:2019年7月の参議院選挙では改憲派が3分の2を占めることはなかったわけですが、これはどうお考えになっていますか?
  • 上野
  • 上野:改憲勢力が3分の2を占めなかったのは本当に良かったと思っています。安倍首相の言っていることは、一人前の主権国家に戻りたいっていうことでしょう。表面だけ見たらもっともな主張に聞こえますが、敗戦という未曾有の出来事から出発した日本が、普通の国家に戻れると思うのは大間違い。国の成り立ちの元にある、加藤典洋さんの言う「汚れ」「ねじれ」をなかったことにすることはできません。

加藤典洋さんのキー概念である
「ねじれ」とは?

  • 小川
  • 小川:「ねじれ」というのは加藤典洋さんが『敗戦後論』で取り出した独特の概念です。この言葉はのちに市民権を持つようになって「ねじれ」国会など言われるようになりました。上野さんは加藤さんの言う「ねじれ」とはどのようなものだと思っていらっしゃいますか?
  • 上野
  • 上野:「ねじれ」は加藤さんのキーワードですね。敗戦が第二の建国だとしたら、私たちの国の支柱となる平和主義や民主主義、そして国民主権というものは敗北によってもたらされたものになります。勝利によってではありません。これが「ねじれ」です。加藤さんはこの起源を忘れてはならないと言い、何度も何度も、「ねじれ」という言葉を使いました。闘って獲得した民主主義と、棚ぼたのように与えられた民主主義は違います。それは昨今の韓国や香港の状況などを見ていても痛感します。私たちの歴史には、巨大な人災に誰一人抵抗できずに巻き込まれてしまったという過去があります。その過去を深い「傷」として、「恥」として持っていることは、繰り返し立ち返るべき原点です。だから、第二の敗戦であるフクシマについても、あたかも無かったようにして再びエネルギー政策を立てられては困るのです。
  • 小川
  • 小川:素朴な疑問なのですが、この「ねじれ」はいつの日か解消できるものなのでしょうか。
  • 上野
  • 上野:かんたんです(笑)。革命政権ができて、権力交代すれば解消できます。権力主体に断絶が起きればいいのです。しかし、革命は起きそうもないでしょう。だとしたら、私たちは過去を無かったことにしないで、「ねじれ」を抱えたまま生きていくしかありません。江藤淳や加藤典洋という戦後思想家が敗戦や占領体験について論じ続けていたのも、忘れたい過去を忘れないためなんですね。最近では若い研究者たちが占領研究について取り組むようになりましたが、良い傾向だと思います。
  • 小川
  • 小川:若い人たちが「ねじれ」について研究するとき、彼らは当事者じゃないわけですよね。そのとき、言説はどのようにして可能なのでしょうか。
  • 上野
  • 上野:その質問は面白いですね。2000年代に入ってから興味深い研究動向が起きています。戦後70年を過ぎてから、80歳から90歳のご高齢の方が、次々に証言を始めました。硫黄島の生き残りとか、焼け跡の浮浪児だった人、満洲引揚げ時の性暴力被害者の方たちです。そういった人々が、これまで家族にも語らなかった体験を話し始めました。高齢化というのは素晴らしいと思います。70年経ったからようやく話せることもある。それ以前に、50歳で寿命を全うしてしまっていたら、記憶の継承は起きなかったでしょう。トラウマ的な経験はその人たちにとっては昨日のように鮮明な過去なので、古びていません。だから、非当事者の研究者は、この機会を逃さずに耳を傾けて記憶を継承するチャンスが来たのです。それと同時に、今の若い人たちが、非当事者でありながら、言説を組み立てられる背景には、彼らが戦争経験者にとって孫世代に当たる、ということがあると思います。私のような人間は、戦争経験者の子ども世代なんですね。当事者の子どもなのか、孫なのか、というのはすごく大きな違いです。というのも、子どもにとって親は直接の抑圧者なので、親を許せない。だから、親の話を聞かない。一方で、孫の世代はそのような葛藤がないから話を聞きやすいんです。実際に、最近でも中村江里さんという30代の研究者が、焼却寸前だった約8000件もの戦争神経症の兵士のカルテをデータ化して学位論文を書きました。『戦争とトラウマ 不可視化された日本兵の戦争神経症』という本になっています。生存者や語る人がいなくなっても、データさえあれば、今後、新たな近現代史を書くことは可能になります。そういう形で記憶と経験が受け継がれていく。トラウマやスティグマ的な経験は誰も振り返りたくないんです。性暴力は特にそうです。当事者が高齢になったから忘れたい過去を振り返ることができる、その孫だから向き合えるということもあって、記憶の領域で新しい展開が起きています。そのことに大きな希望を私は持っています。
  • 小川
  • 小川:僕の個人的なできごとなんですが、祖父が85歳のときに自分史を綴った本を自費出版したんです。家族は馬鹿にして誰も読まなかった。でも、僕は読んでみました。そうしたら、戦争のことがたくさん書いてあったんです。僕はそこで初めて、祖父が共産党員で、戦時中、治安維持法で逮捕されていたことを知りました。祖父が京都大学を出たエリートだってことは聞いてたんですけど、エリートの割にはお金持ちじゃないなって不思議だったんです(笑)。どうやら、逮捕されて大学をクビになってるんですよね。僕の家が左翼家庭だったのはそこに理由があるのかって思いました。
  • 上野
  • 上野:小川さんが孫世代だから祖父の自分史を読むことができたのでしょう。戦時中、不条理な暴力を受けた人は戦後、家庭のなかでも暴力的な夫になる傾向があるといいます。敗戦後の日本の家庭は惨憺たる経験をしてきまして、女性や子どもは暴力の犠牲になってきました。でも、そのことは表面化されない。最近、顔後施設で面白い話を聞くんですが、兵役経験のあるおじいさんが職員に対して苛烈な暴言暴行を振るうことがあるというんです。その背景に過去に、その人自身が不条理な暴力の犠牲になっていたということがあるかもしれません。トラウマ的な経験のツケは三世代にわたるので、子どもは冷静になって聞けないでしょう。孫になって漸く、おじいちゃんどうしたの?って聞くことができる。孫世代だからこそ耳を傾けることができることはこれからも出てくるでしょうし、そこから新たな研究が進むと思います。

鶴見俊輔と江藤淳を受け継いだ
加藤典洋さん

  • 小川
  • 小川:先ほど、加藤典洋さんはポスト江藤淳だというお話がありましたが、江藤さんは保守主義者で、天皇主義者ですよね。加藤典洋さんは、けれど、そうではない。ここの違いを上野さんはどのようにお考えになられていますか?
  • 上野
  • 上野:そうですね。加藤典洋という人は決して江藤淳のように右寄りの思想を持っていたわけではありません。そこを考えるのに、鶴見俊輔という戦後日本最大の哲学者を補助線に置くとわかると思います。鶴見俊輔さんは私も大変尊敬していて、日本の戦後思想のなかに一本筋を通した人だと思います。鶴見俊輔さんは、敗戦直後から「思想の科学」という雑誌をずっと刊行されてきました。後に、加藤典洋さんもその編集に関わるようになります。加藤さんは鶴見さんの影響をすごく受けています。それは文体にも表れています。鶴見さんは、どのようなイデオロギーにも理論にも頼らず、「私」から発想し、市井の人々にもわかる言葉で語るということをやってきました。加藤さんも基本的な部分として、「私」から出発し、何ものにも頼らないということをやってきました。そうすると、時々、ブレることもある。ただ、それは硬直的ではない、ということを意味します。私は加藤典洋という人は、鶴見俊輔と江藤淳を足して2で割った存在なんじゃないかと思います。江藤淳と鶴見俊輔は水と油ですが、江藤と鶴見のドレッシングかな(笑)。そういう意味ではとてもユニークな人だったと思います。
  • 小川
  • 小川:加藤さんは江藤淳のどの部分を継承したのでしょうか。
  • 上野
  • 上野:主題です。私は二つの点で評価をしています。ひとつは文芸批評が文明批評の域に届いている点。二つ目はその最も中心的な主題に、戦後日本の起源である敗戦と占領という、忘れたい、恥ずべき過去を置いたという点。この二つが江藤淳から加藤典洋に受け継がれたものだと思います。
  • 小川
  • 小川:つまり、主題としては江藤淳を継承しつつ、思考のスタイルとして鶴見俊輔を継承しているわけですね。
  • 上野
  • 上野:なるほど。うまいことを言いますね。そう言ってもいいかもしれません。江藤淳は明晰な文章を書く人で、私は文体の点では、江藤さんの文体の方が好きです。加藤典洋さんの文章はまわりくどくて、悪文の見本みたいなものですね。というのも、彼は自分の思考の回路をずっと辿って文章を書くからです。私は短気だから、前置きはいいから結論から先に言えよって、つい、思ってしまう(笑)。社会科学の訓練を受けているとどうしてもそう思ってしまうのです。しかし、加藤典洋さんは発想の過程をそのまま文章にしていく。そこに加藤さん独特の比喩が多用されると、彼の文章にハマる人はそれが快感なのだと思いますが、うまくハマらないと、とてもじゃないけど、ついていけない。比喩っていうのは、当たり外れがあるんです。うまく当たると良いんだけど、外れると全く人に共感してもらえない。加藤さんの比喩も当たると、なるほど!って思うんだけれど、そうじゃないとひとりよがりで何が言いたいのかよくわかりません。加藤さんの比喩で、私が思わず膝を打ったのに次のようなものがあります。フランスの哲学者フーコーの系譜学を説明するときに、彼は「歴史のあみだくじを逆にたどる方法」と表現しました。うまいねぇ(笑)。あみだくじって言われると、目に浮かぶようですね。歴史はしばしば必然の連鎖のように見なされますが、系譜学はそれとは違って、「他でもありえた歴史の潜勢態を可視化する」ことで歴史から目的論を否定する見方です。こっちに行ったのは偶然に過ぎないんだ、あっちに行くこともできたんだって視覚化されて、とても腑に落ちる表現です。だから、私は人にフーコーの説明をするときは、「加藤典洋さんの卓抜な比喩によれば」って、ちゃんと商標登録を入れて紹介しています。加藤さんの比喩はそうやって、当たるときには、下手に思想用語を使って説明されるよりも、理解がたやすくできるんです。鶴見俊輔さんは市井の人々にも通じる言葉遣いを心掛けましたが、そういう意味では加藤さんはしっかり鶴見さんを受け継いでいますね。

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